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高梨選手のメイク問題に関して思うこと

2月某日、Twitterにて不気味なワードがトレンドに上がった。

「メイク批判」なるワードだ。

さっそく調べてみると、どうやら北京オリンピックのスキージャンプに参戦している高梨沙羅選手がメイクして競技していることに対して「メイクしている暇があったら練習しろ」というバッシングが上がり、「それは間違いだ」という記事が執筆されたみたいだった。

その記事には、「アスリートだって普通の人なんだから」「メイクはメンタルにポジティブな影響をもたらす」などと、高梨選手を援護する内容が書かれていた。

それに呼応したTwitter民が、「メイクするかしないかなんて個人の自由だろ!」と、記事を引用しつつ自論を展開し、それが巨大なバズを形成したようだった。

私はオリンピックを全く見ていないし、そもそもTV自体をそれほど見ていないので全容はよく知らず、高梨選手がどんな人なのかはわからない。だが、こう思った。

「そうやって議論に参加すること自体が、高梨選手を傷つけているのではないか」と。

今日はそんなことについて書いていこうと思う。

まず、このバズを知った読者の多くが、こう思わなかっただろうか?

「どうでもいい」と。

私もその一人だ。アスリートがメイクをしようがしまいが、そんなの何の興味もない。心底どうでもいい。私の隣の社員がワックスをつけて出社するか否かくらいどうでもいいことだ。

それなのに、この記事に呼応して、多くのTwitter民が「そんなのアスリートの自由だろ!」と意見表明していた。はっきり言って、これは、記事執筆者の思惑にハマってしまったと言える。

当該の記事では、アスリートがメイクする理由がポジティブな口調で事細かに示され、高梨選手を擁護しているテイストで書かれている。しかし私は、「そんな細かい理由づけとか説明とかいらない。そもそも議論になる方がどうかしている」と思うのである。そのくらい、アスリートがメイクするかしないかなんて、「どうでもいい」問題なのである。そう思った読者も多いのではなかろうか?

あの記事の狙いは高梨選手を擁護することではない。目的は別にある。

それは、巨大なバズを形成し、PVを稼ぐこと、だ。

あの記事の問題点は、対象としているテーマに対し、誰でも簡単に意見を表明できる、というところにある

Twitterで検索をかけると、多くの人々が「そんなのアスリートの自由だろ」と高梨選手を擁護する側に回っていた。これは記事執筆者の思惑通りと言える。つまり、「誰でも意見を言いやすい題材の記事をインターネット上に投下し、狙い通り人々がSNSで意見表明をし、注目度を集めてトレンドまで乗せることで、巨大なバズを形成することで、よりPVを稼ぐ、という好循環を作ること」がこの記事の真の目的である。

正直、高梨選手にとってはいい迷惑だろう。いや、迷惑どころではない。本当に、止めてほしいと思っていると推察する。自分がcontroversial(議論を呼ぶ)な議題の主役になることなど、当人は望んでないはずである。自分がメイクするかしないか程度で多くの人の注目を集めてしまうことは、高梨選手にとって大きなプレッシャーだ。私だったら確実に傷ついてしまう。勝手な推測で申し訳ないが、高梨選手だって傷ついているだろう。

こんな風に、高梨選手を擁護するかのようなテイストで書かれた記事が、自自執筆者の目論見通りバズを形成し、controversialなテーマに格上げされ、結果として高梨選手を傷つけている。こんな皮肉な状況になっているのである。

もちろん、私が今書いているこの記事だって、もしなんらかの偶然でバズを引き起こしてしまったら、高梨選手を傷つけることに加担してしまうだろう。だが、自分の意見を書くために具体例を一つ挙げる必要があった。その具体例に選んでしまった高梨選手には本当に申し訳ないことをしたと思う。

このように、最近のインターネット界隈では、「誰でも意見を言いやすい記事を投下し、それにSNS民が呼応して意見表明することでバズを形成し、PVを稼ぐ」という手法が常套されているように思える。それが当事者を擁護するものであれ批判するものであれ、そもそも議論にすること自体が当事者を傷つけてしまう可能性にみな気づかないまま。

もちろん、言論の自由がある限り、議論に参加して意見表明することは自由である。しかし、議論に参加すること自体が当事者を傷つけることに加担している可能性がある、ということに我々はもう少し気を付けるべきだ。

特に、先に述べた高梨選手のメイク問題の記事のように、本当は「どうでもいい」テーマにも関わらず、誰でも意見を発しやすいことをあえて議題に載せている記事には十分に用心する必要がある。もしそんな記事に呼応して、何かしらの意見表明をしてしまったら、記事執筆者の思惑通りとなる。バズの形成に繋がり、あなたの当事者を擁護する気持ちが、ひょっとしたら当事者を傷つけることに加担しているかもしれないのだ。

どれだけPVを稼げるかが評価指標となる業界では、このようにcontroversialにすべきでないテーマさえもcontroversialにすることで、巨大なPVを稼ごうとする思惑が働いている。そのような記事を見かけた際には、意見表明する前に、ちょっと考えてみてほしい。それは、自分が意見を述べるほど重大な問題なのだろうか? と。一歩立ち止まって、「どうでもいい議題じゃないか」と考え直してみよう。それが当事者にとって一番いいことなのだから。

賛成・反対に関わらず、議論に参加すること自体が、当事者を傷つけている。そのことに、我々はもっと注意を払うべきだ。

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