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雑 #10 「根拠のない自信」の考察

よく、晴れ女晴れ男、雨女雨男というのがあるが、これはあくまでも個々の「確率」の問題なのだと思っている。物心ついた時から、人生においてのイベントは旅行に限らず、入学式、卒業式、遠足や修学旅行、運動会、はたまた結婚式至るまで様々あり、それらは過分に天気に影響されやく、その影響は思い切り人々の気分にも影響を及ぼす。

一体、そんなお天気頼みなイベントにおいて、晴れ女、晴れ男の皆さんはほぼ100%の確率で晴れているようだ。調べた事はないが、彼らは一様に自信に満ち満ち溢れた表情で「私、雨降った事ありませんから!」と言う。かくなる私は割とザバザバ雨を降らせるので、諦めモード全開でいいなぁと呟くまでである。

そんな私にも、駐車場でどんなに混んでいてもすぐに空く確率100%運というものがある。
アホか、待ってれば空くやろ、という勿れ。ポイントは「どんなに混んでいても」だ。モーセが海を割ったごとく、「私」のためにさささっと空く。これには「自信」しかない。だから私はイライラする事なく、悠然と待っていられる。

逆にロッカーの運の悪さも100%だ。温泉や銭湯に行くと、どんなに空いていても、私が脱ぎ出すと必ず私のロッカーの前後左右のロッカー使用者が風呂から上がってくる。ある時、絶対ここなら誰も来ないだろうという辺鄙なロッカーを選んでも来られた日には、絶望を通り越して笑いしかなかった。
めっちゃ空いてるのに、何でせせこましく着替えなあかんねん。

この様々な(下らない?)確率100%は、もしかすると最初はそうではなかったかもしれない。しかし、回数を重ねるごとに「確率」は「確証」に変わり、最終的に「確信」に変わる。こうなったら、絶対的な自信となって自分の持ち物となる。失敗しないもんはしないし、晴れるもんは晴れるし、空くもんは空く。

この確率論といえばそれまでの根拠のない自信こそ、私は様々なシーンにおいて大切なのだと思う。なぜならば人は、自分の中の「なんとなく」の感覚で判断している事は意外に多い。
人と付き合う時、お店を選ぶ時、物を買う時、部屋を借りる時、などなど。

そこでの、なんとなくラッキーなものの数をこなし
、確率の精度を高めるために分析するのも面白い。感覚に確証を持たせるためにひたすら行動する。
旅行に行きまくり、晴れと雨の確率を調べる。例え雨が降っても、外に出れば止む、ならばそれは晴れとみなす。
そうする事で、ビギナーズラックではない自分の中の根拠のない自信の精度は確実に上がると思っている。

人から見ればどうでもいいような根拠のない自信。それこそ人生の羅針盤だったり自分を支えていたりするもんだ。そういうのって、たまらなく愉快で爽快で人を軽やかにする。そんな根拠のない自信を持って人生楽しく生きていこうではないか。


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