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20歳の目で見たカンボジアはどのように写っていたのか

皆さんお久しぶりです!!!Jeyです!
しばらくブログを投稿していないことに気が付きました笑
これからも自分のペースでのらりくらり想いを綴っていければなと思いますので
たまにお見かけした際はご愛読していただけるととても嬉しいです😊

僕の自己紹介はプロフィールに表示してありますのでもしよかったらそちらもご覧ください😊
いま、こうして読んでくださっている皆さんとのご縁に心から感謝して拙いながらも自分の思いや感じたことを伝えさせて頂きたいと思います。

だいたい5分程度でご通読頂けると思いますので少しのお時間を共にできたら
幸いです^^

それでは本題へと入らせてもらいます。




僕がカンボジアへ渡航することになった経緯

僕は今年の3月、そして8月とカンボジアへ2度渡航し合計2週間ほど現地に滞在し、生活していました。

滞在先は首都プノンペン・古都シェムリアップ・海の街シアヌークビルの3都市でした。

その3つの都市で僕は現地の医師・看護師らに救急現場での医療処置などを指導する目的の団体に帯同し、自分も現地の医療従事者に一次救命処置などを指導させて頂きました。(本当に貴重な体験をさせて頂き感謝です^^)



僕は渡航する以前からこんな疑問を抱いていました。

「自身の学んでいることを実践できたり還元することが出来る場所はないのか

そう考えて模索していた頃に,このようなお話があって迷わずに渡航しようと決意しました。巡り合わせにほんと感謝しかないです…

自分は小学生の頃から海外に行き、活動することが目標であったり、世界中を旅されている方達からのお話を聴いていたので海外や未知なる世界への好奇心が誰よりもありました。

なので不安は少しありましたが圧倒的に楽しみな気持ちがありました。

そうして

「これからどんな出会いや景色が広がるんだろう。異国で限られた時間をどう有意義に使おうか」

とワクワクしながら行きの飛行機に乗りました。

メモ用紙とペンを片手にヘッドホンで音楽を聴きながら。

到着して感じさせられたカンボジア国内の現状

正直、今でも到着した時の衝撃は忘れられません。
3月は乾季真っ只中だったので非常に暑く、道路を埋め尽くす大量のバイクやトゥクトゥクが街中を走り回っていました。

当時は、初めて東南アジアの国に渡航したため初めは非常に驚きましたし、至る所で日本と文化が異なっていたという点から早くも初日から刺激的な体験をすることができました。

それから僕たちは首都プノンペン市内にある国立病院へ直行し、現地の医師・看護師を対象とした医療研修を見学させて頂きました。
その場の雰囲気を見て、僕は心底驚きました。

「学びに対する意欲と楽しむ姿勢」が凄まじかったのです。

病院内研修で熱心に取り組む現地の医師たち

医師の皆さんの学習意欲は凄まじく、見ているだけでも沢山刺激を受けました。

さらにこの時期は、5月にカンボジア国内で開催されるSea Games(ASEAN諸国のみの大規模国際大会)に向けた救急医療の研修というのもあって、医療従事者の方々はより一層気合が入っているのを肌でビリビリと感じました。

医療だけではなく、街中の至る所でSea Gamesに向けて盛り上がっていて、まるでお祭りのような雰囲気がずっと続いていました。
(お祭り男の自分からしたらとっても楽しかったです!!!笑笑)

ずっと、いつまでも、そんな空間に居たいと感じていました。
東京とはまた違った、海の見える街でゆったりと..
(もともと自分の実家が港町だったからというのもあったかも..笑)



カンボジア国内の医療と国民の現状

・その日は2023年3月の23日。初めて渡航してまだ間もない3日目のことでした。

カンボジアへ渡航し、毎日の様に安価な食事かつ、日本では体験することの無い
それなりに裕福な生活を送り、まるでバカンスにでも来たかのような気分で暮らしていました。

その日もシアヌークビルにて当初の予定通り医療者研修を行っていました。

お昼休み、病院内の入院病棟内を特別に見学させていただくご機会がありました。
(どこまで貴重な経験させていただいているのか。。感謝!)

そこで、冷房も効かないような暑い病室で目にした光景がありました。

・生まれて数日後の赤ちゃんが超元気に母親の胸元で動いていたのです。

ここに感動したのにもいくつか理由がありました。
それは病院内を散策していた時でした。突然自分の横から大きな音と声がしました。

どけどけ〜!!!
と言わんばかりに数人の医療従事者と一台のストレッチャー(動くベッド)が僕の前をもの凄い速さで通り過ぎて行きました。

一瞬しかみられませんでしたが、
ストレッチャーに乗せられた方は交通事故に遭ったのか全身に包帯が巻かれてあり
至る所で包帯が赤くなっていました。救急救命学を専攻としている身として
一目で生命に直結する緊急度と重症度が非常に高いことがわかりました。

さらに、病院内のICU(集中治療室)が満室で外に屋根で覆い、ベッドを並べたまるで野戦病院のような光景が眼前にありました。そこも満床であり、病院の中庭でただベッドが空くのを待っている人たちが多くいました。
親子で肩を寄せ合い、誰かの助けが来るのをひたすら待っていました。

日の丸をつけた制服を着て見学している僕たちをずっと見ていた人たちに何か自分にできることはないのかと自分の無力さを感じ、皆んなの為にひたすら祈り、解決策を求めました。ただひたすらに。
当然な話、自分一人では何にもできるはずがありません。
彼らに対し、あまりにも小さく、情けないとさえ思わされました。

そして、シアヌークビルに在住の女性の方との会話がカンボジア渡航の思い出の中で最も強く今でも残っています。
(この話はまた後ほど、、、長くなってしまいそうなので。。)

話がかなり飛躍してしまっているような気がしますが
日本との医療技術には強く驚かされました、、、

カンボジアで最も感動したことは次のブログでお話しさせていただければなと思います。引き続き、Jey Blogのご愛読のほどよろしくお願いします!!






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