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政府の少子化対策はほぼ効果ない 〜少子化の本質的な原因とは〜

私は先日の記事で、少子化の本質的な原因は教育コストの高騰ではないと述べた。

今日の記事は、それに対するアンサーである。少子化の本質的な原因がどこにあるのか、私なりの考えを書いてみたいと思う。

少子化の原因は様々な側面から語られることが多い。先に述べた教育コストの高騰はもちろん、核家族化による見守り手の不足、女性の社会進出による晩婚化など。また、結婚した夫婦にできる子供の数はそれほど減ってないため、非婚化こそが少子化の原因であると述べる声もある。

だが、それらの原因は、少子化という巨大な現象を説明する変数としては支配的ではない。少子化の原因のほんの一部しか説明できていないと考える。では、いったい少子化の最大の原因とは何だろうか?

それは、人間の尊厳の高騰である。

今日はそんなことについて書いていこうと思う。

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まだ日本人の家族が、子供を5,6人産んでいたのが当たり前だったころ、例えば昭和初期なんかをイメージしてもらいたい。その頃、子供の尊厳は今よりずっと低かった。

赤ん坊が生まれても、四六時中そばについて遊んでやる必要もなく、母親は背中に赤ん坊をおんぶしたまま家事をしたり仕事をしたりしていた。子供が悪いことをしたら「○○さんにご迷惑でしょ!」の一言で厳しく怒鳴りつけて、時には手を上げても良かった。「子育てのハウツー本」なんてもの読まなくても、昔の母親は自分なりに子育てし、それで回っていたのである。昔の母親は、今よりもずっとテキトーに子育てをしており、そしてそれが「当たり前」だったのである。

また、昔の子供は病気や事故で簡単に死ぬものだった。今より医療も防災技術も発達してなかった昔は、子供はあっけなく死んだ。確かに子供の死は悲しいことだが、「子供は簡単に死ぬもの」というのが常識だったため、死はそういうものだとして受け止めるのが比較的容易だった。

子供が成長して大人になった後でも、親は子供の人生にそこまで心配することは無かった。子供の人生など、男だったら家業を継ぐか、女だったらどこかに嫁ぐかするくらいしか選択肢はなく、子供の進路選択にまで親が頭を悩ませる必要はなかった。

言ってみれば、子供なんてある程度放っておいても、それなりに成長して、それなりの大人になっていったのである。一生懸命子供の世話をして、子供の成長に常に寄り添い、子供を立派な大人に育てる、という親の責任は、ずっと小さかった。

だが今はどうだろう。子供の尊厳は、昔よりもずっと高騰している。

赤ん坊を産めば、精一杯の愛情を持って育てなければいけなくなった。子育ての手抜きなど許されない社会的風潮である。「子育てのハウツー本」には、「これとそれとあれをしなさい」とたくさん書かれていて、親たちはそれを実践しなければならなかった。子供に手を上げたら「虐待だ!」とすぐに騒がれ、子供の考えを尊重しながら親切丁寧に育てなければならなくなった。

また、子供を安全に快適に育てるための苦労も増した。子供が病気になったらすぐに医者に診てもらうよう推奨されており、子供が病気にならないように気を遣う心理的負担も増した。万が一でも子供が事故や事件に巻き込まれないように細心の注意を払わなければならず、親は気を休まるところがなくなった。

子供が成長して大人になっても、その進路選択を一緒になって真剣に考えなければならなくなった。人生の選択肢が多様化し、「子供のやりたいこと」を尊重するのが是とされる社会では、親の言い分を押し付けてはならず、子供の人生の行く先を共に寄り添って支えなければならなくなった。

立派な大人になるためのハードルも、どんどん上がっている。そなえておくべき倫理観、身に着けておくべき教養、コミュニケーション能力、これらは昔よりずっと上昇している。高度に発展した社会では、テキトーに育った人間はまともには生きていけない。親は、上がりすぎた「立派な大人へのハードル」を子供に越えさせるべく、昔よりずっと子供の教育に世話を焼く必要がでてきた。

言ってしまえば、子供の守られるべき尊厳が高騰したために、親がそれを守る自信を失い、子供をあまり産まずに、一点集中型にした方が良いと考えるようになったのである。子供の守るべき尊厳の重さを考えれば、4人や5人などとうてい育ててられない。できて1人、どう頑張っても2人が限界。それ以上になるととてもじゃないけど「尊厳の負担」に耐えられない、と親たちが思うようになってきたのである。

先進国で軒並み少子化が起きるのは、こうした原理からくる。社会が高度に発展し、ヒト一人の守られるべき尊厳が増していくほど、その重みに親たちが耐え切れず、子供の数を絞るしかないのだ。逆に、子供の尊厳が比較的低い発展途上国では、子供はどんどん生まれてくる。子供一人当たりにかかる親の心理的負担が少ないのだ。

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これまでは、子供の尊厳の高騰について述べてきたが、少子化の原因は、親の尊厳の高騰にもある。

また昔と今を比較することになるが、昔の親は、子供を産み育てて、ただ老いていって、死んでいった。それで満足だった。それが「当たり前」だった。それ以上に素晴らしい人生のロールモデルなどほとんど見当たらなく、みな、「子供が無事育って大人になってくれればそれでいい」というささやかな願望で生きて、そしてそれを叶えれば満足して死ぬことができた。それが普通だった。

だが今は、「生きがい」や「自己実現」というワードが人生において最も大きな意味を持つようになった。思いっきり自分らしい人生を満喫して死にたい、と大勢が考えるようになった。仕事や趣味でも、とにかく「自分」の人生を大切にして、好きなように生きて、人生を全うする。そんなロールモデルが巷にあふれるようになって、人々はそれを目指すようになった。他人ではなく、自分の人生を大切にすることが「良いこと」だという価値観に現代はシフトしていっている。

はっきり言ってしまえば、自分の人生を大切にする上で、子供は邪魔である。子供への手間がかかるほど、自分の時間はどんどんと失われていく。

人の尊厳が上昇し、「自分のやりたいことをやって生きよう」という価値観が「良いもの」とされるほど、必然的に子供は減る方向に傾く。ライフスタイルが多様化した現代では、子供を立派な大人に育てるだけではとても人生に満足したとは言えず、人々はより高次元の「生きがい」や「自己実現」を求めるようになった。人々の願望が、グッと上がってしまったのである。

親たちは、「自分の人生を大切にする」という現代の価値観に従い、子供を産まなくなってしまった。

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少子化は国の最重要課題とも言うべき問題であるため、政府はあの手この手で出生率を上げようと努力している。幼稚園や高校を無償化したり、婚活を自治体支援で行ったりといった具合だ。大学も無償にすべきだとか、子供一人産んだら1000万円を支給すべき、なんて論者も現れている。

しかし、こういった施策は、何もやらないよりはマシだろうが、少子化をクリティカルに解決する起爆剤にはならない。これまで書いてきたように、少子化の本質的な原因は人間の尊厳の高騰にあり、子供にかかるお金を支援したところで、焼け石に水程度の効果しか出ないからだ。いくら財政的に子供を育てやすくしたとしても、人間の尊厳は高騰したままだ。これは価値観の問題であり、お金の問題ではない。

だとしたら、少子化を改善するためには、昔みたいに親たちはテキトーに子供を育ててよく、人生の選択肢も狭く、育った大人も高度な倫理観や教養やコミュニケーション能力を身に着けている必要はなく、人々は「自分らしい人生」など求めず「子供を育てただけで満足」と老いて死んでいける価値観の社会、に戻していく必要があるのだが、それは許されないだろう。一度上昇してしまった人間の尊厳を下げることなど、できないからだ。我々は、そんな不可逆な時代に生きている。

言っておくが、人間の尊厳の上昇はそれ自体悪いことではない。だが、少子化改善とはあまりに相性が悪いのだ。

人間の尊厳が高騰した今、我々は着実に少子化社会へと向かっている。それは不可逆だ。誰にも止められない。子供が減り人口がグッと縮小された社会を生きる術を、我々は模索しなければならないだろう。


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