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新作歴史小説『茶聖』|第一章(三)

真の芸術家か、
戦国最大のフィクサーか――


安土桃山時代に「茶の湯」という一大文化を完成させ、
天下人・豊臣秀吉の側近くに仕えるも、
非業の最期を遂げた千利休の生涯を、歴史作家・伊東潤が描く!
新作歴史小説『茶聖』。

戦場はたった二畳の茶室――。
そこで繰り広げられる秀吉との緊迫の心理戦。
門弟となった武将たちとの熱き人間ドラマ。
愛妻、二人の息子たちとの胸に迫る家族愛。

発売直後から話題を集め、早くも二度の重版がかかるヒットとなっている本作の試し読みを、noteにて集中連載いたします。


第一章(三)

永禄十二年(一五六九)二月、堺は信長に矢銭を払う代わりに、その庇護下に入ることを了承した。
 これにより信長は佐久間信盛や柴田勝家ら九人の上使を堺に下向させ、堺を実質的な占領下に置いた。上使一行を迎えた宗久と宗及らは、大寄せを催して佐久間らを歓待した。
 一方、宗易は裏方に回って、後に「名物狩り」と呼ばれることになる信長の名物買い付けを手伝っていた。宗易の仕事は名物と呼ばれる茶道具に値を付け、それを松井友閑と丹羽長秀に告げることだ。
 だが事は容易には運ばない。
 いまだ信長を「将軍の代官」程度にしか思っていない者は多く、引き取り値を告げても首を縦に振らないのだ。それでも情報に敏感な商人たちは比較的素直に従い、中には「代金などいただけません」と言って、献上する者までいた。
 問題は寺の住持だった。住持にも茶の湯数寄はいる。というのも元々、茶の湯は入宋した栄西によって十二世紀の後半に伝えられ、禅寺から伝播していったので、その伝統が脈々と受け継がれていたからだ。
 彼らは檀家の寄進した資金に物を言わせ、「東山御物」などの名物を買い上げていた。とくに寺院の装飾にもなる床飾りや脇道具(書画の掛軸や花入など)を持っている寺は多く、彼らを説得して譲らせるのは至難の業だった。
 武力に物を言わせて威嚇すれば、事は済む。だが諸寺から信望を得ようとしている信長は、相手に反感を抱かせずに買い取るべしという指示を出していた。
 どうしても話のまとまらない時は、友閑や長秀と共に宗易が寺に赴くこともあった。中には足元を見て吹っ掛けてくる欲深い住持もいたが、宗易は同等の書画の相場を説いて納得させた。それでも頑として譲らない住持には、堺衆からの寄進という名目で、裏に回って圭幣(賄賂)を渡すなどした。
 そうした努力の甲斐あって、信長の許に名物が集まり始めていた。

 そんな最中の同年八月上旬、宗易は突然、妙覚寺にいる信長から呼び出しを受けた。
「久方ぶりだな」
 小姓を従えて信長が方丈に入ってきた。室内の空気が張り詰める。
 一段高い上座に着いた信長は、以前にも増して威厳に溢れているように感じられた。
「ご無沙汰しておりました」
 宗易が深く頭を垂れる。
「そなたの仕事ぶりは友閑や五郎左から聞いている。相当の手腕だというではないか」
「いえいえ、それもこれも上様の御威光の賜物です」
「その御威光とやらをひけらかさずに、そなたは頑固者どもに、うまく申し聞かせているそうだな」
 ──この御仁の目は節穴ではない。
 信長は詳しく報告を受けていた。
「わしの見込んだ通り、そなたは器用者だ」
 器用者とは何事にも精通しており、難しい仕事でも、うまくやりおおせる者のことを言う。
「ありがたきお言葉」
 信長が背後に控える小姓に視線を向ける。それだけで小姓は、すべてを察したように次の間に消えると、三方に載せたものを重そうに運んできた。
「これは、わしが鋳造した銀子だ。褒美に取らそう」
 眼前に円錐状に重ねられた銀子の山があった。優に米百石は買える量だ。
「いや、それほどのことはしておりません」
 むろん宗易とて人だ。商人なので欲もある。だが、こうしたものは過去の功に対して下されるだけでなく、将来の活躍への期待も含まれているのをわきまえていた。
「これは褒美だ。他意はない」
 躊躇する宗易の心中を見透かしたかのように、信長が言う。
「それでは、ありがたく頂戴いたします」
 さらに遠慮をすれば、信長が不機嫌になるのは明らかだった。
「それでよい」と言って信長が笑う。
 その冷たい笑いが胸底にまで染み通る。
「今日は、わしの真意をそなたに語ろうと思うて呼んだ」
「いったい何のことで──」
「以前、そなたは『名物を買い上げる宛所はいずこに』と問うたな」
「は、はい」
 つまらぬ好奇心から余計なことを聞いてしまったことを、宗易は後悔した。
「今、それを教えてやろう」
 信長は立ち上がると、床の間に飾ってあった「初花肩衝」を手に取った。
 二月に入手して以来、信長はどこに行くにもこの肩衝を携行するほどの気に入り方だと、宗易は聞いていた。この肩衝は「天下三肩衝」の筆頭と謳われた名物中の名物だった。
「初花肩衝」を持って座に戻った信長は、無造作にそれを投げた。
「あっ」
「初花肩衝」は宗易の目の前まで転がると、弧を描くようにして止まった。もちろん畳の上なので割れはしないが、その扱いに宗易は意表を突かれた。
「わしにとって茶碗など、茶を喫する器以上の値打ちはない」
「では、なぜ茶道具を集めるのですか」
「わしは、茶の湯によって天下を統すべようと思う」
「それは、いかなる謂で」
「茶事の開催、つまり茶の湯張行を認可制にし、また功を挙げた者には、褒美として名物茶道具を下賜するのだ」
「功を挙げた者たちへの褒美を、土地や金銀ではなく茶道具にすると仰せか」
 啞然として問い返す宗易に、信長は薄ら笑いを浮かべて答えた。
「そうだ。土地には限りがあるからな」
 ──この男は何を考えているのだ。
 宗易には、信長の言っている言葉の意味が理解できない。
「分からぬか」
「はい。分かりません。武士にとって土地は何物にも代え難いはず」
「それを変えていくのだ」
 信長が、さも当然のように言う。
「茶の湯を流行らせ、道具の値打ちを高めれば、皆はこぞってそれをほしがる」
「あっ」
「分かったか。皆の思い込み(固定観念)を変えていくのだ」
「それを主導するのが、茶の湯だと仰せなのですね」
「そうだ。これからは茶の湯がこの世を支配する。その大事業を手伝うのが、そなたら堺衆というわけだ」
 ──とんでもないことになった。
 その先に待つものが何かは分からない。だが、この世の価値がひっくり返るようなことを、信長が行おうとしていることだけは間違いない。
「そのためには、この世の武士という武士のすべてを茶の湯に狂奔させねばならぬ」
「なぜ茶の湯なのですか」
「茶の湯は、武士たちの荒ぶる心を鎮められるからだ」
 ──そういうことか。
 宗易は信長の深慮遠謀に舌を巻いた。
 茶の湯に近い芸道でも、書画骨董は見るだけで作法がない。生け花に作法はあるが、価値を生み出せるものは花入しかない。それに対して茶の湯には、緻密な作法と多彩な茶道具という長所がある。
 ──しかも茶道具は、名人の「見立て」によって、いかようにも高い値が付けられる。
「だが荒ぶる心を鎮めるのは、わが天下が成った後でよい。まだ配下の者どもには欲心を持ってもらわねばならぬからな」
「つまり上様の天下が定まった後、武士たちの荒ぶる心を鎮めるために、茶の湯を敷衍させていくと仰せなのですね」
「そうだ。わしが天下を取って後は、何人たりともわが血筋に弓を引けぬようにする。つまり武士たちの心を飼いならし、下剋上なき世を作るのだ」
「恐れ入りました」
 ──かような男でなければ、天下は取れない。
 宗易は信長の底知れなさを畏怖した。
「だが、わしには権勢(権力)はあっても、威権(権威)はない。それゆえ、そなたが威権を司れ。それによって名物の値打ちを一国、二国と同等に、いや、それ以上のものにしていくのだ」
「はっ、はい」
 下が上を覆す下剋上の時代にあっては、こうした価値の転換が起こってもおかしくはない。だが信長が、いかにしてそうした発想に行き着いたかは分からない。
「わしは南蛮人から教えられた」
 信長が宗易の心中を見透かしたかのように言う。
 信長によると、天下制覇の過程で功を挙げた者たちに報いる土地がなくなることは、以前から気づいていた。それをいかに解決するか、信長は知恵を絞った。だが、なかなかいい方策は浮かばない。
 ところがある時、かつて来日したザビエルという宣教師の弟子で、日本にとどまっていたフェルナンデスという修道士から、「西洋の王は、功を挙げた騎士たちへの褒美に絵画や彫刻を下賜します」と聞いた。さらに「王にとって、その威権を具現化する絵師や彫刻家はなくてはならない存在です」と教えられることで、自分もそれに倣うことにしたのだという。
「それを聞いた時、わしは膝を打った。だが、それをまねるだけでは面白くない。わしは茶道具を物として扱うにとどめず、茶の湯という一つの芸道として、大きく広げていこうと思うておるのだ」
 ──そうか。道具を下賜するだけでは、それで終わりだ。有徳人(金持ち)だけの嗜みだった茶の湯を、武士の間に流行らせることで、より大きな渦を生もうというのだ。
「だが厄介なことに、名物には限りがある」
 信長の顔が曇る。
 ──確かに「東山御物」や唐渡りの名物の数は、さほど多くはない。
「それでもわしは堺を手にした。向後は多くの船を朝鮮や唐土に送り、名物をかき集める」
「なるほど。それで上洛するや真っ先に堺を──」
「ようやく分かったか」
「はい。得心しました」
「では、そなたにわが代官が務まるか。つまりわが政権の威権を担えるか」
 宗易は堺の一商人かつ一茶人として生涯を送るつもりでいた。それぞれの道で一流にはなりたいと思っていたが、それ以上の野望はなかった。だが運命は、宗易を「一商人かつ一茶人」で終わらせようとはしていないようだ。
「いわば──」
 信長が宗易に鋭い眼光を注ぐ。
「そなたには、わしの影になってほしいのだ」
「影、と仰せか」
「そうだ。そなたは影となれ。わしが光でそなたが影だ。つまり二人で天下を分け合うことになる」
 ──何たることか。
 宗易の眼前に突然、道が開けてきた。だが堺衆の中で、自分ばかりが頭角を現すわけにはいかない。
「しかし上様の茶頭には、今井殿と津田殿もおられます」
「ああ、あの二人には表の仕事を担ってもらう。つまり、茶事を通じての雑説の収集と周旋だ。また宗久には交易の振興を、宗及には玉薬の原料となる焔硝の入手を担ってもらう」
 ──そういうことか。
 自らの家臣が交易や流通に詳しくないことを、信長は十分にわきまえており、その部分を堺衆に代行させようというのだ。
「もはや戦など、わしにとってどうでもよいことだ。戦などせずに天下を平らげること、すなわち戦乱のなき世を実現することができれば、それに越したことはない」
 信長の期待に応えていくのは、容易なことではない。だが宗易には、この世を静謐に導き堺の町を繫栄させる、すなわち日本国内の商品流通を活性化させるという念願がある。
「力の及ぶ限り、ご意向に沿うようにいたします」
 平伏する宗易の頭上に、信長のせせら笑いが降り掛かる。
「力の及ぶ限りだと。わしの家臣で、そんなことを言う者はおらん。わしにとって大切なのは、一生懸命やったかどうかではなく作物(成果)なのだ」
「恐れ入りました」
 宗易が額を畳に擦り付ける。
「わしの意のままに事が運ばぬ時は──」
 信長が再び酷薄そうな笑みを浮かべる。
「それなりの覚悟をしてもらう」
「覚悟とは、いかなることで」
「さてな。そなたらの首を刎ねるか、堺を火の海にするか」
 ──われらは好き好んで、そなたのために働くわけではない。
 そうは思うものの、信長の言葉に抗うわけにはいかない。
 もはや堺と堺衆は信長の作り出した渦の中に身を投じてしまっており、そこから抜け出すことなどできないのだ。
 ──いや、待てよ。
 その時、宗易は気づいた。
 ──信長の目指すもの、すなわち「戦乱のなき世」は、堺の目指すものと一致する。つまり操られているように見せかけて操ればよいわけだ。
 それに気づいた時、宗易の胸底から自信がわいてきた。
「承知しました。上様のために必ずや──」
 宗易は一拍置くと、思い切るように言った。
「ご意向に沿うようにいたします」
「それでよい」
 信長の高笑いが方丈に響きわたる。それを宗易は冷めた心で聞いていた。
 以後、宗易は信長の影となった。
 信長が天下平定戦の合間に行った茶事にも幾度となく呼ばれ、その流れるような点前を披露した。そうしたことを繰り返すことによって、上級家臣から次第に茶の湯が広まっていった。
 天正二年(一五七四)には、相国寺での茶会後に、宗易は信長から蘭奢待という天下無二の香木の一部をもらった。蘭奢待は正倉院の宝物の一つで、二つとない高貴な匂いを漂わす香木として名高い。
 信長の目指す「御茶湯御政道」は宗易の手助けを得て、うまく回り始めていた。
 茶会を武功のあった家臣への認可制にし、褒美は土地の代わりに名物を下賜するなどして、信長は武家の間に茶の湯を浸透させると同時に、茶の湯を武家儀礼の一つにまで高めていった。
 羽柴秀吉は茶道具一式を信長から賜って歓喜に咽せび、滝川一益に至っては、信長から「武田攻めで功を挙げたら『珠光小茄子』を下賜しよう」と言われ、勇躍して武田勝頼の首を取った。だが、一益の行政手腕に期待するところ大の信長は、一益に上野一国と信濃二郡を与え、さらに関東奉行(関東管領と同義)に任命したが、「珠光小茄子」だけは与えなかった。
 一益はこれに落胆し、「上野国のような遠国に配された挙句、『珠光小茄子』もいただけず、茶の湯冥利も尽き果てた」と言って嘆いた。
 茶の湯への熱狂は日増しに高まっていた。そこに起こったのが本能寺の変だった。

(続く)

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