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創作大賞2022応募作品 「立てこもり」7・8章

7.9月21日23:30 

 山口は、官邸と繋がっている電話の前に座り大きく深呼吸をした。テレビ関東が特別番組を放映したことで、政府がやっと記者会見を開いたものの犯人たちからは何も言ってこない。焦りだした対策本部は、試案と対案の作成指示書を関係府省に届けたと言う報告をしながら、相手の動向を探る事になった。もちろん報告は、電話をする口実である。山口は、報告する内容を書いたメモをもう一度読み返し、電話の受話器をゆっくりと取った。
 山下は、すぐに電話に出た。
「山口正義です」
 山口は、名前を名乗ると、「ご依頼の試案と対案の作成指示書は、現在コピーを取って関係府省に届けているところです」と、告げた。
(よろしい。ところで今日は休日だ。誰が受け取るのかな?)
 山下は、他人事のような声で尋ねた。
「貴方も、お人が悪い。今頃霞が関は、タクシーの渋滞で混乱しているはずです」
(私は、気の毒だとは思わないよ。自分達がまいた種だと思わないかね?)
 山下は、余裕のあるような声で言った。
「貴方は、霞が関に刈り取らせようとしているのですか?」
(霞が関は、国民のためにあるんだよ。省庁の既得権益のためにあるんじゃない。違うかね。私は、霞が関が本来の仕事が出来るように、少しだけ力を貸しただけだ)
 山下は、そこまで言って沈黙した。山口は、言葉を失った。山下は、先のことを考えているのだろう。自分がもう先がないと知った上で、この国を官僚から国民の手に戻そうとしている。いや、戦後官僚が牛耳っていた国を、国民のための国に変革しようとしている。そんな気がした。霞が関が、自分を含めた官僚機構が、どれだけ独りよがりで高慢だったことだろうかと。
(どうしたんだね? 君らしくもない)
 山口は、山下の言葉で我に返って、「何でもありません」と言った。が、言葉は少し上ずっていた。
「総理は…。総理は無事ですか?」
 山口は、素人のようなことを思わず尋ねてしまった。
(いたって健康だ。防衛大臣は、腕を組んで眼を瞑っている。まるで、国会のように)
 山下は、明らかに皮肉をこめて言っていた。
 腹が据わっているというのとは、訳が違うだろう。恐らく危険がないと、高をくくっているのだろう。お里が知れるとは、この事だ。何かと噂がある防衛大臣のことだ。失言をしたらどうなるか…。山口は、防衛大臣が眠っていることに少しほっとした。
「解りました」
(総理と話すかね?)
「出来れば、お願いします」
 山口は、山下にどんなことを言っても無理だと思った。相手は、金目当てのチンピラではない。
(私だ)
 すぐに、総理の声が聞こえた。
「交渉班の、山口正義警視です」
 山口は、襟を正して名前を名乗った。
(私のことで、迷惑をかけているようだな)
「いえ。職務ですから」
 山口は、そう言ってから、「何か必要なものはありますか?」と尋ねた。山口は、総理の声から丁寧に扱われているようだと思い少し安心した。
(いや。特にはない。おかげで、じっくり考える時間ができたようだ。明日の朝、全員の朝食を持ってきてくれるだけでいい)
「解りました」
(隊長に代わろうか?)
 総理の言葉に山口は、一瞬戸惑ってしまった。当たり前の言い方だ。犯人と人質という切迫した雰囲気がない。まるで、遊びに来た友人に代わろうかと言っているような感じに受け取られた。俺の給料も少なくなるのか? と、そんな気になってしまう自分がおかしかった。
(とにかく、彼らに時間を与えてやってはくれないか?)
 山口が答えないのを不審に思ったのか、総理の方から話しかけてきた。「時間ですかあ?」
 山口は、想定外の総理の言葉に驚きと困惑がない交ぜになった。
(君には悪いが、そうだ)
 総理は、山口の間延びした困惑した声に哀れむような声を出して、(私も、霞が関がどんな答えを出すか興味を覚えた。やらせてみようじゃないか)と付け加えた。
「私には、そんな権限はありません。総理がそうお思いになるなら、事件が解決してからそのままやらせれば同じじゃないですか」
 山口は、総理が犯人たちに無理矢理言わせられているとは思わなかった。懐柔された訳ではないだろう。霞が関がどのような結論をだすか、自分も見てみたいと思った。事件が解決すれば、総理がどう思っていても他の大臣たちが官僚と力を合わせて有耶無耶にするに違いない。犯罪者の荒唐無稽な要求など考える必要はない。と、一蹴されるのが落ちだ。総理は、そこまで考えているのだろうか?
(そういう考え方もあるか。しかし、二日ぐらい私の自由にさせてもらってくれないか)
 山口は、総理の言葉に何も言えなかった。勝算があれば、すぐにでも強行突入できる体制は整えてある。官邸付近には、機動隊以外にもSITと呼ばれる特殊部隊が配置されている。総理は、そのことぐらい解っているはずだ。
「それは、命令ですか?」
(そうではない。が、彼らは、あさっての午後には投降すると言っているのだよ)
「しかし、これは犯罪です」
(今まで、霞が関が行なって来た犯罪は誰も責任を取らない。責任すら感じていない。露見しそうになれば、トカゲの尻尾きりで自分たちは安泰。私は、政治家の立場で霞が関や政治家には甘く国民に厳しいこの国の現状を改めて思い知らされた)
「総理は、犯罪者を擁護するのですか? それとも…」
 山口は、思わず口をつぐんだ。総理は、いったい何を考えているのだ。自分は、人質と話しをしているはずなのにどうも違うらしい。ストックホルム症候群? 山口は、自分の考えに戸惑った。政治家といえども、人間には違いない。犯人たちとの交流から、犯人たちに過度の同情を持った可能性も捨てきれない。
(私は、正常だよ。ただ、議事堂より、ここの方がまともなように思っただけだ。信じられるかね? 犯罪者よりも劣る代議士がいる、国のことを)
「私には、答える権限はありません。私見を言わせて頂けるのなら、そんな国は今まで何処にでも転がっていました。今も独裁国家など、多くの国でまかり通っていると思っています」
 山口はそこまで言って、自分は何を言っているのだろうか? と呆れ果てた。
(その通りだ。彼らと話していて、私の考えが間違っていたことに気がついた)

  官邸正面玄関に通じる入り口の道路のゲート前には、多くの群衆が詰め掛けていた。国会議事堂駅から吐き出された群衆は、ゲート前に押しかけ車道まで溢れかえるほどだった。ゲートの後ろには警察の人員輸送車が3台道路を塞ぐように止まっておりゲート前には数十人の警官が不測の事態を防ぐように配置されていた。

  総理官邸の常駐警備の機動隊員、古淵巡査部長は、いつものように西通用口前と外堀通りの中間地点に立って警備していた。
「おまわりさん。総理官邸は、この先かね?」
 一人の老人が、古淵に声を掛けた。
「そうですが。こんな夜分に何か用があるのですか?」
「助太刀に決まってるだろうが」
 老人は、古淵を上から下まで蔑んだ眼で見ながら、「木っ端役人は黙っていろ」と言って官邸の西通用口方向に歩き出した。
「ちょっと待って下さい」
 古淵は、老人に駆け寄ると官邸を背にして老人の行く手を遮った。その時、外堀通りの歩道に溢れ返るようにいる群集に気がついた。群集は、道路を横切って官邸に近づいてくる。古淵は、慌てて無線で援軍を要請した。老人は、どこかに消え去っていた。

 群衆は、官邸の西通用口前にも詰め掛けた。西通用口前のゲート付近は、溜池山王駅から吐き出された人でごった返し始めた。その後からも多くの群集が、大挙して押しかけてきた。表玄関とは比べようもない狭い西通用口前では、群衆がゲート前を埋め尽くした。先ほど、テレビ局の中継車を阻止した機動隊員は、怒涛のように押し寄せる群集には歯が立たなかった。群集は、機動隊員の指示を無視し西通用口に殺到した。
 群集の中には、プラカードを掲げている者もおり、プラカードには、「政府の横暴に負けるな!」と書かれていた。
 何処からともなく、「負けるな!」と声がすると、「負けるな!」と、シュプレヒコールが巻き起こった。

8.9月21日23:50 

 財務省主計局次長の堀正一は、呼び出しを受ける前に一番乗りで財務省に駆けつけて来た。誰もまだ来ていないことに、驚きはしなかった。やはり、高をくくっているのだろう。事件が長期化すれば、否応なしに我々にお鉢が回ってくる。その時に保守派の言いなりになれば、この国は取り返しがつかなくなる可能性がある。ここは、先んじて試案を見て検討するべきではないか。堀は、警備員から試案と対案の作成指示書を受け取ると自分の執務室に入っていった。
 堀は、椅子にゆっくりと座りながら、試案を執務机に置いた。
 目次を見て、やってくれるな。というのが正直な感情だった。改革派の代表格である堀の眼にも、あまりにも現実と懸け離れた試案であった。堀は、これで自分の今まで受けてきた恩恵が終わるかも知れない、と複雑な思いで試案を読み始めた。しかし、普通になるだけだと思い直した。
 万が一失職しても、ベーシックインカムで最低の生活は保証される。ベーシックインカムという言葉に、改めて驚いた。世界各国で、学者や政治家が考えてはいるもののまだどこの国も導入に踏み切れないという制度だ。素人の浅はかな考えか? それとも、ある程度の勝算があっての考えか? どちらにしても、何とかミクスでは抜本的な解決ができないであろう今の日本の閉塞感を考えると、検討の余地はあるかもしれない。と、考えている自分に驚いた。一度ベーシックインカムを導入すれば、混乱は起きるであろう。さらに導入してしまえば、ベーシックインカムをやめることはさらに難しくなる。
 堀は、納得するしかなかった。官僚の一部、特にキャリアと呼ばれる官僚は国民を見てはいない。予算と呼ばれる、金のことだけを見ている。それを、自分勝手な考えで様々な理由をつけて、自分達に直接的に間接的に回ってくるようにこの国を牛耳っていると言っても過言ではない。
 政治家にしても、自分たちの事しか考えていない。国民のことを考えている一握りの政治家にしても、結果的に官僚の言いなりになっているだけである。官僚がいないと、日本の行政は大混乱に陥ると本当に考えているのだろうか。野党にしても、政権を取ることしか頭にないのではないか。殆んどの政治家は、馬鹿を通り越して愚かというしかない。
 彼らは愚か者たちから、国民のために日本を取り戻そうと考えているだけではないのか。この試案を基本として、本当の国民のために霞が関の改革を行なおうと堀の腹は決まった。

 大臣に呼び出しをくって財務省の玄関に入った財務事務次官の津本正和は、警備員から堀に試案と対案の作成指示書が手渡されたことを知り一瞬固まってしまった。何事もなかったそぶりで自分の執務室に向かった津本は、やられたと後悔した。よりによって、改革派の頭目と目されている堀に出し抜かれた。と怒鳴り散らしたい心境だった。あいつらの勝手にさせれば、自分たちのための官僚機構は再起不能に陥るかもしれない。
 今まで、この国を動かしてきた我々の立場はどうなる? 犯罪者の戯言で、自分の地位や既得権益がなくなるかもしれないとの想いがこみ上げてきた。何とかしなければ…。それでも、そんな簡単に堀の思い通りになるはずはないだろうと思いなおした。ひと握りの改革派が、何を考えようと上司である自分が握りつぶすことができる。そう考えると、堀の考えが愚かに思えてきた。せいぜいあがくがいい。 

「官邸は、多くの群衆に取り囲まれております」
 レポーターは、少し上ずった声をだした。画面には、上空から見た映像が映っていた。画面は、スタジオに切り替わった。
「加藤さんそちらの状況を伝えてください」
 川辺が加藤に呼びかけると、画面は加藤キャスターを映し出した。加藤の後ろには、歩行者天国の様相を呈してきた外堀通りが見えていた。
「先ほどから、群集が増え始めています。外堀通りは、歩行者天国のようになっております。群衆は、地下鉄の終電近くになっても減るどころか、増える一方です。我々が報道を始めてから、まだ一時間も経っていないことを考えると、これから益々混乱が大きくなる危険を孕んでおります」
 加藤は、戸惑った声を上げた。少しの間カメラは、外堀通りの映像を映していたが、画面は総理官邸の正面玄関を映し出した。そこにも、多くの群衆が詰めかけ、「俺たちを、見捨てるな!」「試案を受け入れろ!」という怒鳴り声が、そこかしこで聞こえた。その声は、統一されておらず、詰めかけた群衆が動員されていないことを物語っていた。
 一人の男が、マイクを持って群集を背にしてカメラの前に立っていた。画像の下に、『総理官邸前篠崎洋一』と、場所とテレビ局の記者の名前がテロップで流れた。篠崎は開口一番、「こちら、総理官邸の正面玄関前です。多くの人たちが詰めかけています」と伝えた。
「篠崎さん。そちらの様子はどうですか?」
 川辺の問いかけに篠崎は、「騒然としています。人々は、口々に政府に対する不満を叫んでいますが統一はされていないようです。組織的に動員されたというより、連休ということもあり政府に不満を持った多くの人々が自主的に詰めかけているようです」と、答えた。 

 画面がスタジオに切り替わると、「これが、国民の本当の声ではないでしょうか」と、宅間が発言した。
「国民の声ですか…?」
 川辺の言葉に宅間は、「初めて、国民が行動を起したといって良いでしょう」と、感慨深げな声で答えた。
「今までだって、似たような光景はあったと思いますが」
 川辺は、宅間の真意がわからず思わず尋ねてしまった。
「あれは、過激派の学生や、一部の政党に動員された人間がやったに過ぎない。今官邸に詰め掛けている群衆は、全員とは言わないまでも半数以上は一般人のはずです。今までの組織的なものとは違う。今まで見向きもされなかった、底辺の人々が多い可能性があります。お年よりも目だっているようですから…」
 宅間はそこまで言うと、自分の席の前のモニターに映し出されている外堀通りの光景を複雑な顔で見つめた。
 宅間は、そこで顔をモニター画面から川辺に向け、「これは、老人たちの蜂起ですよ」と、興奮した口調になった。 

 官邸西通用口に押しかけてきた群衆は、警備の機動隊員たちを押しのけて官邸前のゲートを突破しそうな勢いだった。機動隊員たちは、体勢を立て直してゲートの前に並んで群衆を阻止しようとしたものの、群衆の多さに為す術も無かった。
 本来、官邸の立てこもり犯を取り囲んで強行突入も辞さないはずの特殊部隊隊員たちは、機動隊員たちに力を貸し押し寄せる群衆と対峙する羽目になった。
「皆さん。おとなしくここを退去して下さい。皆さんに、危険が及ぶことがあります」
 青山警部は、仕方なく拡声器を使って群衆に呼びかけた。このまま、官邸になだれ込まれては大混乱が起こる。怪我人はもとより、死者が出る可能性すらある。そんな事は不本意だった。政府が叩かれるからではない。こんな下らないことで、人が死ぬことが堪らなかったのだ。それは、山下たち犯人が原因ではなかった。国家権力の末端にいる自覚を持ちながら、こんな国にした愚かな政治家に腹を立てている自分がおかしかった。
「危険が、及ぶだと! 税金泥棒が。わしは、助太刀に来たんだ!」
 先ほど、機動隊員に助太刀に来たと言った老人が青山を睨みつけた。
「そうだ! 悪いのは木っ端役人どもだ」
 隣にいた、60がらみの男が怒鳴った。
「そうだ!」
「そうだ!」
 群衆は、更にヒートアップし始めた。
 その時に、パトカーのサイレンが聞こえてきた。それも、一台や二台ではない。
「俺たちが、何をしたというのだ!?」
 傍らにいた金髪の若い男が叫んだ。
「こうなったら、破れかぶれだ」
 60がらみの男はそう言うと、「警察が怖いやつは来なくていい。この国を救いたい奴は、俺について来い!」と、群衆の方に向かって怒鳴った。
「冷静に! 皆さん冷静に!」
 青山の拡声器の声は、群衆の声にかき消された。総理大臣官邸警備隊員たちは、機動隊員と供に雪崩れ込んで来た群衆に対処の方法がなく、呆気なく群衆に官邸前のゲートを突破されてしまった。
「不浄役人どもを、追い出すんだ!」
 老人は、後ろを振り向いて怒鳴った。 

「官邸に動きがありました」
 ヘリコプターからの映像を写したテレビを見ていた山下たちは、眼を見張った。
「何をする気だ!?」
 宅間は、思わず口走っていた。スタジオは、どよめきに包まれた。


5.9月21日22:55
6.9月21日23:00

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