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【エッセイ】かゆいかゆいかゆいかゆいか。唯香ちゃんと踊りたい仮面舞踏会。

 かゆい。
 平仮名で書くと、なんだかかわいらしいですね。でも本当に憎たらしいやつですよね、かゆみって。
 ちなみに、昔の知り合いであゆみって女の子がいましたが、かゆみと違ってあゆみは良い子でした。


 昨日はなんだか首から上が異様にかゆい一日だったんです。本当にそのかゆさは異常でした。
 公園の片隅に置かれた段ボール箱に、子猫じゃなくてスーツ姿のサラリーマンが膝を抱えて入っている光景くらい異様でした。頭をおもいっきり掻きむしりたい、指の穴に指突っ込んでぐりぐりローリングさせたい、おでこを少し硬めの目の粗いタオルでごしごし擦りたい。そんな一日でした。

 でも僕も大人です。理性と分別はそれなり備えていると自負しています。人からどう見られるかを意識し、なによりも清潔感を大切にしています。
 だから人前で力いっぱい頭を掻きむしったり、耳の穴に指を突っ込んだりはしません。だから我慢しました。どれだけかゆくてマスクの下で苦悶の表情を浮かべようとも、絶対に掻きむしることはしなかった。すごく辛かったけれど、我慢したんです。もし僕が死んだら墓石に次の言葉を刻んで欲しい。

「決して強くはなかった。顔を歪め、涙を流した。でも最後まで掻きむしることだけはしなかった」


 ふと、この感じがなにかに似てるな、と思いました。
 たとえば、ファミリーレストランで苺とチョコレートのパフェを食べたくなった時、30歳過ぎの男一人でパフェを注文するのが恥ずかしくて我慢する時。
 たとえば、家に早く帰って本を読んだり趣味の時間にあてたいのに職場の人との親睦を深めるために飲み会に行く時。
 たとえば、タバコ嫌いな女の子とデートしていてる間のタバコを我慢している時。

 つまりは外面を良くするために、なにかしらの属性や役割を付随した仮面を被って本当の自分の欲望を抑え込んでいる状況です。
 でも、それは当たり前の話で、社会生活を送っている以上は誰でも役割を持っているし、その仮面をつけて踊らないといけない。その仮面の数や一つ一つの厚さは人によって違うのかもしれないけれどね。
 子供、大人、父親、母親、夫、妻、友人、恋人、学生、会社員、経営者……挙げればキリがないけれど、それだけ人々は役割を持っています。その全てのマスクをつけて、完璧に踊るのは不可能に近いと僕は思っています。だいたい、そんなにたくさんのマスクを常に装着していたら息苦しくて仕方ないですしね。


 かゆいのを我慢しながら、なんとか仕事を乗り切って家に帰ると額と首が赤く、少し腫れていて蕁麻疹が出ていました。
 もうおもいっきり掻きむしってやりましたよ。家ですから。立派な社会人なんて名前の仮面は脱ぎ捨てて放り投げてますから。
 蕁麻疹はストレスが溜まった時にも出ることがあるみたいですね。仮面のせいかな。
 みなさんも仮面のつけすぎにはご注意を。


 でも、仮面がないと社会生活は厳しいし、良い面もあるのは事実です。人からどう見られるか、自分の与えられた役割を全うするためにどう踊るのか。
 それは人に客観的視点や向上心を与えます。小説の執筆でも、どう読まれるかを意識しないと、独りよがりな文章になってしまうのと同じですね。

 だから、大事なのはバランスなんだと思います。何事においてもバランスって大事ですよね。サッカーの戦術においても、カレーの辛さにおいても、生き方においても。
 仮面の取捨選択、厚さの調整、脱いで素の自分でいられる時間の確保。
 バランスよくやっていきましょう。まあ、それが難しいんですけどね。


 結局、蕁麻疹の原因はわからないし額を掻きむしったせいでヒリヒリ痛いけど、また一つ人生におけるバランスの重要性を勉強できたと思ってよしとします。
 それでは、また。

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