![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/68648722/rectangle_large_type_2_623bf236d5f87288d11335d86a13cb37.jpg?width=800)
花ざかりの校庭 第4巻 VS浅子
★
麻里はおぼろげながら来年の目標をたて始めた。
福山の『探検部』の構想はそのまま関西に移転する。
麻里は京都ゆきに同行することはなかったものの、福山に何かしら魅力を感じていた。
恋をするくらいいいでしょ?
麻里はアレックスサンジェに乗り、地図を開く。
すでに明きの気配が漂うなか、彼女は岐阜から関ヶ原にむかう道をチェックし始める。
彼女はアルピニストでもなく、いうなればワンダーフォーゲルをしている。
ドイツ語で『さまよえる鳥』。
携帯の電源をオフに。
微かに雲がかかってきた。
途中、レストランのフォルクスでナップサックの中身を点検していた。
昨夜、しおんから野草の生態を調べて欲しい……と電話があり、資料を受け取った。
……フキ、ハルジョン、イタドリ……、
添付された資料はすべて、彼女の実家の祖父が何かの研究をしているものだ。
しおんが実家を継ぐと簡単に言っていたが、彼女は野草に関する知識は常識をはるかに越えていた。
デジタルカメラのバッテリーをチェックして、店を出た。
彼女は空をあおいた。
「……麻里ちゃん?」
ふいに、駐車場でしゃがれた声がした。
見ると、バーキンの彼女だ。
「……浅子さん?」
相手は頷いた。
「……しばらく私、消えてたの知ってた?」
麻里は首を傾げた。
「いえ…」
そういえば、マンションの駐車場にファアットがなかった。
「……実家に行ってたの」
麻里は浅子のようすが今までとは違っていることに気づいていた。
「そういえば、クルマが駐車場に……」
浅子は少し寂しげに頷いた。
「なかったでしょ?」
彼女はグレーのスーツにギャザードスカートというややフォーマルないでたちである。
同性でありながら、麻里にとって浅子は眩しかった。
あらゆるものが洗練されて見えるのだ。
彼女は麻里よりもはるかに猥雑で貪欲に生きている。
麻里は浅子が……高志に伴われて病院に行ったことを知らなかった。
麻里は生まれつきなのか、他人に好感をあまり持ちたがらない。
彼女の意固地な性格はそういうちょっとしたことに出ていた。
妹の智恵は、何気なくそういった彼女の癖を諭すが、その度に麻里は智恵と喧嘩になる。
彼女の癖が、時々、他人の過大評価に繋がることもしばしばだった。
福山は彼女のそのセンスを内心、買ってるのかもしれない。
彼はいつも麻里を見ていた。
見られていて、嫌なときもあるが。
でも、彼が彼女の心の奥にあるキラキラしたものを発見したのは福山司郎だった。
★
十月最後の週。
草木はゆっくりと秋の色に染まり始めた。
麻里はナップサック一つで外に出た。
来年の梅の花がほころぶころ、私を取り巻く世界はどう変わっているのだろう?
人は悲しいくらい、未来を夢見て幻滅する。
無限に思える未来に対して、憐れにも神は1対1の現実しか与えない。
彼女が浅子に憧れているのは、自分の未来を見ているような気分がするからなのかもしれない。
アレックスサンジェに乗って郊外に出たところで、浅子のクルマを見かけた。
フィアットだ。
浅子は麻里を見つけたみたいだ。
彼女の雰囲気がやや殺気だっている。
「どうしたんです?」
麻里は声をかけた。
麻里は本能的に浅子の本質を捉えていた。
「えっ?」
浅子は麻里を前にして毒気が抜かれた。
麻里は赤くなってるのだ。
「……高志のこと好きなんでしょ?」
浅子はまっすぐ麻里を見ていた。
ふいに麻里は頭がぐらついた。
『どういう…』
「高志くん」
「えっ!」
ふいに、麻里は……ある真実を悟った。
浅子は彼のことを愛しているのだ。
そんな……。
残酷すぎる。
「……あ、あの」
麻里は泣きそうになった。
浅子は困ったような顔になった。
彼女はゆっくりと首を傾げる。
どこか芝居じみていた。
麻里の認識している世界はゆっくりと変貌していった。
はりつめた彼女の世界は、大翔の一角にヒビが入る。
ふと、そのヒビのむこうを覗いてみると、別の世界がどうやら広がっているのだ。
「やだな……まだ、ねんねの子を相手にして、私ったら嫉妬しちゃてるの……」
ジッポーを取り出した。
微かにオイルの臭いが漂う。
煙草に火をつけて髪の毛を整えた。
「私、やっちゃったよ高志くんのあれ」
浅子はフォルクスのベンチに腰かけた。
さらに何か言おうとしたが、麻里を見てためらった。
浅子は高圧的にでても淋しげだった。
……麻里は心の奥で熱いものがこみ上げてくるのがわかった。
「……いつからですか?」
「今年の2月かな?」
「本気なんですか?高志くんとのこと?」
浅子はジッポーをカチカチさせながら、
「ううん、遊び」
麻里は憤慨した「遊びってなんですかっ!」
浅子は可笑しそうにわらって、
「……勝てっこないわ、貴女に」
「……どうしてなんですか!」
浅子は可笑しそうに笑っていた、
「……だって、最初で最後のヤツ奪ってやったんだよ」
「……?恥ずかしくないんですか」
「べつに……」
浅子はタバコを片手に何やら書いていた。
「……ホレ、これ」
浅子はコンビニのレシートを渡した。
裏側に携帯の番号が書いてあった。
ご丁寧なことに番号の横に『田畑高志』の名前まで添えてある。
まるで果たし状のような紙切れである。
麻里は憤慨した。
浅子はタバコを灰皿に押し付けると、
「……悔しかったら、奪いなさい」
「なんですって!」
「キスして、愛してますなんて、あまっちょろい。私から奪いなさい!好きだったら、人から奪うもんでしょう!」
「浅子さんなんか大嫌い」
「奪いなさい」
「そんな」
「……甘ったれんなよ」
「ひどい……浅子さんも高志くんも。酷い!」
麻里はその場を去った。
麻里は何か得体の知れない嫌悪と愛情が入り交じった何かがざわめいていた。
その凄まじいエネルギーが、体液のように体から噴出する感覚がほとばしる。
麻里は途中で、アレックスサンジェを電柱にぶつけそうになった。
クソッ!
麻里はしりもちをついた。
ジャージーについた泥を払いながら、振り向く。
……おのれッ!
ヤツはフォルクスの前で不敵に麻里を見ていた。
「浅子のバカ野郎っ!」
麻里は声も高らかにその女を罵倒した。
★
夜半、麻里は棲んでいるマンションに帰ろうとする。
自己嫌悪が始まった。
田畑高志と浅子……。
厄介なことを聞いてしまった。
しかも……彼女は昼間、手にした紙切れを見る。
どうすればいいのさ?
このまま、田畑に電話して?
見ると、学校の前の石畳の道に倉木しおんが帆布の鞄を肩にかけて突っ立っていた。
彼女は、ニコリと笑って手を振る。
「顔色、すぐれないね?」
麻里は頷いた。
そして、胸を撫で下ろす。
迂闊に人には言えない。
浅子の挑発。
麻里の頭のなかは、浅子に言われた一言でいっぱいになってる。
……奪いなさいよ……。
普段、麻里はあらゆる問題を自分で解決法できるものだと思い込んでいた。
ところが、相手が悪かった。
いきなり高志との関係で、ハンディを突きつけてきたのだ。
「……どうしたの?」
倉木しおんは近視が入った眼鏡をずりあげた。
そして、麻里が手にしていたレシートの裏側をじっと見ていた。
「……ゲッ」
彼女は唇を歪めた。
これは、田畑くんの番号かな?
しおんは目を細めていた。
麻里は黙ったまま頷く。
空が淡いオレンジに染まり、風にのッた雲が流れる。
「もう、秋だね……」
倉木しおんはレシートを手にしたまま、感慨深げに呟いた。
……これ、彼にもらったの?
そこまで言って、赤く俯く「お泊まり……とか?」と呟いた。
「……違う」
「……そ、そうだね。少し早いよね展開が」
「早すぎるし」
倉木しおんは首をかしげる。
「まさか、田畑が襲ってきた?」
麻里はその方が好都合だとも思った。
彼女は違う……と、舌打ちした。
バーキンの人……と言った。
しおんは首を傾げていたが、やがて「あの人?」と大声をあげた。
「しおん、声、大きすぎっ!」
ショッピングバッグを手にした親子連れが、二人を見ていた。
「あ、ゴメン」またやってしまった。と、しおん。
しおんはツータックの眼鏡をずりあげ、模擬試験を受けているような顔つきでレシートを見ていた。
「……バーキンがくれたの?」
麻里は頷いた。
「……あり得ない……」
しおんは悩ましげな顔つきだ。
彼女は空を仰いで「三角関係みたいな……?」。
「うん」
麻里は頷く。
「……バーキンに勝てっこないよ」
これって、凄い自信あるからでしょ?
「……なんかそれだけじゃないみたいで……浅子さん泣いてた」
「どういうこと?」
……私から奪ってみなって、浅子さんが言ったの。
えっ、しおんは唸る。
「……やれるものなら。みたいな?」
麻里は頷く。
「……つまり、田畑ってバーキンがありながら、小寺に?」
いや、そこがわからない。
「……二股でしょうが」としおん。
ふいに、麻里は口にした、
「わたし、ぶんどる」
浅子の彼だから自分は好きになったのかも知れない。
「……え?」としおん。
「もう一度……いってやるわ」
……あの女、許さない……。
しおんはまた、首を捻るのである。
やがて、麻里はバス通りの雑踏の中で蘇生していた。
「……許さないの?」
と、しおん。
麻里はふりかえり、頷く。
「許さない」
普段から人の良し悪しを云いたがらない親友……小寺麻里……のこんなに感情的な面を見たことがなかった。
しおんは麻里を見ている、
「……どうするわけ?これ」
と、レシートを見せる。
その電話番号。
しおんは言った。
睡眠薬入りのサンドイッチを彼にあげて、眠らせて引きづりこむとか?
冗談でしょ?
冗談よ。
問題は……、
つまり、レシートの裏の電話番号のことだ。
「……なんとかなるよ」
そう開き直る。
彼女はデジカメをしおんに渡した。
テプラで『倉木』と印刷したシールが貼ってある。
しおんはそれを帆布の鞄にしまいこみ、丁寧に礼を告げる。
★
福山司郎は阪急の駅を降りると、雑居ビルの前に立っていた。
ビルのエレベーターから四十くらいの女性が降りてきた。
「……司郎ちゃん、今日は私、早引けするから向かいの店で待ってて……慣れないところに来てもらって……今日は何処に泊まるの?」
福山司郎は頭を下げると、「……黒川さんにホテルまで予約してもらってて」
「……そう」
渡部久美は笑顔で頷いた……。
黒川紀代きよのことを紹介してくれたのは彼女だった。
「……うちに泊まっていってもよかったんだけどね。秀雄、楽しみにしてるみたいだから」
少し、独特の翳りがあり、福山はそれを介しないよう接していた。それがわかっているのか、彼女はことさら明るくふるまった。逆にそのことが福山を辛い気持ちにさせる。
「……秀雄、元気にしてますか?」
すると彼女は頷く。もう元気すぎるくらい。
「……来年は中学生やから。でも、寂しいのかな?いつも一人だから。私も仕事がなかったら話し相手になってやれるんだけど……」
ふいに携帯が鳴った。
「……あ、専務……今、甥っ子が来たみたいで……はい、すぐ戻ります……」
苦笑する。
「なんせ、小さな会社だから、忙しくてね」
久美が笑顔をつくった。
「すぐだから、今日は半ドン」
福山は……半ドン……という昭和の言葉に、妙に気が和んでいた。
★
午後の3時過ぎ、福山は渡部久美の自宅に行った。
太秦天神川沿いに北に上がったところで、途中、双葉総合病院を越えたあたり。
船岡山が見える。
久美はシビックを運転しながら、ロッド・スチュアートの『セイリング』を流していた。
夕方になると四条は混むわよ……。
久美はくすりと笑う。
「まあ、土日だもんね」
と、司郎。
「……滋賀からたくさん遊びに来るの、みんな」
「滋賀?」
「ホラ、大津や草津って遊び場ないでしょ?若いひとの」
つまり、繁華街のことだ。
「だから、週末は滋賀ナンバーのクルマが越境してくるわけよ。インクラインの方から……」
「へえ」
「……専務が冗談半分に『シガサク』のゲジゲジナンバーって言うの」
彼女は笑った。
久美は今年で三十八になるが、あどけない表情をしていた。
お嬢さん育ちのためだろう。
彼女が前の夫の浮気に耐えきれず、離婚したとき、先の会社の社長が仕事を斡旋してくれたのだ。
司郎の父との商売の関係もあり、社長の縄城純一は快く引き受けてくれた。
端から見ると久美はおっとりしすぎており、普通の会社に就職しても、うまくいかないだろう。
この際、司郎の父に恩を売る形で、彼女を経理部に入れることにしたのだ。
「京都は週末が混むからねェ。早い目に黒川会長のところに行った方がいいわ。迷惑かけちゃダメだから」
久美は笑う。
頬に小さなえくぼができた。
「わかった」
「でも司郎、高校生になると大人ねぇ」
★
路地裏で見る空は青かった。
軒先にジュウシマツが入った鳥かごが吊るしてあった。
久美は、チッ、チッ、チッっと、口を鳴らした。
籠の中でジュウシマツが久美に向かって、鳴き声を返す。
「……可愛いでしょう」
福山は頷いた。
「ねえ、どうせなら大学卒業したら、黒川会長のところに就職しなさいよ」
「……うん、そんなこと一人で考えてた」
「せっかくのつてだからね」
「そうだね。普通に就職しても、コネがなくちゃうまくいかないし」
「わかってるじゃん」
「今の状況だと、お兄さんの跡継ぎは前途多難よ」
久美は言った。
いはゆる内輪揉めである。
会社の常務筋が後がまを狙っていた。
司郎がほぼ一人で生活しているのは、常務を避けるためである。
元々、会社設立から携わっていた常務、小林芳太郎は裏で暴力団との関係がささやかれていた。
そのため、司郎の父は小林と接点を持たせないよう計らっていたのである。
★
やがて夕食が終わると、福山は携帯を開いた。
たしかに、麻里からだった。
……どうした?
福山は久美に断って、2階の部屋で電話した。
……エンテツ、どこにいるの?
「……京都。黒川紀代さんに会いに来てるの……。小寺も来ればよかったのに」
……あっ、そうだった……。
麻里は完全に忘れている。
しばらくして、彼女が……浅子さんって知ってる?と言い出した。
福山は、しばらく首をかしげていた。
「……あさこさん?」
……田畑と親しくしている女の人で……。
ふいに、福山は記憶を辿った。
印象的な女性の顔を思い出した。
「……フィアットに乗ってるあの人か?」
福山は思い出した。
……そう!
★★★
麻里は部屋の中で浅子のベランダを眺めていた。
明かりは灯っていない。
物干し竿が常夜灯の光に照らされている。
麻里は福山に電話していた。
浅子のことで。
……その人、田畑くんの……。
『まあ、云うだけ野暮だけど』
麻里は携帯を片手に小声で話していた。
どうすればいいんだ?
麻里は浅子の挑発の前に、恐くなっていた。
……また、電話していい?
『あまり詳しくないぜ』
すると、麻里は「うん……」と一言。やや、甘ったるい声だ。
こういう、追い詰められた気分の時、何故か福山に電話をしてしまう。
一旦気分が高まると、かえってどうしたらいいのかわからなくなる。
『つまり、小寺は田畑のことが好きなんだろ』
……ごめん。
『むしがよすぎるよ。俺は答えるいわれはない』
……田畑の電話番号くらい自分で聞けよ。
たしかにそうだ。
麻里は「わかった」と一言言って、電話をきった。
三年間、一緒の部にいながらあ、福山のアプローチをかわしていた。
『俺だって、傷つくんだぜ』
麻里は言葉を失っていた。
「うん」
彼女は電話をきった。
しばらくして、玄関のベルが鳴った。
見ると、しおんが立っている。
「どうしたの?」
デジカメの袋の中に学生証がはさまっていたという。
「……ヤバい」
麻里は持っていた財布を点検した。
幸い落とし物はなかった。
「よかった、ありがとう」
しおんは、小さく頷くと、マンションの奥の部屋に興味しんしんである。
「……どういう話をするかな?」
「えっ?」
「彼と」
麻里は天井を見た。
急に考えても思い付くもんでなし。
エッチな話?
麻里はポツリと言った。
「こっちからきりだせる?」
しおんは恥ずかしそうに笑っている。
「……ムリ」
変な女だって思われるし。
しおんは言った、
「……思われてもいいって開き直るとか?」
「……それは」
麻里は赤くなる。
「……私、岡倉先生と一緒に……」
しおんは、小さな声で囁いた。
ふいに、麻里は仰天した。
「……嘘っ!」
すると、彼女は白い歯を見せて笑っている。
「いいじゃん」
「いつ?」
今年の春かな。
ほら、私来年は比良に戻るでしょう?
そしたらもう会えないと思って……。
好きだったから、彼の自宅に押しかけたの。
「顔に似合わず積極的な……」
しおんは笑っている。
彼女は眼鏡をずりあげた。
どちらかと言うと、清楚ないでたちの彼女がそこまで積極的とは……。
「男子は大抵、逆を想像するわけですよ」
しおんはさりげなく言う。
麻里は浅子を思い出していた。
あの猥雑な雰囲気、そして対照的なしおんの清楚な仕草。
「キスの話してた私、バカみたいじゃない?」
すると、しおんは首をふった。
「……経験ある人がいいじゃん」
極めて現実的だった。
中学生の時から計三人つきあっていたという。
よろしければサポートお願いします🙇⤵️。