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新作歴史小説『茶聖』|第一章(四)

真の芸術家か、
戦国最大のフィクサーか――


安土桃山時代に「茶の湯」という一大文化を完成させ、
天下人・豊臣秀吉の側近くに仕えるも、
非業の最期を遂げた千利休の生涯を、歴史作家・伊東潤が描く!
新作歴史小説『茶聖』。

戦場はたった二畳の茶室――。
そこで繰り広げられる秀吉との緊迫の心理戦。
門弟となった武将たちとの熱き人間ドラマ。
愛妻、二人の息子たちとの胸に迫る家族愛。

発売直後から話題を集め、早くも二度の重版がかかるヒットとなっている本作の試し読みを、noteにて集中連載いたします。


第一章(四)

天正十年も押し迫った頃、宗易は上京にある「あめや」という屋号の窯元を訪ねた。
 元々、「あめや」は先代が「阿米夜」という当て字で呼ばれた渡来人だったことに始まる。阿米夜は帰化して宗慶と名乗ったが、「あめや」が誰もが知る通り名となっていたので、それを屋号とした。
 宗慶の子は長次郎と名乗り、瓦造りの窯元として洛中で名を馳せていた。
 久方ぶりに京の町に来た宗易だったが、その賑やかさに舌を巻いた。信長の死など下々には関係ないと言わんばかりの活気だ。というのも信長の行ってきた楽市楽座、撰銭令、金銀貨の鋳造と普及、枡(単位)の統一、道路網整備といった景気刺激策が功を奏し始めていたからだ。
 冬にもかかわらず長次郎の作事場(工房)の中は熱気に溢れ、多くの職人や下働きの小僧が行き来していた。その間を縫うようにして、宗易は瓦の出来具合を確かめている男の許へと向かった。
「いかがなものか」
 宗易の声に驚いたかのように振り向いた男は、持っていた獅子瓦を示すようにして答えた。
「この獅子の顔が気に入りません」
「よき出来具合に思えるが」
「魔を寄せ付けぬために使われる獅子瓦の面つきとしては、柔和に過ぎます。これでは魔に付け入られてしまいます。今にも猛々しく吠え出すようなものでないといけません」
「それなら、鏡に映った己の顔を彫ったらよい」
 長次郎と呼ばれた男は、眉が太く顎骨が張っており、まさに獅子顔だった。
「さすが宗易様、苦い一服ですな」
 二人は互いの戯れ言に高笑いすると、作事場の奥にある待合に向かった。

「つまり、村田珠光様が考案した『冷凍寂枯』の思想を踏襲した茶碗を作れと仰せか」
 長次郎が目を見開く。
 珠光とは室町時代中期に活躍した茶人のことで、「茶禅一味」の思想を確立し、侘茶に行き着いた。すなわち珠光こそ侘茶の創始者と言ってもよい。
「冷凍寂枯」とは、「冷える」「凍る」「寂びる」「枯れる」という概念で、「侘」の構成要素となる。ちなみに「侘と寂」という言葉は並列ではなく、「寂」は「侘」を構成する一要素にすぎない。
「しかも一つひとつ、轆轤を使わず手捏ねで作ってもらいたいのだ」
「その真意は」
「そのうち分かる」
 これからしようとしている提案を秀吉が受け容れるかどうか分からない段階で、長次郎に真意を語っても仕方がない。
「つまり、これまでのように唐物の天目や高麗の井戸茶碗ではなく、和物の今焼き茶碗で、茶事を行うと仰せなのですね」
 すでに十年来の知己ゆえか、長次郎は宗易の意を理解するのが速い。
 今焼きとは文字通り、今焼いたばかりという意味だ。
「そうだ。これまでのように名物を見せ合い、その由来などを語り合いながら行う茶事ではなく、主人の作意によって一点一点に装いを凝らし、己の作意を競い合うような茶事にしたいのだ」
「作意を競うと仰せか」
「うむ。格式と定型から脱し、茶の湯を自在に飛翔させる」
 長次郎が「うーん」とうなって感心する。
「さすが宗易様。私のような職人に、かようなことは考えも及びません」
「そんなことはない。何事も苦境に立てば生まれるものだ」
「苦境とは──」
「もはや、天下の大名物と呼ばれるものは少なくなったからな」
「あっ」と言って長次郎が膝を叩く。
「いかにも天下の大名物は本能寺で灰となりました。しかし総見院様がすべての名物を所持していたわけではないので、まだまだ世に名物はあまたあるかと」
「だが、名物の頂を成していたものは灰になった。それゆえ残る名物だけを、わしが見立てて値打ちを高めていっても限りがある」
「ははあ、それでお考えを変え、名物を見せ合うような茶事から、作意を競うような茶事に移行したいわけですね」
 長次郎は頭の回転が速い。それが「あめや」を上京一と呼ばれる窯元に押し上げたのだ。
「だが、わしの考えを次なる天下人が受け容れるとは限らぬ上、わしの思惑が外れれば、今焼きの茶碗などに、誰も見向きもしないだろう」
「なるほど」と言ってしばし考え込んだ末、長次郎が言った。
「これまでと違った趣向を凝らし、その新奇さによって数寄者を引き寄せ、さらに新たな数寄者を増やしていくというわけですね」
「そうだ。わしは一つひとつが唯一無二となる茶碗によって、茶事に携わる者たちの数寄心を呼び覚まし、茶の湯を未来永劫に定着させたい。その手伝いをしてほしいのだ」
 息をのむような顔をした後、長次郎が言った。
「この上なき誉れです。むろんお代はいただきますが」
「もちろんだ。そう言ってもらわねば気持ちが悪い」
 作事場で働く者たちが振り向くほど、二人は高笑いした。

(続く)

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