古代の薩摩940年 #68

第四部 日本武尊(やまとたけるのみこと)の熊襲征伐 段田小百の決意
昨日国長から重大発表があった。大和朝廷が熊襲征討に乗り出すという。長からの厳命は熊襲が薩摩との国境を越えた時のみ対応せよ。ただし決して人を殺めてはならないという難問である。
この日が来ることを想定してこの数年間は色々な場面を想定して訓練を重ねてきた。隊長は林桔梗殿。夫は第8小隊長の矢集襲津彦様である。隊長には殿で小隊長が様である。なぜかというと怖さの質が違うのである。隊長は双子を2回も生んだのだが、すぐ現場に復帰し厳しい指導を平気でこなしている。上の双子は男の子で父親に似て、今年まだ7歳だが、二人とも乗馬が得意である。
3歳になるほうは女の子でどちらも母親に似て美形この上なしである。俺の子が5歳の男の子だから、どちらか一方を嫁にもらえたら最高なのだが・・・。
球磨国との国境=出水口は隘路(あいろ)になるように、さらに細かに迷路を増やし、侵入は簡単には出来ないように海野一族が総出で工事を完成させた。まあ、万全の体制と言っていい。しかしドキドキワクワクである。
わが一族は初代は秦の始皇帝の命で倭国に不老不死の妙薬を探しに来た徐福様に同行してやってきたのだそうである。名前は元々は段一文字だった。それがいつからか倭国式にしようとなって段田になった。李田一族も元々は李一文字だったらしい。隊長一族も林(りん)と呼んでたが、今は「はやし」と名乗っている。わが一族は海中に潜るのが得意で、海戦向きだったらしいが、いまは騎馬隊でみながんばっている。名前は初代が3兄弟で小二・小五・小七だったから、それからはそれにならって命名したということだ。俺は百である。段田小百である。手柄をたてるぞ!


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