古代の薩摩940年 #79
最終章 隼人の乱 藤原不比等の遺言
不比等:武智麻呂(むちまろ)・房前(ふささき)・宇合(うまかい)・
麻呂(まろ)4人そろったな。
今から私の言うことを肝に銘じておけ。
その前に隼人の乱の戦況はどうだ?
武智麻呂:苦戦しております。
林弥五郎とか申す大男の武者に10人がいっしょに
むかっていっても押し返されるのだそうです。
不比等:薩摩も必死だろう。国の存亡がかかっているからな。
指導者たちは必ず全員処刑するのだ。
あやつらの考えは危険すぎる。王は置かない。
税はとらない。一国平和主義だと。そんなことが広まったら、
真似をする輩(やから)が必ず出てくる。
我が日本(これからは倭ではなく)を外国からの侵略を防ぎ、
国全体を安定させるには天皇中心の中央集権国家にするしかない
のだ。東北地方の蝦夷(えみし)はもっと手ごわい。
見せしめのためにも国府鹿児島は焼き尽くせ。
文書類は特に一つたりとも残してはならぬ。
但し村人を殺してはならぬ。税をしっかり取れる体制をつくれ。
もし一部が降参してきたら、その者たちは許して手なずけよ。
藤原氏の未来はお前たち4人の双肩にかかっている。
国の安定・平和と藤原氏の永遠の栄を願っているぞ。
西暦720年8月飛鳥・奈良時代の大政治家=藤原不比等、隼人の乱の決着を見ることなく永眠。藤原鎌足の次男として生まれ、生涯を国家建設に捧げた英傑の死であった。