「世襲国家日本」

 以前、鷹匠の話が新聞に載った。後継者がなく、自分の代でこの技が途切れるという話だった。
 一方、最近、政治の世界、芸能界などで二世、三世が目立つ。作家やスポーツ界は能力が必要なので、なかなか二世、三世は難しいだろうと思うが、それでもいる。普通の生活をしている人よりは幼少期から、その道に親しんでいたら、親ほど優れた能力がなくても活動できるのだろう。
 その裏で、鷹匠の例を出すまでもなく、日本文化を根底から支えてきた技術などが後継者難で、次々と滅びていく。つまり、「その仕事がうま味があるかどうか」、言い換えれば「儲かるかどうか」ということが、後継者が現れるかどうかの基準なのだろう。
 直近の衆院選での自民党の世襲候補は3割に及び、オーストラリア、韓国、英国、米国などの民主主義国家で議員の世襲比率が5~8%であることを考えると、圧倒的な高さだ。
  世襲政治が跋扈すれば、血縁や地縁のない人は政治に進出しにくくなり、ますます一般人の感覚からかけ離れた政治が行なわれるこ行なわれる。
日本政治の危機的な現状を物語っているように思われる。
 しかし、それは経済界でも同様の状態ではないだろうか。日本の企業のトップが代わるとき、今の社長が次の社長をそれとなく指名するようだ。自分の意に適うものを選抜するのだろう。そうすれば、今の社長の方針を踏襲していくことになる。日本の企業の95%の社長が、いわゆる”生え抜き“だ。それは、役所と同じ年功序列のようなもので前例を踏襲するということではないだろうか。
 この「失われた30年」を作ってきたのは、日本の民間企業が総体として、世襲構造になってきて、会社自体が前例踏襲、危ない橋は渡らない、ことを繰り返して今の状態を導いてきたのではないだろうか。だから、企業の内部留保ばかりが積み上がるのは、危ない橋を渡らず、人件費を削り、ひたすら利益を溜めてきた結果なのだろう。そして、将来のために設備投資などに回さず、安易に成果が出る企業買収に金を使うことになるのだろう。
 また、大学でも同様だ。講座制で大学の研究機関が組織されているので、教授の気に入った人が、研究室に残り、そのまま助教授、教授と上り詰めていくのだ。今では、その講座制も年功の高い研究職で占められていて、若返りが図ることができず、日本の研究の低調ぶりに表れているのだ。
 
 だから、日本全体が世襲にまみれて、にっちもさっちもいかなくなり、課題先進国から、開発途上国への道を驀進しているのが現状ではないだろうか。
 その結果が、円安であり、GDPで測られる世界のポジションがどんどん下降しているのだ。今年ドイツに抜かれたが、間もなくインドに抜かれようとしている原因はここにあるのではないだろうか?
 
 

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