見出し画像

15:緊急オペ

夫に聞いてもちゃんとした返事が返ってきません。返信の様子がなんだか変なので、さらに心配になりました。

実はこの時シャント圧を弱めていたらしく、また水頭症の症状が出ていたため様子がおかしかったらしいのです。この時の私はそのことを知らなかったので、とても不安になりました。

義母に電話をかけても、その時先生からの説明を受けていたようで電話に出ず、私は様子のおかしい夫からなんとかLINEで情報をきき出しました。

すると、硬膜外血腫というキーワードを聞き出すことができたので、私はすぐに会社を早退し病院へ向かいました。

向かっている途中で義母から折り返し電話があり、内容を聞いてみると、やはり手術した場所から出血していて、硬膜外血腫になったとのことです。

義母はすぐパニックになるタイプなのですが、案の定すでにパニックになっていて、「お父さんのご飯を用意してないから一回家に帰る」と言い出しました。
そんなパニック状態で車の運転なんかできるはずないと思い、「私が行くまで病院にいて下さい」とお願いしなんとか病院にとどまってもらいました。

正直、この時は状況がわからなかったこともあり、さすがの私もかなり不安になりました。
「このまま血が止まらなかったら、、、」と最悪の状況を思い浮かべ、病院に向かう電車で少しだけ涙がでました。
不思議なもので、少し泣くとスッキリして、病院に着く頃には前向きな気持ちに切り替わっていました。

病院に行くと義母も若干落ち着きを取り戻していました。「よく考えたらお父さんのご飯なんて自分でどうにかしてもらえばいい」と気づいたようで、家に帰らず一緒に病院で待つことになりました。

ただ義母は、先生からどんな説明を受けたのかあまり覚えておらず、手術の同意書も手が震えてなかなかサインできなかったそうです。
「やっぱりこういうのは私がやらないと。今後何かあったら必ず私に説明してもらうように病院にお願いしよう」と心に誓いました。

手術の同意書には、毎回助かる確率が記載されているのですが、今回義母がサインしたものを見せてもらうと、死亡する確率1/100と書いてありました。私は今まで、1/3や1/10などの衝撃的な数値を見てきていたので、今回はそこまで大変な手術ではないと理解でき少しだけ安心しました。


緊急オペとはいうものの、その日は手術室が混み合っていて、いつ手術をうけられるかわからない状況でした。
私が病院に着いたのが17時ごろ。
いつものデイルームには私たちの他に2家族が待機していたので、おそらくこの人達のご家族の手術が終わらないと、夫の手術は始まらないのでしょう。

待っている間も、夫の頭の中で出血していると思うと気が気じゃありませんでしたが、今は待つしかありません。
結局、20時過ぎに手術が始まりました。手術が始まって安心したのは始めてのことでした。

手術が終わったのが0時になる少し前だったと思います。

先生から、「しっかりと止血してきましたが、また出血する可能性もゼロではありません。」と説明を受けましたが、今は止まってくれていることを祈るしかありません。

深夜1時ごろ帰宅して夫に「手術お疲れ様」とLINEを打ったあと、さすがに疲れていたのか
携帯を握りしめながら朝まで爆睡しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?