見出し画像

ソビエトの列車《47》外出自粛でも旅の気分

1989年の6月です。つまり31年前。現在はウズベキスタン共和国になった、当時ソ連のブハラから首都タシュケントまで列車に乗りました。旅行ノートのメモにはブハラ18:30発、タシュケント翌朝7:30頃とあります。ソ連時代のルールで旅行手配と支払はすべて出発地で済ませておくことになっていました。それでも、現地の外国人旅行者窓口のインツーリストで受取る列車の切符は出発前と時刻が違いました。が、そんなことを気にしていたらソ連旅行はできません。何時間違う列車であろうと目的地と乗車クラスが違わなければよしとしました。

私が乗ったのは19号車の3番車室ですが、長い長い列車で、19号車が列車の端っこの方だった記憶はありません。4人用コンパートメントを2人で使う贅沢は外国人だからだったかもしれません。たまたま同じ車両に乗車したウズベク人のご夫婦からパンのようなお菓子を分けてもらったり、そのコンパートメントにお邪魔したりと楽しい汽車旅でした。

ブハラ駅で写真を撮っていたら、「ダメだ!」と大きな声で注意されました。当時、ソ連では駅や空港、港湾などは軍事的な理由で撮影禁止だったのです。でも、注意した人が警察や鉄道員ではなく、一般の乗客だったので、ソ連もまっとうな市民がいるのだなぁと感心した記憶があります。そのため、フィルムが没収されたりせず今こうして見ることができるのです。

ところで、記念にとっておいた当時の切符をいま見返してみても、記載事項がよく分かりません。ロシア語だし、手書きだし、よくもまあこんな旅ができたものだと自分で感心します。ソ連時代ですが、日本で手配した個人旅行だったのです。

#いま自分にできること #ブハラ #bukhara #外出自粛


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?