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ウィル・スミスの行動が現代の最適解すぎる件について

アカデミー賞授賞式で、アメリカの有名俳優ウィル・スミス氏が、妻に対して侮辱とも取れるジョークを放ったコメディアンのクリス・ロック氏にステージ上でビンタをくらわした事件――Twitterはその話題でもちきりになった。アメリカと日本ではスミス氏に対する評価が違うので、アメリカ本国ではロック氏を擁護する声が多数派だったようだが、日本のTwitterでは、「ウィル・スミスかっけぇ…」などと、彼を賞賛する声が多数上がっていた。

スミス氏はその後、SNSを通じて「私の行動は許しがたいものだった。謝罪したい」とメッセージを送った。

私はこの一連の騒動を見て、「か…、彼の行動は現代の最適解すぎる…!」と思ってしまった。

今日はそんなことについて書いていこうと思う。

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なぜ日本でスミス氏のビンタが賞賛されたかと言えば、彼の一撃は、妻を守ろうとしたがゆえの行動だったからである。「愛する妻を守るために、自身の評判に傷がつくことも省みらずに行動を起こしたんだなぁ」と。そしてその手段として暴力を発揮したことも拍車をかけた。言うまでもなく、現代の日本では暴力性は許されざる悪のように思われている。しかし実際は、人は、女性を守るために発露される暴力にある種の「男らしさ」を感じてしまう。

ハリウッド映画でも日本映画でもともかく、女性を守るための暴力は「男らしくカッコイイ」ものとして描写されており、観る側もそう感じる。例えば「タイタニック」では、沈没直後に海に投げ出され、別の男に浮き輪代わりにされて身動きが取れなくなってしまったヒロイン・ローズを、主人公・ジャックはその男をぶん殴ることで助ける。その男は画面外に消えて、その後の消息は知らない。

日本では、男性の草食化を嘆く悲しみの声が溢れているが、それは、「男はいざとなったら、暴力をもってでもして女性を守る強い存在であって欲しい」の裏返しでもある。ウィル・スミス氏は、そんな日本が求めている、「理想の男性像」をアカデミー賞の舞台上で見事に演じてくれたのである。そんな彼に対して、日本人は拍手喝采を送った。「よくぞ男らしさを発揮しれくれた」と。

そして同時に、彼は暴力性を否定する謝罪を公表した。「自分はついカッとなってやってしまった。でも本当は暴力は良くないことなんだ」と。当たり前のことだが、誰しも暴力は良くないものだと思っている。その倫理観を内在しているからこそ現代の日本はこんなにも安全で平和でいられる。スミス氏はきっぱりと自身の暴力を否定し、反省の気持ちを述べた。ここがポイントである。

つまりウィル・スミス氏は、現代で求められている「暴力性をもってでもして女性を守る男らしさを持ちつつ、かつ暴力は否定する倫理観を持っている」を体現してみせたのである。

女性を守るために暴力を発揮し、そしてそのことを謝罪する、という一連の流れは、あまりにも現代の価値観において最適解すぎるのである。侮辱されて、カッとなって、自身の評判に傷がつくことも恐れずに暴力を奮ってしまうほど妻のことを愛している。それと同時に、自分が悪かった、と素直に反省の気持ちを述べて、現代の価値観に合わせて暴力性をしっかり否定する。これを見て人々は拍手喝采する。「ああ彼は、心の底から妻を愛していて、そして心の底から暴力を否定しているんだなぁ」と人々は腹落ちするのである。(実際は彼は、ロック氏のジョークを笑っていたが、妻の顔を見て事に及んだようであるが)

一見すると、暴力を発揮しつつ暴力を否定するのは矛盾するように思えるが、「愛する人を侮辱されてカッとなって理性を失い暴力に走ってしまった。だが冷静な自分は暴力は間違っていると本気で思っているんだ」は、その矛盾の間隙をつくような「ギリギリセーフ」のラインなのである。法律の観点からではなく、少なくとも人々の感覚からすればの話だが。スミス氏は見事にその隙間を通り抜けた。

これが、「女性を守るために暴力性を発揮する」と「暴力性を否定する」のどちらか一方だけであったら、最適解とは呼べない。いくら女性を守るためと言ったって暴力を振るいっぱなしの人間など、現代ではあっという間に排除されてしまう。また、暴力性をきっぱり否定しているが、女性が困っていてもナヨナヨした対応しかとらない奴は男らしくないと思われてしまう。前者と後者、両方を備えているからこそ最適なのであって、どちらか一方だけでは駄目なのだ。「女性を守る暴力性」と「暴力を否定する倫理観」を両方とも持ち合わせていたからそ、ウィル・スミス氏は賞賛されるのである。(少なくとも日本では)

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もしあなたが男で、例えば飲み会の席なんかで、上司に妻を侮辱されて一発お見舞してしまい、後でそのことを泣きながらお詫びしたら、きっと賞賛されるだろう。「ああ、あいつは愛する妻のために上司に暴力を振るうほどの男らしさを持っていて、それでいて暴力は否定して自身の否を真摯に謝罪する高い倫理性を持っているんだなぁ」と。法律的にどう裁かれるかは別として。

言っておくが、この「女性を守るために暴力は振るうが、暴力は否定する」のは、あくまで「現代の日本で拍手喝采を浴びるための最適解」であって、決して人生や倫理性において最適解ではない。たぶん私がスミス氏と同じ状況だったら、その場では笑ってごまかし、後から妻を慰め、ロック氏に苦情を言いに行くだろう。大事なことなので強調しておくが、暴力など振るうべきでない。たとえ愛する人が侮辱されていてもだ。スミス氏の行動は「拍手喝采を浴びるための最適解」であって、決して良いことではない。そこを履き間違えるな。暴力は使うな。ましてそれで拍手喝采を浴びようなんて思うな。絶対に彼のマネはするな。私は彼の暴力に反対だ。

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このように、アカデミー賞の授賞式で繰り広げられた一連の騒動、そしてウィス・スミス氏の行動は、現代における最適解を我々に披露してくれた。おまけにグローバル生中継というサービス付きで。「女性を守るために暴力を使う男らしさ」と「暴力は否定する倫理性」を同時に体現してみせた事件として、私の記憶フォルダにそっと保存しておこう。


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