千住大橋 おくのほそ道《07》外出自粛でも旅の気分
「片雲の風にさそわれて、漂泊の思いやまず、」みちのくから北陸への長い旅に出た芭蕉。その名紀行文おくのほそ道によると、深川から乗った舟を降りたのがこの千住大橋の辺りだったという。
長い長いおくのほそ道の旅が始まったというここには、現在立派な鋼製の橋が架かっている。下を流れるのは墨田川、橋を通るのは国道4号線だ。4号線は日光街道・奥州街道でもあり、終点は青森市。芭蕉はおおむねこの4号線ルートをたどり仙台辺りまで北上する。そこで古代多賀城跡に佇み、8世紀に大野朝臣東人が築城し、その約40年後の天平宝字(762)年に藤原恵美朝臣朝獦が修造したと記した石碑を読んでいる。8世紀の石碑を江戸時代にみた記録を現代の私が読む、それは素晴らしいことに思える。多賀城そのあと東に逸れて石巻・金華山に回る。
いまは旅というと、列車、飛行機、車など交通機関に頼るけれど、芭蕉はここからほとんどすべて徒歩で旅をしている。ほとんどというのは、一部の区間で馬に乗ったり、舟を利用したりもしているからであるが、全長は2,400kmに及んだという。それしかない、とはいえ僅か150年ちょっと前までは徒歩を旅の基本としていた時代が続いてきていたのだ。千住、日光、那須、福島、仙台、松島、多賀城、石巻、平泉、鳴子、山寺、月山、酒田、象潟、鼠ヶ関、新潟、弥彦、親不知、高岡、金沢、永平寺、敦賀、大垣。芭蕉の旅は途方もなく長い道のりを歩くものだった。
俳句を織り交ぜた紀行文は行程に比して決して長くはない。簡潔な文を追って一緒に旅をしていると、山寺の急な坂道で岩にしみ入る蝉の声を聞き、うらむがごとしの象潟の海、つわものどもの夢から八百有余年を経た平泉の平野が瞼に映る。
この当時もいまも大都市、江戸・東京の千住大橋でおくのほそ道に思いを馳せる。
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