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あじわい

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あじわいは、「今を味わう」ための取り組みです。 すべてのことには肯定的な側面が眠っていて、味わい深いもの。 私が、何気ない日常の中から、大切な「何か」に気付くことで、 今を味わっ…
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2021年12月の記事一覧

「世界は恋人、世界はわたし」第一章を読んで#376

今しがた、ジョアンナ・メイシーの「世界は恋人、世界はわたし」を読んでいた。 そこでの気付…

シュタイナーの思想に触れて#375

先ほど、西平直先生の「シュタイナー入門」を読ませていただいた。 シュタイナーの壮大な思想…

アンバーの重要性と積み残される課題#374

焦らずゆっくりと、スローゆえに育む。 こういったことを1年ほど前から自分の中で大切にして…

行動探求という発達理論・インテグラル理論の講座を担う重責、苦しい葛藤、そして講座…

毎日、日記を書いては公開していたが、公開しているのはほんの一部に過ぎない。 それは、対他…

兄弟で過ごし立ち現れた感覚#372

今朝は雪がつもり、朝のランニングは、いつものコースがまた新しい景色のようで、寒いながら嬉…

セッションを通じて感じる言語の繊細さ#371

今日もクライアントとのセッションを3回した。 どれもとても有難い時間だった。 どれもセッ…

プレモダン、モダン、ポストモダンからの贈り物#370

ケン・ウィルバーは、包括的な心理学(=インテグラル心理学)の探求で試みたことがある。 それは、プレモダン、モダン、ポストモダンのすべての時代に重要なことを伝えてくれていると仮定し、それぞれの時代から本質的な洞察をすべて包含し、ひとつにまとめ上げるということだった。 もし本当に統合的な心理学があり得るとすれば、その心理学は、前-近代(プレモダン)、近代(モダン)、後-近代(ポストモダン)のそれぞれの見方に含まれる本質的な洞察をすべて包含することになるだろう。 このことにつ

方丈記#369

気付けばちょうどジャーナリング(日記)を公開して1年が過ぎていた。 日記というのは実に尊…

差異化と分離の違いを考慮した対人支援#368

先ほど、「インテグラル心理学」の読書会が終わった。 P394から展開される「進化に関する5つ…

幸福を感じるのではなく、幸福感として生きる#367

先ほど、クライアントとのセッションが終わり、ジャーナルを書き始めた。 最後にクライアント…

アリス・ウォーターの講演を聴いて#366

今朝は9時より、エディブル・スクールヤード(ESY)の創設者アリス・ウォーターから直接お話を…

12/16のドリームジャーナル(夢日記)#365

時刻は朝6:30。 外はまだ暗く、寒い。 今日は珍しく、とてつもない夢を見たので、忘れぬうち…

オンラインゲームで「発達理論」、「インテグラル理論」を学べる『トイプーゆずの成長…

1時間ほど前だっただろうか。 今日の最後のセッションが終わり、ひと休憩しようと、先月石垣…

第三層にある段階としてのサトル、コーザル、ノンデュアルとは何なのか#363

インテグラル理論の中で、意識状態として表現される、グロス、サトル、コーザル、ノンデュアル。 意識段階においても、第三層には、ビジョンロジックを越えて、サイキック、サトル、コーザル、ノンデュアルがある。 これは何なのか? このあたりが実に難しい。 一般的には、意識状態は一時的なもの、意識段階は恒常的なもの。 ゆえに、一時的ではあった意識状態が、恒常化することになる。 それはわかるのだが、具体的にはよくわからない。 そういえば先日、加藤さんがこんなことを言っていた。