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僕の人生初主演映画「縄文」上映

2024年2月14日

< #天然芸術  #縄文>

僕の人生初主演映画「縄文」上映

僕の原点であり再出発点

パフォーマーとして国内外を旅していた20代、その総まとめとして命懸けで取り組んだ映画、俳優への道の総決算として挑んだのがこの「縄文」でした。

この映画の後、僕は、芸能事務所ではなく、インデペンデント映画を中心に、ダンスもエンタメではなく芸術としてのコンテンポラリーダンス…それも「傾舞( Kabuku mai )」という縄文系身体操法をベーシックにしたものを作って取り組んでいきます。

縄文の生き方を一生探究して、それを具体的に研究するようになったのは、縄文人のように生きるという時代が来る事を知ったのと、その時、沢山の人が「〜でどうしたら縄文人になれるの?」
…という具体的な方法論が必要になった時、その方法論が必要とされると思ったからです。

まずは自分が縄文を極める


1998年、この当時、僕は映画の役作りのために身体意識研究所の高岡英夫先生に縄文人の身体意識をシュミレーションしてもらい、縄文人に成り切ることに努めました。

ブレーカーを切って生活し、裸足で街を歩きました。
そして、最終的に素足で足がイバラを避けて歩けるようにまでなりました。

そして、その過程で今まで環太平洋を旅して暮らしてきた先住民の人々の暮らしと教えが次々と繋がり、その極意や奥義がひとつながりの大きな文明だったと気づきます。

古代コミニティーの活性化方法
「徳」の理論
天地と調和していく生き方
身体操法の極意


これらがまとまっていきました。

これを、まとめ上げて一つの形にしたのが「天響ノ道Amayura no michi」なんです。

勝手に組み上げたオリジナルのシュミレーションが正しいかどうか、検証するために、実験パフォーマンスとして密かに始めたのが、大阪中崎町の「Salon de AManTo天人」というカフェでした。

映画公開から一年後の2001年7月26日のことでした。

大重潤一郎監督映画「縄文」より

検証は時代の必然、天の導きだった


告知宣伝はなし、通りすがりの人を巻き込んで空家再生パフォーマンスとして始めた場所は、地域ごと渦巻きのように街は活性化し、国内外に有名な観光地として活性化しました。

そしてそこには、なぜが世界の有名なエルダー達が集まってくるようになります。

そして2011年の東北震災の時、ついに「天響必然塾」を一般公開しだします。

それ以降、ネオ縄文文明の具体的な人づくり、モノづくり、場づくりの学校として全国でワークショップや講演会、私塾を運営させてもらっています。

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みんながリーダーの時代


2018年、世界の終わりの話やクリアしないといけない2019年、2025年などのミッションに関わるようになり、天響必然塾は「天響必然道」、「天響ノ道Amayura no michi」へとバージョンアップしていきます。
そうしないと間に合わないと思ったからです。
今もそのバージョンアップは続いています。

そう、昔から旅人として不思議な体験ばかり続いたのも、この映画に主演させてもらい、縄文人になり、縄文コミニティーを作ったのも、その方法論を体系づけて今も世界中飛び回っているのも…

僕は結局、お釈迦さまの手のひらの上で踊らされていたのだということがわかってきました。

僕の前に道はない
僕の後に道はできる…

そんな事を地でやらされてきたのも、それは日本の皆さんが世界のネオ縄文文明のリーダーになる時代が来るからだったわけです!!

僕の原点になったこの映画、皆様にも、是非ご覧頂きたい映画です。
どうぞ見にきてやってください!

大重潤一郎監督映画上映会【縄文】⬇️

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