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2021年ノーベル平和賞 ー 日本の報道の自由について考える。

今回のテーマは、めずらしくLGBTQ+ネタではない。2021年ノーベル平和賞の受賞者を見て、本当に必要なジャーナリズム、本当に私たちが必要としている報道のされ方について考えさせられた。

今年のノーベル平和賞者は、ロシアの独立系新聞編集長ドミトリー・ムラトフ氏とフィリピンの著名ジャーナリスト、マリア・レッサ氏だった。2人とも、それぞれの国で報道への抑圧が続くなか、「人権侵害」や「汚職」などの政権についての批判、追求の姿勢を貫いてきたジャーナリストだ。

今回の2人の受賞の決定は、今日の「ジャーナリズムの抑圧」が世界的に広がっており、それに対しての社会への強い問いかけなのであろう。

一方で、日本の報道あり方について振り返ってみたい。個人的な印象だが、とにかく、昔と比べて新聞を読むことが面白くなくなった。自分が社会に対する関心が薄まったわけではなく、書かれている内容に「興味」を見出せないものが多くなったと感じる。

そんな中で、とある人から「安倍政権以降、政府のマスコミに対しての干渉」について話を聞いたことを思い出した。また、今回のノーベル平和賞の前評判で「国境なき記者団」の存在と、「世界報道自由度ランキング」を発表されていることを知った。2021年の発表では、日本はなんと71位。G7加盟国では最下位だった。

そこで、政府官邸のマスコミへの関与について、ネットを通じてのリサーチではあるが、色々なことがわかってきた。もちろん、ネットに出ているから、それが正いという訳ではないことをご了承いただきたい。

私自身も、新聞誌面よりもデジタル版の方が、(誌面での文字数制限が無い為か?)より突っ込んだ内容、より記者の言葉が伝わってくる気がしており、紙面では流し読みだった記事も、デジタル版ではより多くの情報と、追加のデータなども掲載されており、最近ではすっかりとデジタル版を読む事が多くなった。

で、この東洋経済の記事にたどりついた訳だが、この記事にある、「日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)が実施したアンケート」の結果が非常に興味深い、というか、恐ろしさすら感じるものだった。

「あなたが現在の報道現場で感じている『危機』について教えてください」という質問の自由記述回答には以下のようなものがあったそうだ。

・国会論戦を放送しなかったり、あるいはやっても短い。官邸記者が政権に都合の悪いニュースを潰したり、番組にクレームをつける。これは日常茶飯事。官邸記者が政権のインナーになっている

・ニュースソースが官邸や政権であること。その結果、番組内容が官邸や政権寄りにしかならない。彼らを批判し正していく姿勢がまったくない。というか、たとえあったとしても幹部が握られているので放送されない

・上から下まで、忖度と自主規制。事なかれ主義。サラリーマンばかりで、ジャーナリストはいない

・「過剰な忖度」であると現場の制作者も中間管理職もわかっていながら、面倒に巻き込まれたくないとの「事なかれ主義」が蔓延している

政府の会見へ参加できる記者の制限であったり、参加しても質問ができる記者が限定的であったり、記者会見の時間制限により、全ての質問を回答する事なく、質問ができない記者がいるまま会見を打ち切る、そのような実態の中、報道機関に従事する人たちは「何を思って」記事を書き、紙面にしているのであろう。

日本では、海外で起きていることが報道されることが極めて少ないとも感じている。これだけ情報の伝達が早くなり、他国との距離が短くなった昨今、世界で何が起きているのか。そして、それに対して日本はどのようなことをしているのか。また、日本で起きている事柄が、海外ではどのように報道されているのか。そういった情報もグローバル化が進む中で、日本社会において必要な情報だとも感じる。

安倍政権下において、菅氏が「報道への圧力」をどのようにかけてきたのか。そして、その結果、今の日本の報道がどのような状態なのか。

我々が求めている、本当の意味での「知る権利」と「報道の自由」について、改めて考える必要があると、強く思った。

以上

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