匿名と実名
SNSで匿名で情報発信しているアカウントに対して「この人物は本当に実在するのか」「デタラメな内容ではないのか」という類の誹謗中傷は常に付きまとう。その一方、今後は新型コロナウイルスの影響もあり、信じられないような事態に一般人が当事者として直面し、自ら情報発信せざるを得ない機会はさらに増えていく気がする。感染者、医療従事者、学校・保育、観光業界、飲食業界、イベント業界などなど。
その際、
「現在は匿名だけど、実名にすべきか迷っている」
「実名にした後、どのようなデメリットがあるのか知りたい」
という悩みを抱える方々に何かしらの参考になればと思い、最初は匿名で情報発信を始めて途中で実名に切り替えた当事者としての経験を書き残しておきたい。あくまで私のケースであり、個別の事情も多いのでどこまで参考になるかは分からないが・・。ちなみに私は国会の不誠実答弁に関する情報発信をする中、約2年前に悩みに悩んだ末に実名に切り替え、今のところは特に大きなトラブルも無く現在に至っている。
<注意点>
・匿名で発信している方にはそれぞれ事情があると思うので、実名に切り替えることを勧めるつもりは全くない。
・ただ、実名に切り替えるべきか迷っている方にとって、私のケースで参考になる部分があれば活用して頂きたい。
実名への切り替えを検討するまでの経緯
私の場合、2017年頃から政治への関心が高まり、2018年3月〜4月にかけて森友問題に端を発した国会前デモの現場に何度か足を運ぶ中でデモの様子をTwitterの匿名アカウントで発信するようになったことが最初のきっかけだった。当時は本名の下の名前だけをローマ字表記にした「Jun」というアカウント名を用いていた。これなら本名も性別も分からない。
*この頃の経緯は下記のインタビュー記事に詳しいので、ここでは割愛する。
その後、事態が大きく動いたのは2018年5月31日のこのツイート。
*当時は匿名アカウント「Jun」でこの内容をツイートしていた
前日の党首討論で質問に全く答えずにダラダラと喋り続ける総理答弁を見て、質問と全く関係ない話と質問内容の繰り返しが回答の大半を占めていることに気付き、信号機に倣って回答内容を3色で視覚化した結果をツイートした。その結果、「信号無視話法」と命名した分析のnote記事へのアクセス数が数日のうちに7万件を超えるほど大きな反響があった。さらには約1週間後の6月7日に朝日新聞の記者からコンタクトがあり、信号無視話法と私のことを記事にしたいと打診を受ける。
そして、このタイミングで実名に切り替えるべきか悩みに悩むことになる。
きっかけは6月8日に取材を受けた際、記者から言われたこの言葉。
「信号無視話法の考案者としての名前の記載は匿名でも構わないが、匿名だと人物の実在を疑う声も出てくる。やはり実名の方が信憑性は高まるので望ましい」
確かに、匿名で発信していた私に対して
「野党関係者の工作アカウントではないのか」
「Junという個人は存在せず、組織的に運営しているアカウントではないのか」
という批判的なリプライがわずか1週間で私のアカウントに多数押し寄せていた。自分としては後ろめたいことは何も無いので実名に切り替えることに抵抗感は無かったが、それによるリスクをこの日から真剣に考え始める。しかも、新聞記事が掲載されるのは取材を受けてから約1週間後だったため、結論は早急に出さなくてはならなかった。
実名に切り替えた場合の想定リスク
私の場合、実名に切り替えた場合に想定されるリスクは2点あった。
<リスク1.会社員生活への支障>
まず、私は政治も報道も縁遠い分野でフルタイムの会社員として当時も今も働いている。全国紙である朝日新聞に本名で記事が掲載された場合、会社の誰かは間違いなく私のことだと気付くだろう。それなりに規模の大きな日本企業であるため、中には与党支持者や与党と繋がりのある幹部がいることも把握していた。私がいくら国会答弁を視覚化しただけだと主張しても彼らが気分を害して私が不利益を被る可能性は十分にある。
さらに社内だけには留まらず、取引先も同様だ。私が現政権に対して批判的と受け取れる内容を発信している人間だと気付けば、相手の立場次第では初対面から悪印象を持たれて業務に支障をきたすケースも想像できた。
しかも、私の名字は「犬飼」。愛知県に多い名字なのだが、関東ではかなり珍しい。「東京都の男性会社員・犬飼淳(32歳)」と新聞に記載されれば、ほぼ確実に私だと特定されてしまうだろう。
要は、会社員生活を続けることが困難になってしまう恐れがあることが1点目のリスクだった。
<リスク2.身の危険>
私が記事に取り上げられるきっかけとなった信号無視話法は総理大臣の不誠実答弁の視覚化だ。いきなり国のトップを相手に批判的と受け取れる内容を発信してしまったのだから、彼らがその気になれば住所も勤務先も行動範囲も直ぐに突き止めるだろうし、危害を加えられることも無いとは言えない。
つまり、身の危険を伴うような攻撃を受ける可能性がゼロではないことが2点目のリスクだった。
想定リスクに対する検討結果
<リスク1.会社員生活への支障>
1点目のリスクについて直属上司にまず相談したところ、幸いなことに信号無視話法の情報発信について非常に好意的な反応を見せてくれた。この上司は普段から国会に関するニュースはチェックしていたが、テレビ局が編集した映像しか観ていなかったそうで、
「まさか総理大臣が国会であんなふざけた答弁をしているとは思いもしなかった・・。安倍の態度には本気で腹が立った。このことに気付けて良かった。」
とまで言って頂いた。
*この際、説得に用いた国会質疑のノーカット映像はyoutubeで視聴できる。国会をノーカットで見たことが無い方にとっては、テレビ局が放送している編集済みの映像との落差に驚くはずだ。
こうして主任職相当である自分にとって直属上司(課長職相当)までは味方に付けられたが、問題はその上。部門長クラスになってくると、反応が一気に渋くなる・・・・。
ちなみに当時(2018年6月)から現在に至るまでの約2年間で私は人事異動を2回経験しており、その度に新しい上司たちに国会に関する情報発信について説明しているが、この傾向はいつも同じだ。課長職相当の直属上司は誰もが「いいぞ!もっとやれー!」と言わんばかりの勢いで後押しして頂けるが、その上の部門長クラスになってくるとかなり否定的な反応に変わってくる。
*短期間に2回の人事異動があった点について、決して懲罰人事では無かったことは補足しておく。1回目は所属部門全体の再編に伴うもので、2回目は自ら希望しての異動だった
中には、
「そんなことをしてる暇があるなら、業務量を増やすことも考える。もっと会社の仕事に集中して欲しい。」
「幹部に与党支持者がいるので、人事考課で不利になることは覚悟するように。」
とまで言う幹部もいた。
ただ、この2018年6月の時点では「勤務先の会社名を自分からは決して明かさないこと」を条件に本名で国会に関する情報発信をすることをなんとか認めて頂くことができた。
こうして1点目のリスクについては以下2つの条件が揃い、ギリギリのところで何とかなるだろうと目処が立った。
・直属上司までは好意的な反応を示してくれていること
・条件付きではあるが、会社の了解も何とか得られたこと
<リスク2.身の危険>
2点目のリスクについては、極論すると「腹を括った」としか言いようがない。
もし自分にパートナーや子供がいる状況であれば、かなり躊躇したと思う。自分の本来の仕事でもない分野でわざわざリスクを背負って、家族に危害が及ぶようなことは万に一つであっても絶対に避けたい。
ただ、幸か不幸か両方とも居なかったので・・・(苦笑)、最悪の場合でも危害が及ぶのは自分一人だろうと腹を括った。
加えて、一つの予感もあった。
今年に入ってからのコロナ禍で政府は棄民政策をもはや隠そうともしなくなっているが、2018年当時も国会での政府の振る舞いを見ていれば、その予兆は感じ取れた。この政府が国民を殺しにかかってくる事態は容易に想像できたので、もはや遅いか早いかの違いだろうと腹を括った。
実名に切り替えた後の影響
そして、私は実名を公表する決心を固め、6月17日にTwitterやnoteのアカウント名を実名である「犬飼淳」に切り替えた。
翌18日には朝日新聞デジタルに信号無視話法の記事が掲載。
私はその考案者として「東京都の会社員、犬飼淳さん(32)」と記載される。
*紙面では同様の記事が6月20日朝刊に掲載
ここまでの流れを時系列で整理すると以下のようになる。
5月31日:初めて信号無視話法についてツイート
6月8日:朝日新聞から取材を受け、実名での記事への掲載を打診される
6月9日〜16日:想定されるリスクについて勤務先との調整や相談
6月17日:アカウントを匿名から実名に切り替え
6月18日:朝日新聞に実名入りの記事が掲載
1ヶ月足らずの間に一気に物事が動き、怒涛のような日々だったと改めて思う。
そして、悩みに悩んだ2つのリスクについて実名に切り替えた後に実際にどのような影響が出たのかも振り返っておきたい。
<リスク1.会社員生活への支障>
全国紙である朝日新聞に実名入りで大々的に記事が出たのだから、勤務先や取引先の中には気付く者が出るだろうと予想していた。
・・・・・・・・・・・が、誰も気付かなかった。
中には気づいたけれど気遣いをしたのかドン引きしたのか、今までと変わらずに接してくれていた人もいたのかもしれない。だが、事実として私が自ら相談した上司たち以外からは国会に関する情報発信について話題を振られたことはこの2年間で一度もない。その後も複数のメディアに何度か記事にして頂き、2019年3月の東京新聞の記事に至っては顔写真の掲載も許可し、Webメディアで自ら署名記事を掲載するようになったにもかかわらず、だ。
正直、私は拍子抜けした。
私の職場は日本企業の例に漏れず、「日経新聞を毎朝読むのは社会人の常識だ!」という雰囲気が残念ながらあるので、もし日経新聞に掲載されていたらさすがに気付かれたかもしれない。日経新聞の方向性を踏まえると、信号無視話法や私を取り上げることは決して無いだろうが。
結果的には、今まで通りの普通の会社員生活を送れているので私個人としては本当に助かったと思っている。だが、国会に興味を持っている層は非常に限られた少数派であることの裏返しでもあると感じている。
ちなみにこれはプライベートでの友人についても同様だ。個人的に相談した友人を除くと、私が国会に関する情報発信を始めたことについて声を掛けてきた友人は一人もいない。なので、ありがたいことに友人たちとの集まりにも今までと変わらずに参加できている。これについても、気づいているけど触れないでくれているのか、本当に気付いていないのかは確かめたことが無いのでよく分からないが、おそらく後者だろうと思っている。
<リスク2.身の危険>
こちらについても幸いなことに実名を公表してから2年間を経過しても、身の危険を感じるような出来事は一度も無かった。
とは言え、最低限の備えは続けている。具体的には、もう2年以上も駅のホームで列の先頭には絶対に立たないし、駅の下り階段では必ず手すりを掴んで降りている。ただし、首都圏の駅ではホームドアの整備が進んでいるので何も気にせず先頭に並べる駅が多い上、最近は電車に乗る機会自体が減っているので警戒する必要性も薄れている。
ネットの世界においては、自民党関係者が運営するデマサイトとして悪名高い「政治知新」に名指しで中傷記事が出たことは何度かあった。だが、これを真に受ける人がいるとは思えないほど支離滅裂な内容だったので特に気にしていない。
最後に
こうして改めて振り返ってみると私のケースは個別の事情が多いので果たしてこれが誰かの参考になるのかは自信は無いが、結局のところリアルの世界で面と向かって人に言える内容であれば実名で発信しても問題は起こらないはずだと私は思っている。
最後に、私が実名に切り替えると決断したポイントは改めて伝えておきたい。
私が行っていた主な情報発信は、国会質疑を一字一句文字起こしして質問と回答が噛み合っているかを色分けによって視覚化したことだ。
これは、本名を隠してコソコソと行わなければならないことだろうか?
どーーーーーーーーー考えても、後ろめたいことは何もしていない。
そう考えて、私は実名を公表する決心を固めた。
ただ、人によって様々な事情があるので匿名で発信している方に対して実名に切り替えることを勧めたり強要するつもりは全く無い。実際、私自身もギリギリの判断で実名に切り替えた結果、たまたま運良くギリギリのところで会社員生活とのバランスを保てているに過ぎない。
*記事は以上です。この記事に価値を感じて頂けた方は画面下部から「サポート」をお願いします。今後の情報発信の充実に活用させて頂きます。
更新履歴
2020/8/10 12:10 新規作成
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