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ローデン准教授の歴史への挑戦 エピローグ
ローデンが幕末に行って一週間ほど過ぎたころ、ローデンを呼び戻さず追跡をやめてしまえばローデンが幕末と現在をさ迷う危険はなくなることが判明した。が、その時点で山本はかけがえのない親友を失う結果になった。その時山本は、ふと井伊直弼がどうなったか考えてみた。
ローデンは、井伊直弼を助けることができたのだろうか? 自分の学生時代の記憶が甦ってきた。井伊直弼は、確かに桜田門外の変で殺された。教科書を調べるまでもない。ローデンの苦労は、結局報われなかったということになる。まさか? 時間がずれて間に合わなかったのか? それとも、直弼がローデンの情報を信用しなかったのだろうか? 会うことすらできなかった可能性もある。山本は、ローデンに幕末と現在をさ迷う危険がなくなったことを告げる時に尋ねてみることにした。
ローデンが幕末に行ってしまってから、ひと月ほど経った頃山本は、ジロウの餌の容器をタイムスリップ装置に置いて、ジロウを呼んだ。
ジロウは、尻尾を振りながら餌の入った容器の前に来るとおいしそうに餌を食べ始めた。
山本は、ジロウの頭を撫でながら、「お前ともお別れだな」と言ってから、パソコンの前に座った。
山本は、タイムスリップ装置のスイッチを入れて、「おまえにも、苦労をかけたな。向こうに行ったら新しい飼い主にかわいがってもらうんだな。元気で暮らせよ」と、最後にジロウに声をかけた。ジロウは、いつもと違う山本の声に気が付いたのか餌を食べるのを中断して山本の顔を覗き込んだ。その時ジロウは光に包まれて消えた。
「いつの時代かお前に聞いても分からないが、このまま、現在と過去をさ迷わせる訳にはいかなかったんだ。新しい飼い主は貧しいようだが、きっとお前をかわいがってくれるだろう」
山本は、ジロウに付けた小型カメラの映像を思い出してジロウがいたところに声をかけてみた。
それから、日課の一つになったローデンからの便りの映像を呼び出した。
ローデンは、山本の出した結論に満足していた。お慶だけでなく、順斎までもが画面に登場して、ぎこちなく山本に礼を述べた。山本は、自分のしたことがローデンの幸せにつながったことが奇跡のように思え複雑な想いになった。ローデンは、直弼を助けられなかった経緯を詳しく話してくれた。ローデンは便りの最後に、亡くなってから入る墓の住所を教えてくれた。おそらく、百年以上前に亡くなったであろう。
山本は、もう何十回も見たローデンの便りを見終わってから、そろそろ結論を出す時が来たと悟った。
タイムスリップは、可能だった。が、タイムスリップした人間が現在に戻れなくなるのであれば、意味がないではないか。現在の自分の能力では、過去に人間を送ることしかできない。そんなタイムスリップなら、実現しない方がいいのではないか。
山本は、立ち上がると、もう一度自分が苦労して作り上げたタイムスリップ装置をゆっくりと見回した。ローデンは、「ガラクタ」と言っていたが、言われてみればその通りだと思った。人間を過去に送ることができるだけで、いつの時代になるか今になっては自信がない。送るときに膨大な計算をし直さなければならない。それに、呼び戻すことができたとしても、知らないうちに過去と現在を行ったり来たりすることになって結局過去の時代に行ったきり戻れなくなってしまう。やはり、ガラクタだ。と、結論付けるしかなかった。
山本は、ローデンの墓参りに行ってから、タイムスリップの装置を破壊することに決めた。
今思えば、名前すら考えなかった。山本は、「名前を付けてやることもできなかったな」と、タイムスリップの装置に声をかけて、ゆっくりと装置を眺めてから、墓参りの準備にかかった。
山本は、畳の上に立っていた。おかしい? 庭のはずが…。と、思っていると、「あなたは…」と、初めて聞く女性の声が聞こえてすぐに、「お父様!」と、呼ぶ声が聞こえた。
山本は、意を決して後ろを向いた。一人の女性と目が合って、「お慶さん!?」と、思わず大声を上げた。が、少し顔が違う。
「山本…?」
少ししわがれた声が聞こえて、開いた襖の中から年のころは六十代と思われる老人が現れた。
「ローデンか?」
山本は、見覚えのある顔に驚いた。最後に会ったときより相当老けて見えた。髪は、殆んどなくなっており白髪になっている。身体も少し痩せているように感じたが、紛れもなくローデンだ。
「何しに来た? おまえも、戻れなくなるんだぞ!」
ローデンは、突然現れた山本に驚いた。それに、タイムスリップすれば元の時代に戻れなくなってしまう。
「装置は破壊した。だから、どっちみち帰れない。俺が残っていたら、事情聴取や賠償などで面倒なことになるから、思い切っておまえを頼って明治元年に来るつもりでやって来た。何の未練もないからな」
山本は、他人事のような言い方をして、「ところで今は、何年だ?」と、思い出したようにローデンに尋ねた。
「明治二十一年の三月四日だが、おまえらしいな」
ローデンは、呆れた顔をした。
「明治元年って、1888年じゃなかったのか?」
「明治元年は、1868年だ」
「おれは、1888年だと勘違いしていた。幕末にタイムスリップしたら、おまえに迷惑かけると思ったから、明治元年にしたのに…」
山本は肩を落としたが、ローデンをまざまざと見ると、「だから、おまえは老いぼれになったのか?」と、続けた。
「老いぼれで悪かったな。あれから、三十年近くも経っているんだ。頭だって寂しくなる。今年で、六十六になる」
「お父様。お知り合いですか?」
ローデンを父と呼んだ女性は、山本を不思議そうな顔で眺めた。いったいどうやって部屋に入ったのだろうか? それに、どこかで見かけたような気もする。
「まさか? おまえの娘か? 確か、名前は恵子…。恵子さんか?」
山本は、驚いて尋ねた。ローデンに娘と息子が一人ずつできたことは知っていた。小さい頃のビデオは見せてもらっていたが、成人している時代にやってくるとは、思ってもいなかった。明治二十一年ということは、二十五歳前後になるだろう。
「そうだ」
ローデンは、ぶっきらぼうに答えた。
「恵子と申します」
恵子は、頭を下げた。父親よりはるかに若い男が、親友のような口ぶりで父と対等に話していることが不思議だった。
父の教え子であれば、こんな言葉遣いはしないはずだ。いったいこの人物は、誰なのだろうか? と、首をかしげた。
ローデンは、明治に入ってから万次郎の紹介で新しくできた大学の教授に納まっていた。定年まで勤め上げたから、恵子は父の教え子の一人だと納得しようとした。
山本は、「山本です」と言って頭を下げた。
「山本様? って…」
恵子は、昔見たビデオカメラの山本の顔を思い出して驚いた。
「私を、知っているんですか?」
「はい。小さいころ、父に見せられたのを思い出しました。あれから、十五年以上経っているのにあなたの顔は、変わっていないのですね」
「はい。あなたのお父様が、最後にこちらに来てから、一月ほどで来ましたから。しかし、何かの手違いで、いや、私の勘違いで二十年ほど時間がずれたようです」
山本は、恵子のために説明してからローデンに向き直ると、「恵子さんを見て驚いたよ。お慶さんと瓜二つだ。おまえに似ないで正解だった」と、いつもの山本に戻っていた。
「おまえは、変わらないな」
ローデンは、呆れた顔をした。
「こっちは、数ヶ月しか経っていないんだ。おまえと違って、変わるわけはないだろ」
山本は、いつものように軽口を言った。
「履物がありませんが、お客様ですの?」
お慶は、買い物籠を下げて玄関に入ってくるとローデンに気安く尋ねた。
山本は、自分が靴を履いたままなのに初めて気が付いて慌てて靴を脱いだ。
「お慶さん?」
山本は、一瞬困惑した顔になった。お慶さんは、五十を過ぎているはずだ。山本は、年老いたお慶を見るのが少し恐ろしくなった。あんな美人が…。
「早く来ないかお慶。会わせたい奴がいる。見たら驚くぞ」
ローデンは、昔のようにいたずらっぽい眼でお慶を呼んだ。
「まあ。山本様」
お慶は、部屋に入ってくるなり驚いた。
「お久しぶりです。本当は、久しぶりでもないんですが…」
山本は、訳のわからない説明を試みようとして、お慶を見てほっとした。「ローデンが、老いぼれたので、あなたもと思っていたら、まだお美しい」と、言ってしまった。
「そんな…」
お慶は、少し照れたが、「何故、あなたは前と同じなんです? あれから、三十年近く経っているというのに歳を取っていない…」と、驚いた顔をした。
「私も、時間を間違えたようで…」
山本は、ばつの悪そうな顔になった。
「どうだ? これが真実ではないだろうか? 山本は、タイムスリップして明治時代に行ったのに違いない」
小野は、山本の死体が発見されず行方不明のままの理由を友人たちに説明した。同席している二名の男は、互いを見合わせながら信じられない顔をした。
そこは、ローデンと山本が良く利用していた居酒屋だった。ビールのジョッキと、酒の肴が数点置かれていた。山本を偲ぼうということで訪れた友人の小野たちは、自然と行方不明のままの山本がどこに行ったか? 生きているのか、死んでいるのかという話題になった。
小野は、刑事が事情聴取に来たときに見せられたメモ用紙の切れ端に、1888という数字が書かれてあったから、山本は死んだのではなく明治二十一年にタイムスリップしたと確信した。
ローデンが消えたときの事情聴取で、刑事に聞かれたことも気になった。服屋に作らせたという、幕末に日本に訪れた外国の商人が着ていたスーツに心当たりはないか? というものだった。ローデンは、幕末にタイムスリップして戻れなくなったに違いない。
ああ見えても山本は責任感が強い男だから、責任を感じたのだろう。それに、山本は優秀な男だがどこか抜けているところがある。あいつなら、明治元年と間違えたとしてもおかしくはない。と、思って、想像を膨らませて推測したことを二人に言い終わったところだった。
「おまえの考えていることは、山本らしいとは思うが…」
前に陣取っている早川は、少し考えていたが、「タイムスリップできる装置を開発した。という前提が無ければ、単なる推測に過ぎない」と、否定的な顔をした。
「ローデンが、公衆の面前で消え去ったのはタイムスリップした証拠じゃないのか。イリュージョンじゃないんだ。人が消える訳がない。山本は、装置を完成させたんだ。何かの手違いで、ローデンが戻れなくなった。ローデンのことで責任を感じたのに違いない」
小野は、決め付けた。「タイムスリップできる装置だなんて、信じられないな」
塩屋は、早川の隣で腕を組んだ。
「本当に山本は、おまえに話したのか?」
早川は、小野に尋ねた。
「マシンを完成したという話は、聞いていないが、『偶然時空の歪みのような空間を発見した』と言っていた。それに、『タイムスリップできるかも知れない』とも言っていたから、完成させたのだろう」
小野は、山本から聞かされていたことを思い返した。
「そうだな。山本は死んでいない。時間を間違えたとしても、明治時代でローデンと再会したんだ。生きている。いや、生きていたんだ」
早川は、自分を納得させるように言った。
「そうだな」
塩屋も、早川に同意して、「派手にやったからな。けが人が出なかったから良かったが、大学は責任問題で右往左往している。俺たちだけでも、山本が生きていると信じてやろう」と、話をつないだ。
「じゃあ、山本の前途と言っても、相当昔だが山本のために乾杯しよう」
小野は、ジョッキを持って高々と掲げた。
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