心身統合された状態ではないし、自己一致した状態でもない#288
時刻は23時59分。
大好きな三田に戻ってきた。
都会とは違い、気温は肌寒く、虫の音の種類の多さと音量が違う。笑
先程まで寝てしまっていた。
想定とは反して、身体が思うように動かない。
ここに何か自分の未成熟さ?が出ているように思う。
普段ジャーナルは見返さないことが多いが、昨日書いた嫉妬に関するジャーナルは、3日目になった今日も私の中に残っているようで、自分で見返し、自分を奮い立たせた。
今日もよく動いたといえば動いたが、しかし、気持ちだけが先走り、自分の身体がついていっていない。
人間のホールネス(全体性)という観点で、私にはマインドだけが先行し、ボディの実践が不足して、心身統合された状態ではないように思う。
一方こうも思う。
これが本当に未熟なのか?
そもそも心身統合と響きはいいが果たしてそれはどういうことなのか?
ただ、私自身、玄奘や空海のような人を理想の1つとおいたときに、その理想とはギャップがある。
今日のこの感覚は、今の私に重要な1つのメッセージであると受け取った。そのメッセージをくれた今日にも感謝したい。
さて、今日は自分の中で、歯切れの悪さを感じた。
今いくつかの会社に入って仕事をしていると、それぞれの場所で自分のとるふるまいが異なっていることに、自分で驚く。
もちろん自分のなかに多様な自分がいるのだが、自分と不一致した自分でいる。
この歯切れの悪さは、いくつかからきている。
自分の内面的な部分もあるし、自分の外面にある構造的なものからくるものもある。
構造的な部分をあげるならば、品質基準がファジーなこと、意思決定権が不明確なこと、環境が整備されていないこと、プロジェクトの全体像が見えないこと。期日がタイトなこと。
特にプロジェクトの全体像が見えないがゆえに、何か大事な漏れをしているのではないかと、自分の中の強い責任感が作用し、ここにマインドシェアを奪われ、他の業務に集中しにくいというややバランスの欠いた仕事ぶりになっている。
ここは、構造からくるものでもあるし、自分のマネジメント力の部分でもある。
こういった環境はよくあること。
ただ、今まで経験したことと違うことは、自分自身が経営者でなく、法的な責任がないこと。
そんなことは気にしていないつもりだったが、とはいえ無意識のうちに、多少なりとも影響している。
それを理解した上で、やることはいつもシンプル。
自分にコントロールできるものとできぬものを正確に認識し、コントロールできるものに集中する。
自分の内面的なものは、多くがコントロールができるゆえに、自分のシャドー含めてうまく向き合っていきたい。
外面的なものも、いくつかのミクロな構造は変えられるものもあるゆえ、変えていきたい。
そのように思う。
2021年9月28日の日記より
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