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霊媒プロデューサー 神野恒(ひさし)2.被 疑 者

 今回は、『1.孤独死報道』に続いて、『2.被 疑 者』を公開いたします。ご覧ください。

主要登場人物

神野恒(テレビメトロのプロデューサー)
 亡くなった叔母から、失意のうちに死んだ人間の最後の声を聞く能力を受け継いだ。
 初めのうちは半信半疑だったが、次第に信じるようになり、能力を生かしてジャーナリストの仕事を貫こうとする。

神野京子 恒の妻

川辺幸一 ディレクター
 恒の部下。お調子者で事なかれ主義のところがあるが、秘めた情熱も持ち合わせている。 最初は、恒の言葉に翻弄されるが、次第に恒のなくてはならない部下のひとりになっていく。

吉川良太 テレビメトロの若手記者
 ジャーナリストを貫こうとするまっすぐな男。独断専行気味だが、仕事に対する真摯な態度は恒や川辺も、一目置く存在。

近藤刑事 恒たちと顔見知りの刑事。
 どこか冷めたところがあり、決して本心を顔に出さない。口では、厳しいことを言っているが、吉川たちに味方する。

霊媒プロデューサー 神野恒(ひさし) 目次
1.孤独死報道
2.被 疑 者(今回公開分)
3.鬼の目に涙
4.霊 媒 師
5.名探偵登場
6.死者の自責
7.巨   悪
エピローグ

2.被 疑 者

 恒の孤独死報道は、様々な波紋を世間に投げかけた。賛否両論といえば聞こえはいいものの、孤独死を肯定するとは何事かという投書もあった。しかし恒は、そんなことは気にも留めずに新しい仕事に取り組んでいた。そんな最中に事件は起こった。

 恒は、誰かの呻き声で気がついた。一人ではない。複数の呻き声だ。辺りは真っ暗で、何も見えない。
 恒は、暗闇に眼が慣れるまで待つしかなかった。おかしい。夢か? 自分の体の感覚がない。誰か私に助けを求めているのだろうか? と、考えていると、後ろの方が少し明るくなった。恒が後を振り返ると、若い男が恐ろしい形相で、狂ったように何かを締め付けていた。
 女性だ。女性の首を、男が絞めている。
 恒は、助けようとしたが体が動かない。声さえも出す事が出来ない。夢にしては、リアルすぎる。女性は、首を絞めている男の腕を掴んで抵抗しているが、顔は男ではなく男の後を見ている。
 男の後に、仰向けに倒れている初老の男が突然恒の視界に飛び込んできた。眼を硬く閉じ、苦悶の表情で、恒の方に顔を向けている。女性の夫だろうか? 死んでいるようだ。恒が初老の男に気を取られいる間に女性は、ぐったりして動かなくなっていた。犯人は、女性の首から手を離すと顔を上げて恒の方を向いた。
 恒は、男の鬼気迫る顔を見て逃げ出したい思いにかられたが身体は動かない。男は、ゆっくりと恒の方に歩きだすと、突然消えた。恒は、男の顔を、覚えてしまった。
 恒は、妻の京子の声で目覚めた。京子は、恒の傍らに立っていた。
「何か言わなかったか?」
 恒は、京子に尋ねた。
「何かって?」
「いや」
 恒は、お茶を濁した。京子に、心配させたくなかった。
「彼女の名前?」
 恒は、京子がそんな事を言うとは思わず京子の顔を見上げた。
「どうしたの? 図星?」
「そんな…」
 恒は、京子の言葉に困惑した。いつもなら、こんな軽口をたたく京子ではなかったはずだ。京子は、恒が何かうわごとを言ったことに気がついてわざと軽口を言ったのだろうか? と、思えてきた。
「解ったから、早く起きて。掃除するんだから」
 京子は、そう言うと、寝室の掃きだし窓を全開にした。外から、心地よい秋風が入ってきた。京子は、掃除機のスイッチを入れた。恒がベットから起き上がると、「ご飯用意してるから。なかなか起きないから、先に食べちゃった」と、掃除機のモーターに負けないように大きな声をだした。
 恒は、枕元にある時計を見た。午前十時を過ぎていた。
 京子は、掃除の手を休め、「今日は、休みなんでしょ」と、思い出したように尋ねた。
「ああ。大きな事件がなければ休みだ」
 恒は、京子とのいつもの会話が何故か、幸せなものに思えて来た。日曜とはいえ、何かあったら局に顔を出さなければいけない。
 夜中のあれは、夢だったのだろうか? 恒は、この前の老人の事を思い返してみた。少し違うか。恒は、それ以上考えるのをやめたが、夜中のことが事実であればお呼びが掛かるだろう。

 結局恒は、局に顔を出す羽目になった。
 杉並に住む若林という資産家の家で、強盗殺人事件が起きたからだ。
犯人、いや、被疑者は直ぐに捕まったが、何か釈然としないものを感じた。
被害者夫婦は昨日の夜の夢と同一人物だったが、被疑者の報道された写真が昨日の夜の男とまるっきり違っていたからだ。そんなことがあるのだろうか? 被害者の顔が一致しているのも不思議なら、被疑者の男が違う。偶然なのだろうか? それとも、真実?
 真実であるなら、被疑者は濡れ衣を着たことになる。恒は、慎重に報道しなければならないと腹を括った。
 被疑者は、奥野幸一。決め手は、玄関にあった指紋。きれい好きの被害者の妻が、毎日欠かさず掃除していたから、犯行のあった日は、犯人以外指紋が付くはずは無いという、被害者の親戚の男の供述があったからだ。
恒は、まだ編集していない被害者の親戚の男の顔を見て驚いた。犯人だ! いや、昨日夢に出てきた夫婦を殺害した男にそっくりだった。
 恒は、少し慎重になった。もし、叔母が言ったように、自分に霊能力が備わっていたとしたら、昨日見た夢は夢ではなく、被害者の無念が体現したことになる。が、単なる夢だったとき、捜査の妨害になる可能性も否定できない。
どっちだ? 恒は、とりあえず被疑者の名を伏せて慎重に取材するよう川辺に指示をした。
「何故です? もう、決まったようなものですよ」
 川辺は、珍しく恒に異議を唱えた。恒は、川辺の気持ちが手に取るように分かった。無理も無い。その眼で犯人を見たわけじゃないんだから。確かな証拠? と、警察の発表を信じるのが当たり前だ。しかし、私は見たかも知れない。
 もし、私の見た夢が真実だとしたら? 親戚の男は、奥野という男を犯人にでっち上げたかも知れない。
「悪いが、迂闊に報道したくないんだ」
 恒は、川辺にすべてを打ち明ける訳にはいかないもどかしさを感じた。信じない訳ではないが、自分でもまだ信じきっていないことを人に話せるわけはない。そんな想いが恒にためらわせた。
「迂闊って言葉を使いましたね。何処が迂闊なんです? 警察だって、不祥事続きでいい加減な記者会見はやらないはずです。指紋という、証拠だってあるんです」
 川辺は、いつもと違って自信があるのだろう。奥野が犯人だと決め付けていた。
「決め手になった指紋だが、被害者の親戚の男の供述がきっかけとなって被疑者が逮捕されたんだろう」
 恒は、資料に目を落としてから川辺に視線を向けて、「私には、被疑者がはめられた可能性も否定できないと思ったんだ」と、慎重な口ぶりになった。
「被害者の親戚の男? まさか、彼が真犯人だと?」
 川辺は、呆気に取られた顔を恒に向けた。
「断定はできないが、可能性は否定できないじゃないか。まだ被疑者の段階だ。名前を出すのは早くないか?」
 恒は、歯がゆいもののまだ捜査の初期段階であることは川辺に認識して欲しかった。
「そうですが、きっと他局は実名で報道しますよ」
「慎重なテレビ局が、一つぐらいあってもいいじゃないか」
 恒の言葉に川辺は、腕を組んで少し考えていた。が、「いいでしょう。」と、あっさりと同意した。
「川辺君ありがとう」
 恒は、素直に礼を言った。
「無駄かも知れませんが、取材して見ましょう。親戚の原口が犯人だったら、凄いスクープですよ」
 川辺は、先ほどとはうって変わって乗り気になって、「吉川君。ちょっと」と、吉川を呼んだ。
 川辺の言った原口とは、原口良介。三十二歳で、殺害された夫婦の甥であった。殺害された夫婦の遺産相続人は、原口だけということが川辺の頭をよぎり、疑惑を感じさせてその気にさせた。

 次の日の月曜日の夕方。吉川が、原口のアパートを訪ねると原口は、機嫌よく取材に応じた。
「被疑者は、まだ自白していないようですがどう思われますか?」
 吉川は、そうマイクに向かって言うとマイクを原口の口の前に持っていった。
「ちゃんと、証拠だってあるんですよ。なのに、犯行を認めようとしない。これじゃあ、叔父たちが浮かばれないと思っています」
 原口は、少し苛立った声を出した。
 吉川には、その言葉が本当の気持ちか、それとも自分の罪が発覚するのを恐れて苛立っているのか分かりかねた。が、ここでこの男に、取材の本当の目的を悟られてはまずいと思い、「他に、何か気がついたことはありませんか?」と、尋ねた。
「さあ。私は、犯行があった前日あいつを叔母に紹介しただけです。あいつが、あんなことをするために俺に近づいたのかと思うと。それに、あんなことになるとは…」
 原口は、そこまで言うと肩を落とした。吉川は、原口の少し不自然な肩の落とし方を見逃さなかった。何回か取材を続けていると、自然に相手の一挙手一投足を見てしまう。
 逮捕された犯人たちの取材のときの事を思い返してみると、あそこがおかしかったと不自然な言動や行動が思い返される。今の原口も、以前の被疑者や被告たちと同じような気がした。思い過ごしかもしれない。事前に神野や川辺から聞いているから、そんな気になったかも知れない。しかし吉川には、釈然としない疑惑を原口から感じ取っていた。
「警察は、何をやってるんでしょう。犯人が逮捕されているのに、もたもたしている。これじゃあ、叔父たちが浮かばれないじゃないですか」
 原口は、不服そうな顔をした。
 吉川は、原口の少し大げさな不自然な態度を見逃さなかった。それに、饒舌になっている。このまま言いたいことを言わせれば、ボロが出るかも知れない。
「そうですね。しかし、被疑者は否認しています。玄関以外に指紋も発見されていない事ですし、このままだと証拠不十分になるかも知れません」
「そんな…」
 原口は、唖然として、「指紋は、全部ふき取ったに違いない」と、語気を荒げた。
「玄関の指紋は?」
「きっと、狼狽えて玄関の指紋まで気が付かなかったんだろう」
 原口は、慌てたように、「とにかく、あいつが犯人に違いない」と、吉川を睨みつけた。
「ところで貴方は、犯行のあった時間新宿にいたそうですね」
 吉川は、原口の顔を見ながら尋ねた。
「まさか? 俺を疑っているのか?」
 原口は、吉川の顔を一瞬睨みつけたが慌てて平静を装うと、「行きつけのキャスパーという名の店だ。店長に聞いてもらえば分かることだ」と、答えた。が、顔は少し引きつっているように見えた。
「すいません。余計なことを聞いて」
 吉川は、素直に謝ったが、原口の顔の表情を見逃さなかった。
「分かればいいんだ。警察でも、散々聞かれた。真っ先に疑われるのは、俺だからな」
 原口は、物分りがいいと言いたいような口ぶりだが、ほっとしたような顔をした。

 吉川は、早速戻って恒たちに報告した。
「なんだかおかしいですね」
 川辺は、取材テープを見ながら首をかしげて、「神野さんが、正しいかも知れませんよ」と、複雑な顔をした。
「私も、そう思います」
 吉川は、川辺が自分の考えと同じだということが嬉しかった。
「さあ、化けの皮を剥がしてやろうじゃないか」
 川辺は、嬉しそうな顔をして、「他の局は、被疑者を実名で報道しています。他の局を出し抜けるかも知れません。凄いスクープですよ」と、嬉しそうな顔を恒に向けた。
「川辺君。少し不謹慎じゃないか?」
 恒は、川辺の気持ちが手に取るように分かったものの、被害者の顔を見てしまった自分には不謹慎に思えてならなかった。もちろん、報道に携わる者としては不謹慎などと言う言葉を使っていては、仕事にならないことも分かっていた。が、自分が犯行現場を否応なしに見せられて、助けることもできない歯がゆさが不謹慎と言う言葉に込められていた。
「そうかも知れません。が、我々だってジャーナリストの端くれです。ここは原口を徹底的にマークしましょう」
 川辺は、吉川に向き直ると、「いいか? とことん食らいついて尻尾を掴んでやれ。原口の身辺を、徹底的に探れ」と、命令した。
「はい」
 吉川は、嬉しそうに返事をすると、恒と川辺に頭を下げて自分の席に戻っていった。
「さっきの件だが」
 恒は、吉川の後姿を追いながら川辺に尋ねた。
「不謹慎ですか?」
「ああ」
「不謹慎ですよ。それぐらい分かっているつもりです。しかし、証拠をつかんだわけじゃない。我々にできることは、これぐらいじゃないですか」
 川辺は、少し困惑した顔で答えたが、「スクープは、ご褒美じゃないでしょうか。ちゃんと報道して、真実を暴いたご褒美です。そう思わないと、こんな仕事続けられないじゃないですか」と、言って笑った。
「そうだな。不謹慎かもしれないが、我々の立場で精一杯やってみようじゃないか。評価は自然についてくる」
 恒は、川辺の本心の一端を垣間見た気がした。お調子者で通っている川辺にしても、考える事は考えているんだと褒めてやりたい気分になった。
「行ってきます」
 吉川は、恒と川辺に挨拶をして、スタッフを連れて出かけようとした。
「何処へ行くんだ?」
「身辺調査ですよ」
 川辺の言葉に、吉川は元気良く答えて、「原口を調べてきます」と、付け足して慌てて出て行った。
「調子に乗って」
 川辺は、呆れた顔で吉川とスタッフたちの後姿を見ていた。

 次の日吉川は、殺害された老夫婦の近所に回った。辺りは、一軒家が目立ったが、老夫婦の家は、屋敷と呼ぶにふさわしい概観を備えていた。庭も広く、敷地の周りには高い塀がめぐらされており、数本の大木が歴史を感じさせた。秋の風が大木を揺らしている。吉川は、主のいなくなった大木を仰ぎ見ながらしばし感傷に浸った。
 吉川は、殺害された夫婦が住んでいた近所から取材を始めた。
 取材者の主婦は、戸口に立って気さくに話してくれた。
 被疑者が呆気なく逮捕され証拠もあったことから、他局の取材は警察に重点が置かれ被害者の近所にはおざなりの取材しかされていないようだった。
「家と土地それにマンションなど、建物だけでも十億以上になるんじゃない」
「そうですか。そうなると原口さんが、すべての遺産を相続するということになりますね」
 吉川は、控え目に相槌を打ってから、しめた! と言う気持ちになった。
 吉川の言葉に、主婦は少し戸惑ったような顔をしていたが、「確か、他にも親戚はいるみたいですけど…。遠い親戚のようで、遺産を相続できるかどうか?」と、お茶を濁した。

 吉川は、次に原口の近所に回ってみた。被害者の近所とはうって変わって古いアパートが立ち並んでいる都内のある下町の一角だった。
「すいません、テレビメトロですが、少しお話を伺いたいのですが」
 原口が住んでいるアパートからたまたま出てきた四十がらみの主婦に、吉川はマイクを向けた。主婦は、買い物に行くのか普段着のままだった。
「私?」
 主婦は、戸惑った顔をした。
「はい。殺害された若林さん夫婦の件で、お話を伺いたいんですが」
「親戚の、原口さんの事?」
 主婦は、原口の名前を出した。
「ご存知ですか?」
「知ってるけど、犯人は捕まったんでしょう」
 主婦は、困った顔をした。
「不謹慎な言い方かも知れませんが、多額の遺産が転がり込んでくるんです。今後の報道の参考にしたいので、原口さんについて、少し伺いたいんですが」
「いいけど」
 主婦は、そこまで答えてから、「あなた、疑ってるの?」と、声を落として尋ねた。
「そうじゃないんですが、被害者の家族のことを知っておきたいものですから」
 吉川は、お茶を濁してから、「原口さんは、どんな感じの方ですか?」と言って、主婦にマイクを向けた。
「あまり、いい評判は聞かないようね。道で会っても挨拶もしない。それに噂では、相当借金があるみたい。親戚が金持ちだから案外彼が犯人じゃないかって…」
 主婦は、まずいことを言ったと慌てだして、「でも、犯人は捕まったのよね」と、自分の考えを否定した。
「借金ですか…」
「これは、噂だから…。確かめたわけじゃないから…」
 主婦は、まずいことを言ったと後悔してお茶を濁した。
 何か知っているのかもしれない。それに、誰かに聞いたと言うことも考えられる。もしかしたら、生活が派手でそんな噂が立ったのかも知れない。吉川は、様々な可能性を考えてみた。
「何か、ご存知のことがありましたら教えてくれませんか? ご迷惑がかかるようなことはしませんから」
 吉川は、ここぞと思い粘ってみることにした。
「うわさよ。単なる噂。金と女が絡んでいるみたいよ」
 主婦は、三流ミステリーの台詞のような言い方をした。ご多分に漏れず、主婦と言う人種の特徴で好奇心旺盛だ。噂が本当で、ミステリーのような展開になることを望んでいるような気もした。
 単純に考えると、そのうち遺産は転がり込んでくるはずだ。なのに、何故殺す必要があるのだろうか? 単なる噂なのだろうか? それとも、どうしても殺さなければならない事情があったのだろうか? 吉川は、自分の勘が間違っていたのかもしれないと思い始めた。
 単なる思い過ごしではないのか? 神野さんや川辺さんは、疑っているものの思い過ごしと言うこともある。
 被疑者は、逮捕されて拘留されたままだが自白はしていない。その日は、自宅でテレビを見ていたと主張は一貫している。しかし、誰も、被疑者を見ていないことでアリバイは無いに等しい。テレビの音は聞こえたという隣人の証言にしても、テレビをつけっぱなしにしていたと指摘されればアリバイにはならない。
 原口と、被疑者との関係も微妙だ。
 原口の証言によると、被害者の依頼で屋敷のリホーム業者を探していて被疑者と知り合ったそうだ。
 被疑者の話では、リホームの話はもっぱら原口と話しており、被害者宅を訪れた際にもリホームの話は無くただ原口の知人という紹介だけだった。犯行のあった日は、被害者がリホームを承諾したら連絡するから自宅で待っていろと言うことだった。自宅のアパートでごろごろとしていた被疑者は、警察の任意同行に同意して警察で指紋を取られた直後に逮捕された。
 警察の発表では、被害者を殺した後で恐ろしくなって何も取らずに逃げ出したことになっている。金庫を開けることができなかったが、他にも金目の物があったはずなのに、何も取らずに逃げたということになっている。人を二人も殺しておきながら、何も取らずに逃げるだろうか? 逮捕したときも驚いた顔はしたものの人を殺した直後にしては、落ち着いていたということを担当の刑事から聞いていた吉川は、考えあぐねた。
「もういいの?」
 主婦は、痺れを切らして尋ねた。
 吉川は我に返ると、「はい。ありがとうございました」と、慌てて答えて頭を下げた。

「どうです?」
 吉川は、取材したテープを恒と川辺に見せながら尋ねた。
 川辺は、腕を組みながら、「なんとも言えないね」と、言って溜息をついた。
 吉川は、少しでも原口に対する疑いが出てきたのに、と思いながらも、「駄目ですか…?」と、落胆した。
「ワイドショーなら面白いんだが、ニュースじゃあねえ」
 川辺は、腕を組んだまま答えた。
「ワイドショーでやってもらおう」
 恒は、提案したが、「もちろんこれだけでは、不十分だ。ウラを取る必要がある」と、付け加えた。恒は、無責任なワイドショーのおかげで被害にあった人間のことを考えた。
「ウラですか?」
 吉川は、少し考えてから、「分かりました」とあっさりと同意した。
「君。分かっているのか?」
 川辺は、吉川があっさり同意したことに少し不安を覚えた。
「原口のアリバイを、もう一度洗いなおしてみます。それから原口の他に、遺産を相続できる人間が存在するか調べてみようと思います」
 吉川は、川辺に向かって物怖じせず答えたが、あることを思い出して、「さっきの取材にあったように、遠い親戚という言葉が気になるんです」と、付け加えた。
「どういうことだね?」
 川辺は、ぽかんとした顔で吉川に尋ねた。
「もし取材した主婦が、隠し子に会ったとしたら? 被害者は、咄嗟に遠い親戚だと答えたかもしれないと思ったからです」
 吉川は、自信の無い顔をしながら答えた。
「隠し子!?」
 川辺は、驚いて大声を出した。
「自信があるわけじゃないんですが…」
 吉川は、更に自信の無い顔、いや、困った顔で川辺を上目遣いに見た。
「可能性は、あるわけだ」
 恒は、吉川の言葉を受けて腕を組んだ。吉川の考えたことは、何の根拠も無いが、調べる価値はあるかも知れない。
「はい。駄目元で、調べてみます」
 吉川は、恒の言葉で少し元気になって、「原口が犯人だとしたら、犯行を急いだ理由になるかも知れません」と、付け加えた。
「なるほど」
 川辺は、頷いた。
「他にも、借金や異性関係を調べるつもりです」
「どうです?」
 川辺は、吉川の言葉にほっとした顔になると恒に尋ねた。
「いいだろう」
 恒は、同意したが、「無理はしないように。くれぐれも、行き過ぎた取材は慎むように」と、釘を刺した。そこには、まだ自分が見た夢? が信じ切れていない自分がそこにあった。原口が犯人でなかったときに、行き過ぎた取材で本人を傷つけたら…。という想いがあった。
「大丈夫です」
 吉川は、頼もしそうな顔をしたが、「もし、原口が犯人だとしたら、何故玄関に被疑者の指紋が残されていたのでしょうか」と、少し弱気になった。
「原口が、被疑者の指紋だけを残して、被害者が掃除したように見せかけたんじゃないかな」
 川辺は、頭に浮かんだ考えをそのまま口に出した。
「そうか。そうすれば納得がいく」
 恒は、川辺の言葉に納得したが、「警察だって、それぐらい考えているんじゃないかな」と、考えた。
「そうですが…」
 川辺は、頭に浮かんだことをそのまま言葉にしたことを少し後悔した。
「川辺さんの言うとおりだとしたら、アリバイを崩さないと。アリバイを、洗いなおします」
 吉川は、頭を下げて、「さっそく、取り掛かります」と言って、自分の席に戻って行った。
「明日でいいよ」
 川辺は、珍しく優しい声を掛けた。
「明日は、被害者の告別式ですよ」
「他のクルーを回すから、君は、原口に張り付いていればいい」
 川辺は、そう言って笑った。

 次の日(水曜日)の午後三時過ぎに吉川は、新宿にある原口の行きつけだというキャスパーという名の店の前に立っていた。歌舞伎町にある少し洒落た店構えの小さなバーであった。外には看板は無く、ドアに準備中の札が掛かっており、開店前でひっそりとしていた。
 警察は、真っ先に事情を聞きに行ったに違いない。吉川は、バーの事を調べることを考えた。何処かで、暴力団と繋がっていないかと考えたからだ。
ちょうど向かいに喫茶店を見つけた吉川は、喫茶店に入るとバーが見渡せる席に座り、ビデオカメラを忍ばせた鞄を向かいのバーの入り口に向けた。このまま、開店までの時間様子を見ることにした。

「キャスパーの中に入ろうかと思ったんですが、原口が入っていくのを見てやめました。私は、面が割れていますから…」
 吉川は、局に戻ってビデオを見ながら恒と川辺に報告した。
「そうだな。感づかれたら、元も子もない」
 川辺は、いつものように腕を組みながら溜息をついた。
恒は、少し考えて川辺を見つめた。気が付いた川辺は、驚いた顔をして、「まさか…」と、恒を見つめ返した。
「君は、面が割れていない」
 恒の言葉に吉川は、「そうですよ。川辺さんならうってつけです」と、乗り気になった。
「私が…?」
 川辺は、呆気に取られた。
「川辺君。行ってくれないか?」
 恒は、真剣な顔になった。
「そんな…。どうやったらいいかも、分からないんですよ」
 川辺は、困った顔をした。
「川辺さんだって、昔は取材したでしょ」
 吉川は、川辺の困った顔を複雑な顔で見た。
「それが…。取材は苦手で、いつも怒られていた。それに、畑が違う。私は、芸能専門だったから」
 川辺は、昔のことを思い出してため息をついた。今更のこのこ出て行っても、足手まといになるだけだ。
「でも、面が割れていないんです。それに、どう見ても普通のおじさんにしか見えません」
「それって、褒めてくれているのかね?」
 川辺は、嫌な顔を吉川に向けた。
「すいません…。ただ、普通の会社員に見えると言いたかっただけです」
「部長に、見えるかね?」
 川辺は、少し機嫌を直して吉川に尋ねた。
「え…」
 吉川は、一瞬呆気に取られたが、「勿論ですよ」と、川辺を持ち上げた。
「まあ、いいだろう」
 川辺は、吉川に同意すると、溜息をついて観念したが、恒に向かって、「自信は、ありませんがやってみます」と、珍しく弱気な声で答えた。

 次の日の夕方吉川は、以前取材した被害者宅の近所の主婦に取材を始めた。
「あの、以前仰っていた若林さんの遠い親戚の方のことなんですが、被害者から何か聞いていませんでしたか?」
 吉川は、尋ねてからマイクを主婦の口の前に持っていった。
「紹介されたことがあるの」
 主婦は、答えてから、「たまたま、若林さんのお宅の前を通ったら、知らない女性がご主人と何か真剣な話をしていたようだったの」と、付け加えた。
「女性ですか?」
「ええ。若い子だったわ。名前は確か…」
 主婦は、思い出そうとて少し沈黙してから、「そう。たしか、名前はいわなかったけど、中川という苗字だったわね」と、思い出せたことでほっとした顔になった。
「どちらにお住まいか、お聞きになりましたか?」
 吉川は、被害者がそこまで主婦に言ったか確信がもてなかったものの念のために尋ねた。仕事だけでも分かれば、探す手立ては残されている。
「いえ。ただ、病院の看護婦、今は、看護師ね。看護師をやっているって言ってました。病院は、東洋医大病院。有名な病院だから覚えているのよ」
 主婦の言葉に、吉川はしめた。と、思った。これで、特定できる。もし、若林の隠し子だった場合は、原口が若林夫婦を殺害する動機になったかもしれない。吉川は、「ありがとうございました」と、丁寧にお辞儀をすると主婦の家を後にした。

 一方川辺は、夜八時ごろキャスパーにぎこちなく入っていった。まるで、マリオネットの人形のように。いったいこんなことをするのは何十年ぶりだろうか? と、考えながらICレコーダーを忍ばせたスーツの内ポケットを気にしながら、普通のサラリーマンに見えるだろう。と、自分に言い聞かせた。
 キャスパーの店内は、少し暗かったものの、外から想像するより広く感じた。奥行きもあった。右側にカウンターがあり左側に四人がけのテーブルが二席と一番奥に二人がけのテーブルが一席あった。客は、奥のカウンターに一人、中央の四人がけのテーブルに二人の計三名だった。川辺は、カウンターに座っている男が原口だと分かって、少したじろいだ。
「いらっしゃいませ」
 バーテンが、川辺を見もせず原口のグラスにウイスキーを注ぎながら、愛想の無い声で川辺を迎えた。まだ二十代前半か若いバーテンだった。
 川辺は、辺りを見回してから、カウンターの真ん中の席に座った。
「ご注文は?」
「そうだな…。ロック。いや、水割りでいい」
 川辺は、そう言うと、「あまり深酒すると、女房に怒られるんで…」と、取り繕うような言い方をした。
「女房が、怖いのか?」
 もう出来上がってるのか、原口は川辺に声を掛けてきた。
 川辺は、しめた! と思ったが、顔に出さないように、「あなたは、怖くないんですか?」と、逆に尋ねた。
「お待ちどう様」
 バーテンは、川辺の前に水割りを置いてから、「良さん。初めてのお客さんに、失礼じゃないか」と、少し語気を荒げた。
 川辺は、「大丈夫ですから。一人で飲むより話し相手がいたほうがいい」と、バーテンに告げた。
「俺は、独身だ」
 原口は、バーテンと川辺の言葉には耳を貸さずに川辺に顔を向けた。
「じゃあ、あなたに分かるはずが無い」
 川辺は、本当に怒らしたらまずいと思いながらも、女の話が出ることを期待しながら逆に尋ねた。
 バーテンは、いつもの事なのか何も言わずに二人から離れた。
「そんなことは無い。俺は、女には不自由しない」
 原口は、据わった眼で川辺を見た。そのとき、ドアが開いて、二人連れの客が店内に入ってきた。
「いらっしゃい」
 バーテンは、愛想の無い挨拶をして二人連れの客を見たのか、「お疲れ様っす」と、付け加えた。
 お疲れ様? 川辺は、まさか? と思いながら下手に客を見たらまずいかもしれないと思い、「羨ましいものですね」と、原口との会話を続けようとした。
「なんだ、あんたらか」
 原口は、新しい客に向かって、据わった眼で辟易したような顔をした。
「お知り合いですか?」
 川辺は、新しい客を見ながら、「じゃあ」と言って席を代わろうとした。二人の客の一人は、普通のスーツ姿で川辺と同じぐらいの歳に見えた。もう一人は若く、派手なスーツ姿でネクタイをしておらずチンピラ風の男だった。
「それには、及ばないですよ」
 年かさの男は、川辺の肩に手を置いてから、「話がある。ちょっとそこまで付き合ってくれないか」と、原口に向かってやんわりと、しかし、有無を言わさない迫力で言った。
 原口は、少しためらった様だが、「分かったよ」と、言いながら渋々席を立って、「つけといてくれ」とバーテンに言うと、少し危なっかしい歩き方で入り口に向かった。
「邪魔したな」
 チンピラ風の男は、バーテンを見もしないで捨て台詞のように言った。
「いえ」
 バーテンは、少しおどおどした口ぶりで答えた。川辺は、なんだかテレビの二時間ドラマの世界に飛び込んだような気がした。お約束の、組の幹部と部下のチンピラ。連れ出そうとしているのは、犯人の可能性のある男。明日になれば、パトカーのサイレンが鳴り響いて、原口の死体が横たわっている。
 川辺は、そんなテレビの一シーンを想像しぞっとして少し体が震えた。このまま放っておいたら、殺される? まさか。これはテレビじゃない。さすがに、そんな事にはならないだろう。と、思い直すと水割りのグラスを手に取った。原口と二人の男は、川辺がそんなことを考えている間に店を出て行った。
「そう言えば、今出て行った客、どっかで見たような気がするんだがな」
 川辺は、バーテンに聞いてみることにした。
「資産家が殺された事件、知ってますか?」
 バーテンは、うっとうしそうな口ぶりで川辺に尋ねた。
「知っている」
 川辺は、答えた後に、「そういえば、テレビに出ていたな。犯人が捕まったのに、自分が疑われているようなことを言っていた」と、バーテンに言った。
「ええ」
 バーテンは、頷いてから、「一応アリバイがあるみたいなんですが」と、おかしなことを言った。
「一応?」
 川辺は、歯切れの悪い言い方をしたバーテンの顔を困惑した顔で尋ねた。
「この店にいたというんです」
 バーテンは、人事のような顔をした。
「だって、あんた…!」
 川辺は、驚いた顔のままバーテンを見た。思わず声が大きくなった。川辺は、テーブルに座っている客に視線を向けた。客は、もう出来上がっているのか、頭を下げて居眠りをしているようだった。
「ここだけの話ですよ」
 バーテンは、声を落として顔を川辺に少し近づけると、「私は、その時休みだったんです」と、言った。
 川辺は、呆気に取られた顔をバーテンに向けた。
「店は、開けてましたよ。しかしオーナーは、原口さんと仲が良かったし、組の息も掛かっていますから…」
 バーテンは、言い過ぎたと後悔したのか最後まで言わず黙ってしまった。
 川辺は、最後まで話しを聞こうとしたが、組と言う言葉を聞いて怖気づいてしまった。バーテンは、後悔したのか川辺から離れてしまった。川辺は、気まずい雰囲気を感じてそれ以上聞けなかった。バーテンは、自分が余計な事を言ったばかりに…。との自責の念がこみ上げてきた。これ以上余計なことを言ったら、自分の身に災いが降りかかるような気がした。
 組の息が掛かっているということは、偽証した可能性もでてくる。川辺がそんなことを考えていると川辺の携帯が鳴った。
 川辺は携帯に出た。相手は、吉川だった。
(取材が、早く終わったので来て見ました。前の喫茶店にいます。原口たちをバッチリ撮りましたよ)
 吉川は、得意げに告げた。
「そうか。今から行く」
 川辺は、ほっとして携帯を切った。
 バーテンは、初めての客がこれで帰るとほっとしたような顔をした。これで、これ以上余計なことを言わなくて済む。
「ご馳走様」
 川辺は、バーテンに礼を言うと5,000円札を渡して、「つりは要らない」と言って、店を後にした。
「ありがとうございました」
 バーテンの、ほっとした声が川辺の背中に聞こえてきた。

 川辺が向かいの喫茶店に駆けつけると、吉川は立ち上がって川辺を迎えた。
「で、あっちの方はどうだった?」
 川辺は、吉川の前の席に座りながら切り出した。
「判りましたよ」
 吉川は、そう言って座りなおすと、「中川と言う若い女性です」と告げた。
「名前だけか…」
 川辺は、少しがっかりした。
「そんな…。東洋医大病院の看護師だから、調べれば直ぐにわかりますよ」
 吉川は、不本意だという顔になって、「明日朝にでも確認します」と言った。
「そうか。良かった。ご苦労様」
 川辺は、ほっとして、ねぎらいの言葉をかけた。
「ところで、原口と一緒に出てきた二人の男は、龍頭組の幹部とチンピラですよ」
 吉川は、声を落として川辺に報告した。
「龍頭組!?」
 川辺は、驚いて少し大きな声を出して、慌てて口を塞いだ。
「はい。以前取材したときに、ちらっと顔を見たのを覚えていました」
 吉川の言葉に川辺は、さっきの不安が頭をよぎった。
「どうしました?」
 吉川は、川辺が顔色を変えたことに驚いて尋ねた。
「話があるといって、原口を連れ出した。まさか、殺されるようなことはないだろうな」
 川辺は、さっきの不安を口に出して、「それに、アリバイを証明したのは、組の息が掛かっているあの店のオーナーだということが分かった」と、付け加えた。
「まさか。原口が犯人だったら、金のなる木じゃないですか」
「そうだよな」
 川辺は、何故かほっとしている自分に驚いた。もし、原口が犯人で、組とのトラブルで殺されてしまったら、自業自得だろう。しかし、後味が悪くなるような気がした。

 土曜日午後の東洋医大病院は、外来の診察も終わりひっそりとしていた。吉川は、指定された大学病院の七階のレストランで中川かなえを待っていた。
 昨日の朝病院に電話をして、取材の申し込みをしたものの中川は、その日は夜勤明けで休みだった。仕方なく自分の携帯の番号と、取材内容を告げて電話が掛かってくるのを待つことにした。土曜の朝には出勤するという事だったが、昨日の夜八時頃に電話が掛かってきた。取材内容は、別の話についてだった。中川の看護に感激した、患者の投書についての取材だという当たり障りの無い内容だった。
 職場の友人に用事があって、電話を掛けたところ取材の件を聞いたそうだ。が、断りの電話だった。吉川は、粘った。やっと、顔を出さないこと。一人で来ることを条件に取材に応じると言って時間を指定された。
 吉川は、電話の内容から頑迷な神経質そうな女性をイメージしていた。
「吉川さんですか?」
 若い白衣の女性が、声を掛けてきた。
 吉川は、「はい」と、答えると、立ち上がって、「あなたが、中川かなえさんですか」と尋ねた。
「はい」
 かなえは、頷いた。
「私は、テレビメトロの記者で、吉川良太と申します」
 吉川は、名刺をかなえに差し出した。
 かなえは、名刺を丁寧に受け取ると名刺をゆっくりと見てから胸ポケットにしまうと、「どうぞ」と、吉川に座るように促して、吉川が座ってから自分も前の席に座った。
 吉川は、かなえを見ながら自分が勝手にイメージしていたのと大違いな、かなえの姿に思わず、「しかし、おどろいたなあ」と言ってしまった。
「どうかしました?」
 かなえは、吉川の言葉に呆気に取られた。
「昨日の電話から、もっと神経質な女性をイメージしていたんですが、こんな美人だとは…」
 吉川は、また余計な事を言ったと後悔した。
「そんなことは…」
かなえは、謙遜していたがまんざらでもない顔をした。が、「いつも、取材するときには、相手にお世辞を言うんですか?」と、真面目な顔になった。
「そんなことはありません」
 吉川は、否定してから、「ところで、本題に入りたいんですが」と、言葉を続けた。吉川は、取材用のICレコーダーを取り出してテーブルに置くとスイッチを入れた。写真は、取材を終えてから撮っていいか聞くことにした。
 かなえは、吉川を心細そうな顔をしながら少し身構えて無言で見ていた。
 吉川は、かなえから少し視線をはずし、「資産家の老夫婦が殺されたことはご存知ですね」と言ってから、かなえに視線を戻した。
「はい」
 かなえは、素直に答えたものの、困惑した顔になり、少し経ってから、「でも、取材の内容がちがいます…」と、鋭い視線を吉川に向けてきた。
 吉川は、一瞬たじろいだが、「すいません。嘘をついたことは謝ります。実は、あなたが殺された資産家の子供じゃないかと思いまして、こうして取材しに来たんです」と、少し声を落として尋ねた。
 かなえは、一瞬驚いて吉川の顔を見たまま固まってしまった。
「もし、迷惑なら報道は控えるつもりです」
 吉川は、かなえの気持ちが分かるような気がした。
 隠し子であれば、世間の無責任な視線が集まる。莫大な遺産をめぐって、噂やいわれの無い中傷や非難を浴びかねない。彼女の責任ではない。資産家が殺されなければ、別の結果になったことだろう。
 隠し子でなければ、こんな迷惑な話は無い。無責任なマスコミに弄ばれて、結局彼女の仕事や生活をかき回すだけかき回されてすぐに忘れ去られる。この取材が空振りに終わっても自分だけは、無責任なマスコミではなく真実を報道するジャーナリストに徹そうと思った。
 かなえは、吉川の顔を真剣に見ていた。それは、吉川が信頼できるかどうか探っているようであった。吉川は、かなえの視線を真剣な眼で受け止めた。
「分かりました。お答えします」
 かなえは、そういうなり、「貴方の、考えている通りです」と、伏目がちに答えた。
「やはり…」
 吉川は、自分の考えが当たっていたことを素直に喜べなくなっていた。自分の報道で、一人の女性の将来を左右させかねないと思ったからだ。
「でも、DNA鑑定をしたわけじゃないので、本当のところ困惑しています」
 かなえは、看護師という職業柄慎重に答えた。
「その事を、原口さんは知っていますか?」
「さあ。私には、分かりません」
 かなえは、首を振った。が、「若林さんは、原口さんという甥がいると言っていました。『出来損ないだけど、根はいいやつだ。幾らか遺産を残してやらないとかわいそうだ。納得してくれ』とも、言っていました」と、自分の聞いたことを素直に口に出した。
 吉川は、『若林さん』と呼んだかなえの気持ちが分かるような気がした。いくら父親だといっても、成人してからはじめて聞かされて彼女も困惑しているのであろう。もしかしたら、遺産相続のごたごたに巻き込まれるかもしれないことを迷惑に思っているのかもしれない。そんな気がした。
 殺害された若林にしても、原口のことも考えていたのだろう。原口が犯人の場合、この話を聞いていったいどんな顔をするのだろうか。興味が沸いてきたが、興味本位で報道するような無責任なことは慎まなければならないと自分に言い聞かせた。

 恒と川辺、それに吉川の三人は、テレビメトロのワイドショーを見ていた。自分達が取材した内容がコマーシャルの後にスクープとして取り上げられる。

「さて、過日発生しました、杉並の資産家夫婦殺害事件ですが、我々は、新しい真実を突き止めました」
 メインキャスターのベテランアナウンサーの金森正一は、もったいぶった言い方をして、少し間をおいた後に、「新しい真実とは、被害者に別の遺産相続人がいるかも知れないということです」と、カメラに向かって訴えかけるように言った。
 話を知らされていないコメンテーターたちは、少しざわめいて、「どういうことですか?」と、コメンテーターの一人で弁護士の早野が尋ねた。
「今まで、相続するのは甥の男性の一人だけと思っておりましたが、実は、隠し子がいたということが、我々の取材で判明しました」
「隠し子…?」
 早野は、困惑した顔になり、「そうなれば、法的には、甥の男性には相続権がなくなるはずです」と、答えてあることに気が付いた。遺産をめぐって、甥が殺人をした? 被疑者は逮捕されたままだ。あまりの突飛な考えに、早野は口をつぐんだ。
「仮に、A子さんとします。早野さんが仰ったように、常識的には相続権がなくなりますが、A子さんによると被害者は、甥の男性にもある程度の遺産を残すつもりだったそうです」
 金森は、吉川が取材した内容をありのままではなくかいつまんで事実だけを言った。

「なんか、物足りないですね」
 川辺は、画面を見ながら首をかしげた。
「かなえさんに、迷惑が掛かったら大変じゃないですか」
 吉川は、少し熱く語ってしまった。実名も金森には伝えていない。
「まさか? 惚れたか?」
「そんなんじゃありません」
「これで、いいんじゃないか? 病院にカメラを持って押しかけたんじゃ、誰だかすぐに分かってしまう。それに、ヤクザが関係しているかも知れないとなると」
 恒は、自分たちの報道でかなえに身の危険が及ぶかもしれないと思った。他にも、無責任な視聴者にいわれのない中傷や非難を受けることになるかも知れない。無責任な報道で一般の市民に身の危険が及ぶことが辛かった。
「そうですが…」
 川辺は、まだ物足りない顔をしていた。
 ワイドショーは、言葉や映像それに写真など、かなえを特定できるようなものは一切使わずに、取材した事実だけを淡々と報道していた。原口に対しても、実名は避けて疑惑があるという様な事も一切報道しなかった。取材した事実だけを報道する事に撤していた。

 ワイドショーでかなえの事が報道された次の日から吉川は、原口をつけ始めた。まだ半信半疑ながら、原口が犯人だという可能性が捨て切れなかったからだ。
 次の日の水曜日の午後も吉川は、原口の後をつけていた。原口は、定職に付いていないようで朝からパチンコをして、午後一時半ごろ定食屋で遅い昼食をとると、新宿の繁華街をうろうろしていた。
 吉川は、いきなり肩を叩かれて驚いて振り返った。
「こんな所うろうろして、テレビ局はよっぽど暇なんだな」
 肩を叩いた男は、笑いながら小声で言った。が、眼は笑っていなかった。
 吉川は、その男を見て凍りついた。原口と一緒にキャスパーから出てきた、チンピラだった。キャスパーから出てきたもう一人の幹部も、チンピラ風の男の後ろで立っていた。
「ある事、ない事、言いやがって」
 チンピラは、吉川の胸倉を掴みながら凄んでドスのきいた声を出した。
 吉川は、のけ反りながらも、「事実を報道したまでです」と、やとのことで答えた。
「何!?」
 チンピラは、胸倉を掴む手に力を入れて、「うろうろされては、困るんだよ!」と、もう一度凄んで見せた。
「きょうすけ。その辺でいいだろう」
 幹部は、男の名前を呼んで、「吉川さんも、そんなに物分りが悪いほうじゃなさそうだ」と言って柔和な顔になった。
 チンピラは、吉川の胸倉からぞんざいに手を離すと、「運のいい奴だ」と、言ったものの鋭い視線を吉川に向けるのも忘れていなかった。吉川は、「ふうっ」と、溜息をついた。
「お分かりでしょうね。何の罪もない一般人に、これ以上迷惑をかけちゃいけない。今日は、私が一緒だから良かったですが、いつも私がいるとは思わないで下さい」
 幹部は、やんわりとした口ぶりで吉川を恫喝した。
 吉川は、古い手口だと呆れたもののどう答えていいか考えあぐねてしまった。下手に、同意する訳にもいかず。かといって、このまま突っぱねたらこの後の展開がどうなるか?
「そこまでだ」
 その時、近くで何処かで聞いた男の声がした。咄嗟に声のするほうを振り返った吉川は、顔見知りの近藤刑事が目の前に現れたことに驚いた。
「脅迫の、現行犯で逮捕する」
 近藤が二人の男に告げると、二人の男の前に数人の刑事が群がった。二人の男は、呆気なく逮捕されてしまった。
「テレビ局は、こんな所でヤクザと遊んでいるほど暇なのか?」
 近藤は、呆れた顔をした後に笑ったが、眼は笑っていなかった。
「近藤さん。取材ですよ」
 吉川は、近藤に言ったが、「まさか…」と、近藤を驚きの目で見た。
「どうせ鞄の中には、ビデオカメラが入ってるんだろう」
 近藤は、吉川が持っていた鞄を見逃さなかった。
 吉川は、近藤の質問には答えずに原口の方を見た。鞄は、原口に向けられた。原口は、この光景を見たのだろう。慌てて逃げ出そうとして走り出した。その直後に、スーツを着た二人の男が原口の前に立ちふさがり、後ろから三人のスーツ姿の男が原口から少し離れたところに立っていた。
「警察も、馬鹿じゃない」
 近藤は、そう言いながら、「モザイクを忘れるな」と言い残して、スーツ姿の男たちに近づいていった。吉川は、鞄から急いでビデオカメラを取り出すと原口に向けた。やはり、警察も原口をマークしていたんだ。吉川は、ズームで原口の姿を画面いっぱいに捉えた。原口は、動揺を隠せない顔をそのまま刑事たちに向けた。次の瞬間、原口の手には手錠がかけられた。刑事の一人が、腕時計を見ながら何か言った。午後二時三十五分被疑者確保。と、言っているに違いない。吉川は、突然の逮捕劇に声が取れなかったことを後悔したものの、いい画が撮れたことを喜んだ。凄いスクープだ!
 刑事たちは、原口と二人の男を警察の車に押し込んでから、数台の覆面パトカーに分乗して直ぐに吉川の視界から消えた。何時の間に? 吉川は、警察の手回しのよさに驚いた。
 近藤は、覆面パトカーには乗らず無言で見送ってから吉川の方に向かってゆっくりと歩いてきた。
 吉川は、一部始終をビデオカメラに収めることができた。が、近藤が近づいてくるのをぼんやり眺めていた。俺に何か言いたいのだろうか?
 近藤は、吉川の近くまで来て、辺りを見回してから吉川に向き直ると、「おまえさんだけのようだな」と、言って笑った。今度は、眼が笑っていた。
「我々だって、被害者の弁護士から遺書を見せてもらって中川かなえの存在には気づいていたんだ。それに、キャスパー。おかげで、暴力団を逮捕するおまけ付だ」
「そういえば、かなえさんは被害者から、『出来損ないだけど、根はいいやつだ。幾らか遺産を残してやらないとかわいそうだ。納得してくれ』と、言われたそうです」
 吉川は、かなえから告げられたことを近藤に話した。もちろん、テレビでは報道されている。しかし、近藤に直接話したくなった。
「そうか。君にも言ったのか」
 近藤は、しみじみとした口調で言うと、吉川の肩をぽんと叩いてから背を向けて、「礼をいう。ありがとう」と言って去っていった。吉川は、近藤の後姿を呆気にとられた顔で追った。何の礼だ? 中川かなえを匿名で報道したからなのか? 近藤は、振り返らずに右手だけを上げた。

 警視庁杉並中央署の会見場には、多くのテレビ局や新聞記者たちが詰め掛けていた。吉川も、原口が逮捕されたことを川辺に報告した後で他のクルーたちと合流して警察署に向かった。吉川の報告で、テレビメトロは各社に先駆けてテレビの画面にテロップを流すことができた。

「過日杉並区で起きました、資産家夫婦殺人事件で、本日午後二時三十五分被疑者原口良介。三十二歳、無職を、逮捕しました」
 杉並中央署の署長は、淡々とした口ぶりで語った。
「奥野・さ・ん・じゃなかった」
 奥野を実名報道したほかのテレビ局や新聞社に、驚きのざわめきが起こった。知らず知らず名前に『さん』を付けていた。
 吉川は、他のテレビ局や新聞社のうろたえようを複雑な顔で見ていた。自分たちだって、恒さんの言葉が無ければ実名報道に踏み切っていただろう。そうして、冤罪を作り上げていたかも知れない。
 署長は、そんな報道陣の想いを意に介さないように、「原口の共犯として、龍頭組幹部、西川智也、構成員の佐藤恭介の二名も同時に逮捕しました」と、続けて言った。
「共犯? どういう事ですか? 単独犯じゃなかったんですか?」
 吉川は、思わず発言した。他の報道陣は、まだ立ち直ってはいないのか、呆気にとられて吉川に視線を注いだ。
「はい。実行犯は、西川智也と佐藤恭介の二名。原口は、遺産が入った後に、多額の報酬を約束していたそうです」
 感情を殺した警察署長の言葉に吉川は、中川かなえの困惑した顔を思い出した。

「こんばんは。ニュースセブンの、芥川です」
 芥川は、孤独死報道のときのように、キャスター席の前に立ってお辞儀をした。
「資産家夫婦殺人事件で、被疑者が逮捕されたときに我々は、実名報道を控えました。本日容疑者が逮捕されたことにより、被疑者が犯人ではないことが判明しました」
 芥川は、いったん言葉を切るとテレビカメラに向かって、「わが局の報道が正しく、他局の報道が間違っていたと主張するつもりはありません。ただ、様々な出来事に対して、人間はあまりにもミスを犯しやすい。
 犯罪捜査で、被疑者が実名で報道されたあとに嫌疑が晴れた場合でも、世の中はいったん被疑者になった人に対する差別のようなものが存在することも事実です。我々は、そのようなことが無いように、これからも報道に係わる者として戒めていきたいと思います」と、独白するような言い方をしてもう一度頭を下げた。

 恒は、吉川から実行犯は原口ではないと聞かされて自分の見た事が真実でなかったことに少し驚いた。が、若林さんには、犯人が判っていたのかも知れない。と、思い直した。あの男の恐ろしい顔は、自分の肉親を殺すという狂気じみた犯行を暗示していたのではないだろうか。
 叔母は、やはり…。恒は、自分の能力について確信のようなものを持ち始めた。しかし、自分に備わった能力が、恐ろしくもなった。この先、何人の悲痛な訴えを見たり聞かなければならないのだろうか? 今までは、自分の身近で起きたから対処もできた。これが、遠いところであればどうすれば良いのだろうか? 知ってしまった以上、放っておくわけにはいかないだろう。恒は、その時はその時だと思い直して考えることをやめた。

 吉川は、かなえから聞いたことを近藤に告げたものの、返事が返ってくるとは思わなかった。が、次の日近藤から、吉川の携帯に電話が掛かってきた。
「どうでした?」
 吉川は、気になり尋ねた。
(それが、泣き出した。後悔したようだが、今となっては遅い。おかげで取調べは、はかどった。礼を言う)
 近藤は、素直に礼を言って電話を切った。
 吉川も電話を切ると、「近藤刑事からでした。原口は、泣き出したそうです。後悔しているようです」と、節目がちに恒と川辺に告げた。
「そうか…」
 川辺は、いつものように腕を組んで、「なんかやりきれないですね」と、恒に向かって呟いた。
「はい。特ダネを取ったはずなんですが、何だか心の底から喜べないんです」
 吉川は、浮かない顔だった。
「それでいいのかも知れない」
 恒は、そう言うと、振り返った二人に、「人間は、過ちを犯すものだ。彼は、我々の想像できないほど後悔したのかも知れない。我々は、ただ真実を伝えるだけではなく人の心を伝えるよう努力しなければならないかも知れない。特ダネを取るよりも、地道に真実と人の叫びを報道するのが我々の役目ではないだろうか」と言って、真剣な顔になった。もちろん、答えなんかない。
 ただ、我々の真摯な態度と情熱だけは視聴者に分かってもらいたい。恒は、どんな結果になろうとも最後まで責任を取らなければならないと、想いを新たにした。

 吉川は、数日後かなえの元を訪れた。前回のように大学病院の七階のレストランで待ち合わせした。
「この前は、ありがとうございました。おかげで事件を解決できました」
 かなえが現れると、吉川は立ち上がって礼を言って頭を下げた。
「いいえ。私はなにも…」
 かなえは、少し戸惑った顔をして、吉川の前の椅子に座った。
 吉川が席に座るのを確かめてから、「今日は、それだけのためにいらしたのですか?」と、少し身構えて尋ねた。
「はい」
 吉川は、あっさり答えたが、「あなたは、若林さんの唯一の相続人になったんです。できれば、今の気持ちを聞きたいと思ってお伺いしました」
 吉川は、周りを見ながら小声で単刀直入に話を切り出した。
「報道するのですね」
 かなえは、目を伏せて少し顔を下げた。
「まだ、判りません」
「どういう意味ですか?」
 かなえは、吉川の答えに戸惑った顔を向けた。
「私は、真実よりも重いものを見つけたんです」
 かなえは、吉川の言葉に何故? と言う代わりに少し驚いた顔をした。
「それは、人権です。人の心と言い換えてもいい」
 吉川は、かなえが困惑した顔になるのを見て、「事件ではないんです。いくら真実を報道したところで、あなたが世間のいわれない好奇な視線にさらされる危険があれば、報道するつもりはありません」と、自分の想いをありのままに伝えた。
「では、何故?」
 かなえは、吉川の真意が判らなかった。何故、私に会いに来たのだろうか。
「私の、個人的な想いからです」
「個人的?」
 かなえは、戸惑った顔になった。
「今まで報道してきましたが、最後にあなたがどう思われているのか確かめたくなっただけです。そうしないと、本当に事件は終わりにならないような気がしたんです」
 吉川は、かなえが戸惑った顔のまま自分を見ていることに気が付き、「もちろん、あなたが拒否すればこのまま帰ります」と、かなえの気持ちを察して言葉を付け加えた。
「本当のところ困惑しています。まだ答えは出していません」
 かなえは、もう一度目を伏せた。
「判りました」
 吉川は、立ち上がると、「ありがとうございました」と言って、頭を下げた。
「もういいんですか?」
 かなえは、呆気ない結果に驚いた。肩透かしを食ったような気持ちになったが、潔い吉川の態度に少し好感を持った。
「はい。これから先は、あなたの個人的なことです。私がどうこう言う問題ではありません。正義や真実という、一方的な事を押し付けるつもりはありません」
 吉川は、そこまで言って少しためらった後に、「できれば、病院以外の所でゆっくりとお話したいと思っています」と、念のためもう一度自分の名刺をかなえに渡した。名刺の裏には、吉川の自宅の電話番号と個人の携帯番号が手書きで書かれていた。かなえは、裏の電話番号に気が付いた。
「いつでもいいですよ。あなたの都合のいい時間に、できるだけ合わせますから」
 吉川は、かなえに向き直ると、もう一度頭を下げてレストランを後にした。

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