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花街の女の子、サッチャンのこと

 いつごろ買った書籍だったか、今本棚を見ても無いという事は売ったか、捨ててしまったか記憶がないが、タイトルすらもうろ覚えで、心に感動を呼ぶ物語集とか、そういう感じだったけれども、言葉を変えて検索してみたが、見つからない。内容は一般市民からの寄稿集で、それぞれが人生の中で体験した、感動する、考えさせられるような話が幾つも載っていた。今日はその中でも今でも記憶に残っている一つを紹介したい。
 
 タイトルはシンプルに「サッチャン」だったと思う。寄稿した男性はかなりの年配だったので、幼い頃の体験は昭和初期ぐらいの事だろうか。小学校に上がった筆者は、ある女の子と仲良くなる。名前はサッチャンと言った。物静かで、おとなしいサッチャンとは帰り道が同じ方向だったので、筆者の男性はいつしか一緒に帰るようになった。しかし、サッチャンは不思議と横を並んで歩かず、一歩引いた感じで歩く。男性、仮名で横田と呼ぶが、横田さんはそれが気になったものの、構わずサッチャンと一緒に放課後遊ぶようになった。そしてやがて知る、サッチャンがいわゆる「花街の子」だという事を。花街とは、芸者屋、遊女屋が集まっている地域の事である。当時小学一年生である横田さんには、正しい意味は分からなかっただろう。だけれども、子どもながらに「僕らとは違う人たちの住む場所」と言うのはわかったようだ。横田さんがサッチャンと一緒に花街まで行くと、「お姉さん」たちが喜んで声をかけてきて、お菓子などくれる。
「ぼく!サッチャンと遊んであげてね!」
 サッチャンは横田さんの事を「お兄さん」と呼んでいた。横田さんにとって、花街の人々は「大人の世界」の人たちだった。ある時、サッチャンは家に帰ってもすぐに出てきた。何も言わない。目ざとく寄ってきた化粧の濃い女性が
「お母さん忙しいのね!? きみ!サッチャンと一緒にいてね!」
 と、僅かばかりのお小遣いをくれた。当初横田さんには全く意味が分からなかった。が、やがて月日が経ち、横田さんは花街がどういう場所なのか、サッチャンはどうして産まれてきたのか、子どもなりの理解で知る事になる。ある時、横田さんはサッチャンの母親と話す機会を得る。
「どうしてサッチャンを産んだの!?サッチャン可哀そうだよ」
 というと、サッチャンの母は瞳を潤ませて、
「ごめんね…。あなたも大人になったら分かるかも」
 とだけ言って顔を伏せた。父親のいない子。結婚もしていない。今の言葉ならシングルマザーだろうか。横田さんは変わらずサッチャンと親しくしていたが、なんとなくだが、サッチャンのほうで遠慮している感じになり、いつしか疎遠になってしまった。そんなある日、横田さんが小学校の帰り道に大きな川の土手沿いを歩いていると、サッチャンがぽつんと一人座り込んで流れゆく川の水を見ていた。夕陽が彼女を照らし、儚く美しい横顔がはっきり見えた。横田さんは思わず見とれた。そして、はっきりと分かったのだ。彼女と僕は違う世界に生きる運命なのだ、と。横田さんは家に帰って一人泣いた。
 時は経ち、夏が来て、地元の広場で夏祭りが開催された。出店も多く出る楽しいお祭りに横田さんは友達と参加した。そこで、着物姿のサッチャンと会う。すっかり大人っぽくなった彼女に横田さんは話しかけることも出来ず、ただ目が合っただけだった。サッチャンは軽く会釈してきた。横田さんは思わず目を逸らしてその場を離れた。何も言えなかった。ただ……サッチャンのお母さんを思い出した。どうしてサッチャンを産んだんだ!横田さんはサッチャンの事をなぜか憎らしく思った。

 ……エッセイはここで終わる。この長くない思い出の物語を、私は今もこの通り、部分部分は忘れたが、ほとんど憶えているのは、最初に読んだのが中高生の時代だからだろう。鮮烈な印象があった。ほぼ同時に蘇るのが、「ムツゴロウの青春記」で読んだ、売春をしている女性が神社で必死に祈る姿に畑正憲が衝撃を受ける場面である。後は、宮本輝の「泥の河」で、主人公が仲良くなった友達の母親が河に浮かぶ船の中で売春、性行為をしているのを目撃する場面。高校生の私に、売春はろくでもないもの、という価値観が植え付けられたのはこの三作のおかげだろう。それゆえか、40歳を越えた今も、性風俗を利用したことは一度もない。

 サッチャンはこの後どんな人生を歩んだだろうか。時は昭和前期頃、女性の働く権利というか、権利そのものがろくに保障されていない時代だ。母親と同じように花街の女になるしかなかっただろうか。横田さんとサッチャンは「違う世界の人」だった。しかし、その「世界」は当然ながら一つであり、同じ世界であり、分け隔てする必要もなく、もっと言うと、私個人は風俗というものは無くなればいいと思っている。人類最古の職業は売春であった、と言われるようなものが無くせるか、と反論が来るかもしれない。でも……。売春は心身ともに痛めるし、人々からの蔑視に遭うし、若い頃しかできない仕事だし、従事者にとっていいことがあるとは思えない。性風俗で働く権利もある、と主張するフェミニストもいる。しかし、セーフティーネットとしての風俗なら、国家が職業就業支援と生活保護を用意すればいいし、今もそういうものはある。今はこれ以上は書かないが、もう、サッチャンのような女性は世界のどこでも産まれてきてほしくない、とだけ言ってこの稿は終わりにする。

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