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この硝子越しに この扉越しに

鉢植えに水をやり、花瓶の水を替えて、朝食を摂る。

毎日繰り返すこのルーティンは何度目だろうか。
この部屋に入ってからもうどれほどだろうか。
唯一陽の当たる場所は植物に譲って、僕は暗がりでボーッと時間を過ごす。

この部屋は一体何なんだろうか。はめ殺しの窓1つ。それ以外はつるんとした素材に包まれた立方体。陶器のような触り心地だが、どんなに暴れても傷一つつかないところを見ると違うようだ。
花瓶に生ける花はおそらく3日に1度、毎食の食べ物(調理済み)と飲用の水、そして花瓶と鉢植え用の水は毎日、目が覚めるとそこに在る。ゴミや汚物は放っておくと消えている。

脱出を試みたのはもう数え切れないほど。
窓を壊そうとしてみたり、壁を壊そうとしてみたり、食事の提供タイミングを見極めようとしてみたり…。
諦めたのは、外へ出てることに特に利点を感じなくなったから。この部屋は、ボーッと過ごすのにはなんの不自由もないからだ。僕の知るものは、何故か一緒に閉じ込められた自室で育てていた小さな鉢植え。あとは3日に1度現れる花。今のところ知らない花は現れない。

気付いたらこの部屋にいて、鉢植えと花瓶と同居させられている。光は小さな窓からわずかな時間入る。時計が無いため正確な時間経過は分からない。光が入るタイミングは不定期。

小さな窓からわかる外の様子はほんの些細で、土壁の細い路地と斜向かいにあるオンボロの木製の扉。それ以上のことは見とれない。
そもそも不定期で短時間の光では、外の情報などさして得られはしない。

もう、ここがどこか、とか、何故ここに居るのか、とか、そんな事を考えても大して答えには近づけないことは悟っている。宇宙人の仕業か?とか、人体実験の被験者か?とか、もう馬鹿なことしか思いつかない。

そして今日も不定期な光が窓辺の植物に当たる。

……?

陽の光が、いつもと違う。
揺らぐのだ、光が。まるで揺蕩う水中に差す光のように、陶器質な床に当たった光がとろりと揺れる。
と、同時に、初めて自分以外の気配を感じた。

脱出を諦めたはずだったのに、僕は転がるように窓へ駆け寄った。揺らぐ光の向こう側にあるオンボロの扉が、錯覚程度にしかし確実に動いている。

誰かいるのか!

僕の声は陶器質の壁に阻まれてつるりと滑る。それでも、ここから出られる可能性に賭けて、さらに声を張る。

ここから!出してくれ!外から!窓を!割れないか!?

……っ!……~っ!

木の扉がガタガタと動き、遂にその向こうの誰かの声が聞こえた。

僕は!ここから!出たい!

…が…った!…お…て!…おきて!


思い出した。
大学からバイト先へ向かう途中、遅刻しそうで周りを確認せずに飛び出した交差点。ものすごい衝撃を受けたこと。
外から聞こえるのは母親の声だ。

起きて!しっかりして!
あ!今、この子が手を握った!
しっかり!起きて!起きて!

そうか、ここは僕の身体の中。
閉じ込められたのは意識の檻。
窓から見える陽の光は、病室の電気。
快適なのは医療ケアを受けていたから。

まだ、死にたくない。
鉢植えの小さな植物も、現実の僕の部屋で待っているだろう。
花瓶の花は世話をしてくれた母の手の温もり。

つるりとした陶器のような壁を蹴り、はめ殺しの窓を必死で殴る。

窓の向こうは眩むような光。
遂に斜向かいの扉が開く。
そして、窓が、割れた。

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