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ライブは生き物

「ライブ配信」

今まで人ごとのように感じていたものが

急激に変わる時代背景とともに

自分のライフスタイルの中にある日ぐいっと入ってきた。

とてもとても緊張する。

何度練習しても何度リハーサルしてもだ。

もともと人前で話すことは苦手ではない。


というのも、まだ若くて体力もあったころ(笑)、

塾の講師の仕事をずっとしていて

7時間授業しっぱなしという毎日を送っていたことがあった。

いってみれば毎日毎時間がライブだ。

対象は小学生もたくさんいたが、メインは中学生。

思春期真っ盛りな中学生の子どもたちは、

まず行動や言動の予測がつかない。

ライブ中にとんでもないことが起こるのは日常茶飯事。

でも公共の学校とは違い、お金をいただいてお子さんをお預かりし、

成果のでる授業をするのが当たり前の現場なので、

基本的に「わからない」「それはちょっと・・・」は許されない。

どんなものに対しても誠心誠意対応していく。


思春期の子どもたちの質問は本当に多方面に及ぶ。

勉強に関する質問は大前提だが、

むしろ恋愛の話の方がマスト、友達の話もマスト、

部活の話にはじまって

地域のスポーツの話からプロ野球やサッカー選手の話、

家族の話、学校の先生の話、地域のお店の話、

芸能界やドラマの話、アニメの話、

そして歴史上の人物や物語の作者の裏の裏の事情まで

(絶対教科書にはのってないやつ)、

とにかくどんな質問がくるのか予想がまったくつかない世界だった。


というわけで私は、

ありとあらゆるパターンを想定しながら授業を構築し、時には失敗もし、

また考えて新たな体験をしながら発見をし、

自分も猛烈に勉強しながら情報収集もし、

とにかくいろんな試みをした。

若さゆえかなり空回りもしたし、荒波にもまれもした。

子どもたちにもいろいろ試された。

しかもそこから元の授業のラインにバシッと戻し、

しっかりと知識を習得して帰ってもらうということ。

最初は相当に苦労したものだった。上司の講師にたくさん相談もした。

でも途中から、この「脱線」こそがとても大切なスパイスで、

授業という「ライブ」をいかに盛り上げるかは

その「脱線」にかかっている!!

といっても過言ではないことに気がつく。


それからは私自身も「脱線」を楽しみながら

知識を持ち帰ってもらうという授業スタイルにかえ、

それが子どもたちの心に届くようになり、

たくさんの子どもたちが口コミで集まってくれることになった。

はじめて私が経験した目に見える「成果」だった。

あの頃は10分休憩しただけでまた次のライブをする、

といったような超ハードスケジュールだったけれど、

とにかくそれからは毎日子どもたちと過ごす授業が心底楽しかったし、

どんなに疲れてどんなに声がしゃがれても、

帰る道のりはいつも心がはずんでいた。

そのときは天職だなとすら思った(笑)


今は「料理」という別のステージで、

2週間に1度という頻度ではあるけれど、

実際に「ライブ」をしてみると、

その頃の感覚ととてもよく似ていることがわかる。

体のどこか奥にあった当時の細胞が、

「あ、これ、あのときの・・・」

という感じで目覚めているのがわかる。

「ライブ」は本当に何が起こるかわからないという緊張感もまるで同じだ。

でもその時間をいっしょに共有できるだれかがいてくださること、

こんなご時世だからこそ一時いろんなことを忘れて

コミュニケーションしていただけること、

私の奥底に眠っていた細胞がメキメキ喜んでいるのがわかる。

当時、

帰宅時に高揚しながらまた次がんばろう思える喜ばしい感覚と、

まったく同じである。


塾講師をしていたころからもう二十うん年経っているけれど、

ああ、あの時の経験ってこのためにしていたのかな・・・

実はここがゴールだったのかな・・・

なんて思ったりもする。

もしかしたらもっと先の人生にも別のゴールがあるのかもしれない。

それほど私にとっては貴重な経験であったことは確かだ。


やはり人生に無駄なことはひとつもない。

塾講師はかなりきつい仕事ではあったけれど、

全力疾走で走り続けてよかったと今つくづく思っている。

いつの時代も

「ライブはやはり生き物だ」

ということを痛感している私である。


家庭料理研究家・料理ブロガー

JUNA(神田智美)

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