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へらへら笑ってろ(双極性障害の私)。<24>熱と闘った友を想いながら、私も熱と闘った。

昨日の朝、発熱しました。

最高が38.5度。人生最高体温がコロナのときの39.5度なので、それに比べれば……という感じなのですが、それでもしんどかった。スポーツドリンクを隣りの敷地のコンビニエンスストア(近くにあって、こういうとき助かりますね)で買ってきて、目覚めては飲み、飲んではまた寝てを繰り返しながら、一日過ごしました。

おかげさまで今朝は平熱に。先週が鬼のように忙しかったので、その疲れによる発熱だったのかな、と思っています。そういう意味では、寝ているしかなくなっていたことも良かったのかな。

同時に、健康がいかに有難いことなのかも身に染みて感じています。

今日は、スローペースを心がけつつ、昨日の休日にできなかったことをやっていこうと思っています。やりたいことがある喜び、それをやろうと思える体力が戻ってきたことに関する感謝の気持ちでいっぱいです。だって、鬱のときって、やりたいことも、やろうという気持ちも全くないのですから。あ、鬱のときは、しなければ!と思うことならいっぱいありますよね。物事がwant toではなく、need toばかり。そういう思考が自分をますます苦しめていることに渦中には気づけない。つくづく厄介な病だなと思います。

ところで、発熱した昨日は、去年の夏亡くなった友のことを考えていました。長らく癌と闘っていました。高熱に苦しめられることも多かったことをTwitterによくTweetしていました(TwitterがXになったのは、彼女が亡くなった後のことです)。

彼女に対する尊敬の念が強くなりました。亡き友は、どんなに病が苦しくても、尊厳を守ることを止めなかった。その興味と関心、情熱の対象は多岐に渡り、その熱い思いを、さまざまな方法で発信し続けていました。また、どんなに苦しくても、私たち、彼女の友だちに優しい人でした。私の愛犬が亡くなったときも、本当にありがたい言葉をかけ続けてくれました。

去年の夏から秋にかけて、鬱が酷くなって休職したときも、よく彼女のことを想いました。彼女は生きたくても生きられなかったというのに、私は何をしているんだろう、どうしてちゃんと生きられないんだろう、と自分を責めていました。

フラットに戻ることができた今では、この発想も困ったちゃんだったな、という気がします。彼女も、当時の私も、病は違うとはいえ、闘っていたのですよね。闘っている自分をさらに責めていたなんてどうかしています(どうかしてるから、病気なんですけど)。

必死で生きていない人、がんばっていない人なんて、きっとこの世にはいないんですよね。生きているだけで、それは一所懸命であることを意味するんですよね。いまの私はそう思います。だから、そんな自分のことを見捨てることなく、優しく見守りながら生きていこう、と。

このこと、また来るかもしれない鬱期にも覚えていられますように。今日の記事は、その備忘録でもあります。友よ、大切なことを教えてくれてありがとう。一所懸命生きていくから、見ていてやってね。

そして、みなさん、読んでくださって、本当にありがとうございます。

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