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主夫がおうちでセラピストしています「赤字セラピストからおうちセラピストへ」

セラピーする傍らに掃除機と洗濯機

今の自宅でのセラピーサロン以前、とてもとても自宅には呼べない環境に僕たち夫婦は住んでいました。

最寄り駅から遠い家、線路沿いで騒音があり、セラピールームを確保することもできない部屋数、隣家から聞こえてくるテレビの音…などなど、自宅でセラピーをしようなどと思えない家でした。

それでも僕のやっていること(整体やカウンセリング)に興味を持ってくれて、わざわざその家に来てくれる方もいて、洗濯機とキッチンがあるような部屋でマッサージやカウンセリングをしていました。部屋にある掃除機を見つめながら、お越し頂く方への施術をしている自分が恥ずかしかったものです。

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「勉強させてもらっている」という免罪符

「カウンセリングや整体をするスペースを外で借りられないだろうか?」
十数年前、セラピールームのレンタルをしている方は少なく、ようやく条件の合う(僕に払えそうな金額)場所が見つかりました。

「これでいっぱしのセラピストだ!」
と、自分が提供するメニューにも価格をつけました。

60分のマッサージが一般価格6,000円、そして、お試し3,000円です。
ルームのレンタル料が平日だと1時間で1,500円弱、休日だと2,000円を超える価格設定でした。

前後の後片付けを考えると60分のセラピーだと90分〜120分のレンタルを申し出ておく必要があります。そこまでの交通費やお客さまのお茶代などを計算していくと…

「あれ?赤字ではないか?」

と氣付くのです。
(お金の計算すると「原価」が見えてきちゃう…)

「今日はギリギリ赤字にはならなかった!300円の黒字!」
とガッツポーズをとる日もあったかな。

ガッツポーズをした後に、思うわけです。
いや、思おうとしていました。

「いやぁ、勉強させてもらっているし、それでちょっとでも黒字なら万歳だよね!」
「逆に、逆によ、勉強代を払うところを、お金をいただけるんだから、すごいことだ!(そうだよなぁ?自分!)」

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死ぬほど空腹なのに他人に食事を振る舞うような切なさ

「勉強させてもらっている」という自分への「感謝の強制」は、実際のセラピーの運営に「膿(うみ)」として出てきました。

執拗に予約を平日で打診する(平日料金のほうが粗利がでる!)
お客さまのお茶を渋る(お茶代を削れば粗利がでる!)
セラピーが終わったらすぐに退室してもらう(ルーム予約時間短縮!)
きつきつのスケジュールで複数のクライアントとセッション(同上)
カウンセリングの導入対話が雑になる(すでに終了時間が気になる)

自分が赤字セラピストなんだということを思わないようにすればするほど、くっきりと言動は「赤字セラピスト」のそれになっていました。

自分が空腹で辛いのに、他人にご馳走を振る舞おうと背伸びしている自分を見せつけられます。帰りの電車の中で泣いちゃったこともあったかな。

「こんな情けない氣持ち、嫌だ…。」

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おうちでセラピストをして14年…

今では黒字セラピストです。
そのために、自分の望みや思い、過去に受けた思い込みをひとつひとつ丁寧にほどいてきました。

自分らしく生きることは他人に迷惑をかけることでは?
そもそも自分に才能があるのか?
我慢してこそ仕事という人たちへの遠慮
周りからの批評や批判
現実と理想のギャップを真正面から受け入れられるのか?
自分の望む人生に舵を取れるかどうかの不安

などなど。

今ではご機嫌でおうちでセラピストを主夫がしています。


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