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『激動』16日間の実習を終えて

賢い者はこれを聞いて学に進み、悟る者は指導を得るであろう。

旧約聖書 箴言1章5節

救急救命学を大学での専攻分野とし、スポーツや趣味、学生団体の活動などで国内外で活動の幅を展開中の大学4年生 Jeyです。

今回は、前回の投稿の続きとなります。(大変遅くなりました、、、、)
まだ見ていない方はぜひこちらから読んで頂けると嬉しいです。

前回の投稿はこちらから↓


今回は、病院実習の全日程を無事に終了し、ようやく待ち望んだ春休みが来たので
実習中に学んだ事を振り返ってアウトプットがてら自分の思考を整理出来たら良いなと思って書こうと思います。

そんなに堅苦しくなく、気軽に学生なりの考えを述べたいと思います。
拙い文ではありますが読んでくださる皆さんに感謝しています。

それではどうぞ!



 ・初日


朝5時。まだ陽も登らない真っ暗な時間だった。
眠たい体を起こしていつものルーティーンをこなして
5時半に朝ごはんを食べた。

この日は8時には病院に来て欲しいとの要望を1日先に実習を行っていた同期から頂いていたので遅れまいと急いで準備した。

着慣れないスーツに身を包み、不器用ながらにネクタイを締め、高校時代の友達から貰った長文のメッセージに背中を押され、気合と共にジャケットを強く締め、
整えた。

この瞬間なんだか社会人にでもなったかの様な新鮮な気持ちになった
(サラリーマンと言ったらスーツ的なイメージあるじゃん?笑 スーツはあまり好きではないけど、、、)


電車の乗り継ぎもスムーズにできて渋谷を経由し、無事に病院まで時間に余裕を持って到着。
同期と無事に会い、諸々の説明を受け引き継ぎが完了。第1クールの同期は第2クールの自分達よりも1日早く実習を行なっているため、1日違いで引き継ぎを行う仕組みになっている。
第1クールの同期2人は明らかに疲れが見えていた。
「これから24時間どうなるんだろ、、、」と不安に思いながらも同期を見送り、
自身の持ち場につこう。そう思った矢先。

「5分後、ホットラインが到着します。よろしくお願いします」

僕の持つ内線子機に救命科のお医者さんからこの一言のみ伝えられた。朝9時、
同期から引き継いで1分もしないタイミングだった。

あまりにも早いタイミングで最初の実習がスタートした。
もちろんこの業界、24時間いつでも対応することが求められているのは周知の事実であるが少し油断していた。ローソン行きたかった〜笑
「うっそ!もう来るの?!」と焦りながら慣れない病院内を走って救急処置室へと向かった。

なんとか間に合って感染防止衣に着替えて救急車の到着を待った。
数分後、救急車が到着し処置室へと運ばれていく。

お医者さんから「そこの君、人工呼吸交代して!」と突然頼まれ
あまりにも早すぎる現場デビューとなった。

正直、とても怖かった
とても緊張じゃ言い表せない緊迫感と恐怖感が押し寄せて来た。
けれども、そこに助けなければいけない命があったから救わなきゃ!の責任感が
上回った。
結果、救うことができた(重体ではあったが迅速な救急隊の処置のお陰でかなり軽快な方向へと向かってた為さほど行なっていなかったけど、、、、)
初めての事で緊張したのもあり、一連の流れが終わり、ほっと胸を撫で下ろし、
次に備えた。

その後何度も救急患者さんが来院されたが不思議と緊張したのは
初めてだけだった。
(決して緊張感がないという訳ではありません。不安な気持ちだけが取り除かれたというのが正しい表現なのかもしれない)

良いですか? まずは、始めてみること。そして続けてみることです。

お世話になっている方から言われた言葉

今でもそうですが、よく小さい頃からお母さんは僕に言い聞かせてくれました。
「まずはやってみること。そこに意味があるから」
今でも口酸っぱく言われてるのでとても感謝してます。ありがとう愛してる

・雪が降っていた日

実習中は寝れない日もあった。ベッドが満床の時以外は寝れず、夜中に内線電話が鳴り、処置室に急いで向かうという日もあった。

この日もそんな日だった。
日中は平素通りの内容であったが夜中(確か1:30くらいだったと思う)に電話が鳴り急いで休憩室から走って向かった。
僕の実習先は構造上、外廊下を経由して処置室に向かわなければならないものとなっていた。

外はマイナス1℃を下回ってた。区内なのに珍しいと思いすぐさまパシャリ📸

外は真っ暗で雪が降り積もっていた。寒いなと思いながら処置室へ。
中は夜中なのに騒がしく切迫した空気感だった。
とても忙しく、とても眠かったが、なんとか無事にやり終えることができた。

この辺りになってくると、少しづつではあるが、
スムーズに点滴を取ることが出来たり、大まかな段取りも把握することが出来るようになってきた。

たとえ、どれだけ未熟だったとしても責任感を持ってやり抜くこと!
手を握ることだけでも大きな意味はある。

同じ学科の先輩から言われた言葉


生活の中で、自分の未熟さに何回も何回も嫌気がさすことがあります。
無知のせいでたくさんの人に迷惑をかけてしまうことだってあるし、
気概があっても後ろ指を刺されて笑われ、恥をかくこともあるし、
何をやっても上手くいかないことが続く日だってある。
それでも辞めたり諦めたりする理由なんかには1ミリもならないと思います。
未熟だからこそ、自分を信じ切ることが大切だと言い聞かせてます。


・全てが報われた最終日

前述したように、僕は大学のクラスの
中でもさほど秀でた成績や評価を得ているわけではありません。
成績はいつも中盤から少し上位。どこにでもいるような学生です。
ここまで無事に進級することが出来たのは聡明な友達のお陰です、、、
ほんっとに感謝しかないですありがとう(笑)

そんなどこにでもいる、ありふれた学生であっても、正しく、出来ることを最大限行えば天は必ず分かって共にしてくれるのだなと感じた思い出がありました。

行った通りにすれば必ず報いられる

お世話になっている先生の言葉

”ここが全体の中で最も伝えたい箇所になります”
最終当直の日でした。
正直かなり肉体的にも疲労がきていたので、
やっと今日で終わりだー!最後だけど実習頑張ろと思い、
いつものように参加していました。

研修医の方たちも最終日だったというのもあり、みんなで写真を撮って楽しい時間を過ごすことが出来ました。
僕たちよりも何ヶ月も先に救命センターで研修していたのにも関わらず、終始、優しく丁寧に教えてくださったりして本当に感謝しかないです。
良い人たちに恵まれ、素晴らしい実習ができたので自分の良い思い出になりました。

この実習で、僕が切実に祈っていたこと、それは
誰も自分の前で亡くならず、人と人との繋がりを感じられる実習になるように」でした。
そのために条件として
・弱音を一切吐かない
・出来ることを最大限やり切る
・楽しく真剣にやる

の3つ、基礎的な部分を守ると約束して臨みました。

学生が社会に対して貢献出来ることは本当に小さなものです。
ですが、何事においてもそうですが、
少しづつ自分に出来ることを持って心と想いと命を尽くしてやることが大事で、
それがまさに事に仕える=お仕事の基盤であると寿司職人である祖父から教わりました。感謝ですね。

愚直に、行いました。一人一人の患者さんに懇切丁寧に接しました。
弱音も一切吐かずにやり抜きました。
そしたら、多くの院内スタッフの方々や患者さんから
ありがとう。お陰さまで助かりました!

と言ってもらえました。とっても大変だったけど、やり切って良かったなと心から感じました。
多くの方の生死を賭けた瞬間の中においても人と人との繋がりは無くしてはならないと心底感じました。
そして奇跡的なことに、
僕の当直の日には僕の目の前で亡くなった方は一人もいませんでした。
一回、これでダメだったら蘇生不能(生き返らない)と判断しようとなり諦めそうになった瞬間でも最後の最後に息を吹き返し、奇跡的な瞬間にも携わらせてもらうことがありました。
そこで天はやっぱりあるのだなと感じたし、何より行った事に対して倍報われたんだなと感じました。

実習も終わり、インスタのストーリーを上げたら、国内外の多くの友達から
いいねとコメントをもらいました。そんなに!?ってほど貰ったしびっくりした。

タイの友達から、実習期間内にも関わらず、タイから来てくれてありがとう!

多くの方の人生に関わらせてもらう中で、一度きりしかない肉体の人生。
やはり楽しんで自分の夢に向かって頑張りたいなと
改めて感じることが出来ました。

人と人とがつながり合い、千年続くことを成したいしそこに携わりたい。
それが自分の人生の中で成せなかったとしても、必ず誰かが思いを汲んでやってくれると思います。行えることを最大限、残り1年の学生生活で発揮していこうと思います。

僕の母校サッカー部では、現在4代にわたって救急救命の道に進んでいます。
最初は自分がトップバッターだったからどうなるか不安なこともあったけど、4台に及んで祝福されているのを感じるとより一層責任感が芽生えます。
小さな体ではあるけど、全力で走ってみんなに益が為されることを願ってこれからも走り続けていきます。
2日後には就職試験があります。 結果に報いられるように頑張ります!

最後に、病院実習にあたり関わってくれた多くの人たちと
3,700文字を超える長いブログを読んでくれたみんなに感謝します。







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