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ハウルの動く城とソフィーの動く恋心

こんにちは。天宮 純です。
今回から始まりました、『天宮純の読みとく世界』
映画や小説、音楽のレビューをしつつ、天宮の感じた感想などをつらつらと話す記事となっております。
寝れない夜や、ティータイム、朝の通勤時間などのちょっとした間の小話としてお楽しみ頂ければ幸いです。

第一回はジブリ映画『ハウルの動く城』です。
個人的にはジブリ映画の中で一番好きな映画です。コロナの映画館で行われていた、ジブリリバイバル上映で本当は入れてほしかった…。
ほか4作品も好きですが、群を抜いて私はこの作品が大好きです。

【あらすじ】
帽子屋の少女ソフィーは、街で兵隊に絡まれていた所を噂の魔法使いの美青年、ハウルに助けられる。
しかし、ハウルも荒地の魔女に追われている最中だった。
その夜、ソフィーは荒地の魔女の呪いにより90歳の老婆にされてしまう。
帽子屋を飛び出して彷徨っていたところで、ソフィーがとある導きにより出会ったのは
あのハウルの城だった。
隣国との戦争の中、世の中の魔法使いも国のために戦争に協力しろという命令が下される。
ハウルもその内の一人だった。
何故、ソフィーとハウルは出会ったのか? ソフィーの呪いは解けるのか?
ハウルが失ってしまった物は一体何なのか?

【解説(ここから先はネタバレを含みます。)】
天宮のこの作品の好きポイントです。

ハウル、完璧すぎません???
まず、イケメンという事は誰が見ても事実です。劇中でもかなりのナルシストで自信家あることから、その様子は伺えます。
魔力も劇中のサリマンを師にしていて、彼女に最高の弟子だと評価されていた事からかなりの物であると推測できます。
スーパーハイスペック男子なのです、ハウルは。
それでいて自分の思い通りに行かないところに癇癪を起こしたり、自分が恐れているものに対しては極度にビビります。
怖がりで魔女避けのガラクタを集めたり、偽名を駆使したり自分を隠して生きています。
「自由に生きるのにいるだけ。」
名前の数を問われたハウルのセリフです。本質に触れることが怖いハウルは、全てを投げ出して自分のためだけに生きているのです。
その姿をサリマンにも、いつか荒地の魔女みたくなってしまう。と心配されています。
そのギャップに今流行りの、母性本能を感じる方は多いのでは無いかな…と思います。(今風に言うとバブみ?)
また、これが最近の作品ではなく15年前の作品と考えるとかなりの時代の先端を行くものではないか…と考えます。

そしてその対局にいる存在が、ヒロインのソフィーです。
彼女は自分に対して自信がなく、自己肯定感の低い女性です。
その自信のなさ故に、自分の幸せは手の中にあるだけで良いと考えています。
妹のレティーに「自分のことは、自分で決めなきゃダメよ!」
と言われるほど、家業である帽子屋に囚われているのです。
しかしハウルやカルシファー、マルクルとの生活で徐々に自分の存在意義を見出していきます。
自己の確立を決定づけた台詞は「もう!ハウルなんか好きにすればいい!私なんか美しかったことなんて一度もないわ!!」という台詞です。
一見すると自身の弱いところを露呈したセリフに感じますが、逆にこのセリフからはソフィーの人柄を感じられると思います。
『美しくあることが全てではない』『人の価値観は人それぞれ』
そういう風に感じ取れるシーンです。(前後のソフィーの城での奔放な振る舞いもそれを裏付けるエピソードでしょうか…。)

今回はこの主役二人にフォーカスした感想を纏めたいと思います。
まずこの様に対局の存在にいる、2人のラブストーリーが主となり物語は進んでいきます。
「何故?僕はもう十分逃げた。ようやく守らなければならないものが出来たんだ。君だ。」
そう言い奔放で弱虫だったハウルは、ソフィーのために戦火に飛び込んだように。
「だってあたし、あなたを愛しているの!」
その想いに気づいたソフィーは、それまで自分に自信のなかった女性だったのが嘘のようにハウルのために城を動かして、カルシファーの持っていたハウルの心臓を取り戻します。
ある意味自分の人生の中には、自分だけで良いと思っていた2人が誰かの為に行動したのです。

個人的に一番好きな台詞は「ハウル…ごめんね、あたしぐずだから。ハウルはずっと待っててくれたのに…。」です。
ジブリ史上最高に、ロマンチックなシーンだと思います。
過去、現在、未来といつだって2人の中には、お互いがいました。
ハウルの幼少期にソフィーが旅立ったことも。
こうしてお互いのために出来る事をしていく事も。
そして一緒にいることを選択した未来も。
2人は運命の相手だったという事です。(こういうと安っぽく聞こえますが…。)

そしてソフィーがカルシファーを従えられたり、心臓を取り出せたことは諸説あるみたいですが。
ソフィー自身が魔女の能力を持っている。という説を天宮は提唱したいです。
彼女は魔女でありながら、人間として魔力に頼らず物事を解決していきます。
カルシファーがソフィーの言う事を聞いているのは、約束もありますが…
単純に彼もまた、ソフィーという人間が好きなのだと思います。
それはまごう事なき、ソフィーの才能であり長所です。

あと個人的に一番好きなのは、『ハウルへの恋心を募らせるごとに若返るソフィー』という設定です。
ソフィーはハウルへの想いが大きい時や、寝ている時(これは己の素直な気持ちになれていることの表れなのかな?)は元の18歳という年齢の見た目に戻ります。
ハウルの動かす城の中で、ソフィーの恋心も揺れ動くのです。
またソフィーの自信のない時や自虐をする時は逆に老婆の姿に戻ります。
この繊細な表現がこのドラマティックな作品の見所となっていて、より魅力的な物に仕上がっていると思います。
『動く』という動詞にこの物語の意味や伝えたい事が詰まっていると私は考えております。

カルシファーに、ハウルが「城を100キロ程動かしてくれ」と命令するシーンがあります。
城は常に動いているのですが、ハウルの魔法により様々な場所に繋がっています。
その中でもハウルがソフィーを想い、ソフィーの生まれた街と自分の一番大切にしている場所を繋げます。
ハウルだからこそ出来る、最高のプレゼントです。

サリマンのところで、ハウルの魅力を語るシーンのソフィーの恋する乙女さは圧倒的にヒロインとしての可愛さが爆発しています。清廉潔白、自分の意思を持って突き進む姿が多いのがジブリヒロインの特徴だと個人的には思います。ソフィーにはあまりそういう姿は見受けられませんでしたが、ジブリヒロインだと決定づけるここの可愛さは歴代でも最高点です。(笑)
このシーンもソフィーの健気さに胸が締め付けられた後、格好良く登場するハウル、「ソフィーがいると思ったから来れたんだ。」というセリフにこの作品の良さが詰め込まれています。
この後のソフィー達を連れ出すシーンは何度見ても、胸が熱くなる展開です。

私がこの作品を好きな理由に、音楽がとても良いという点があります。
有名なテーマソング『人生のメリーゴーランド』は転調して、色んなシーンで使われています。
その中で劇中の中で一番原曲に近い形で使われているのは、序盤の空中散歩のシーンがです。
ここが前半一の盛り上がりだと思いますが、実際に空中散歩をしている様な気分になれるカメラワークが素晴らしい…。
個人的にはハウルが煙突を足場にして跳ねていくところが、本当にワルツをしているかの様な足の軽やかさで好きです。
「足を出して、歩き続けて。そう、怖がらないで。上手だ。」
なんて素敵なエスコートなのでしょう…!
普段見慣れた街を、ダンスフロアに変えて2人が踊るように散歩する。個人的には初めて観た時から、とても印象的なシーンです。
ワルツを踊ることで恋に落ちる物語は沢山ありますよね。シンデレラ、眠れる森の美女、美女と野獣など、個人的にはディズニー作品に多い印象です。
ジブリ作品にはあまり無いパターンですが、テーマソングがワルツだからこその、演出だと思っています。

【結論】
ジブリ映画の中では、公開当初の評価の低いというこの作品。
しかし年数を重ねる毎に評価が、上がった作品だと天宮は感じております。
ジブリの得意とする戦争シーンの迫力や、魔法のシーン、食事シーンなどの余すことなく魅力の詰まった作品です。
ベーコンエッグ、食べたいもん…。(笑)
大人の恋愛のドラマティックさが詰められており、魔法を扱う話らしく時間を駆け巡り恋心が動いていく所が何とも素敵です。
確かに初見で分かりやすい作品では有りませんが、何度も見返して良さの分かる作品だと思います。
ぜひ、この寒い冬のおうち時間にこの記事を読んで、観て頂けたら嬉しいです。

有り難うございました。

天宮 純

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