暇についての話

喫茶店は日常だと言う話とか、非日常だという話だとか、色々在るけども、僕にとっては間違いなく日常なのだ。
日常をサボる場所は僕にとっては日常なのである。
色々な人が来るけど、僕は聞いていることしかできない。
時々相づちを打ったり、話題を降ってみたりするくらい。舞台装置として在る感じがある。
そこにあって空間を俯瞰してみている。
どこまでも中立なのだ。

店主という役割はなかなか難儀なもんで、絶対に店にいなければならない。少なくともうちは。
なぜかって僕が独りでやっているからなのだけど。

嫌になることもある。お客さんが多すぎるとか、逆にだれもこないとか、そんなのは日常なのだ。

人がこなくて悲しくなるようなことはなくなったりしていたりする
なれてきたんだろうなぁって

それはそれで何となく良いかなぁと思ったりもしている。
こんなにもなれるもんだなぁと

慣れてしまうことは果たして良いことなのかという話もあるのだけれど、そのへんは おいておくこととして。

暇はなかなかに可能性に満ちあふれているのだ。
今日の僕はお客さんに観測されるのだろうか、それともされないのだろうか。
果たしてどんなお  客がくるのだろうか、こないのだろうか
何を話すのか、話さないのか。

暇はすべての可能性を内包している
悪くないぞ。暇。 

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