モロッコ《44》外出自粛でも旅の気分
スペインからジブラルタル海峡を渡ってきた水中翼船がタンジールの港に着いた。桟橋は午前の海霧に煙って人々がボーっと幻影のように見える。それは霧のせいだけでなく、モロッコの男性は身体中すっぽりと袋を被ったような服装をしているのだ。朝方発ったアルへシラスの洋服の人々となんと違うことだろう。
下船し桟橋を歩いていると声を掛けられた。先ほどの袋のような服を着た男性のひとりからである。自分は政府公認のガイドである。ほら、このように免許も持っている、と首から下げたカード状のものを示している。でも、ここは桟橋上で、私はまだ入国手続き前なのだ。どうしてここに彼はいるのだ。イミグレーションを簡単に出入りできるのだろうか、ガイドが。と、いきなりイスラム世界のミステリアスな洗礼を受ける。無事入国し、といっても小さな入管建物を通り抜けただけだが、件のガイドと交渉が始まる。初めての土地、初めてのモロッコ。まあ、ガイドを雇って街歩きしてもいいかなっとも思う。4時間、2,000ペセタ(なぜかスペイン通貨)で決着。
公認ガイド氏、さすがに段取りよく港から車で出発。タンジール(タンジェともいう)の旧市街メディナに向かって坂道を登る。メディナはカスバといった方が一般的には分かりやすいだろうが、当地ではどこでもメディナというのか、それとも城柵部分をカスバと呼び分けているのかもしれない。
メディナは坂に貼り付くように広がる、幅の狭い街路がくねくね走るそんな市街地である。ポンっと小さな広場に出る。車が走れるのはここまで、のようだ。広場からはガイド氏と旧市街をあちこち歩く。狭い道、樹木のほとんど見当たらぬ石の家の連続。布の市場。これは観光客を連れてくる定番スポットなのだろう。木綿の、袋のような服を買う。そしてまたくるくる歩いて、車に乗り港に戻る。
するとガイド氏は案内終了というではないか。だってまだ約束の時間は1時間以上残っていると抗議すると、でも見せる場所は全部回った、他に見たいところはあるのか、と宣う。初めての街である。う~んと唸ったあと、では食事をしたいのでレストランに連れて行ってほしい、と言って残った時間を埋める。
再び坂のメディナに入り、坂から下を見渡せる眺望の良いレストランに案内される。海峡を渡ってからの長い午前の旅が終わった。1984年の冬のことだ。
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