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25. ファヴェラ、それはスラム街

 リオデジャネイロの街には、あちこちに「スラム」があり、これをポルトガル語では favelaファヴェラといいます。ブラジルでは君主制が長く続き、奴隷制も比較的近代まで残っていました。そのために富裕な階層と貧民の格差も、世界一大きいのです。
 ファヴェラは、不法に占拠された土地に繁殖した貧民の居住地区です。リオデジャネイロだけで、516箇所のファヴェラが存在し、その居住者総数は200万人と言われています。総人口1千万の都市のうち、200万人が不法居住者、こういう現実をブラジルの政治はどのように取り扱おうとするのでしょうか、果てしない課題に茫洋としてしまいます。
 ここは当然のこと、危険区域です。観光客どころか市民ですら、おいそれと入っていけるような場所ではありません。しかしそういう所でも非常に特殊ながら、観光の対象となっているものがあります。今回の旅行ではそのファヴェラ・ツアーへ行きました。リオでも一番大きなファヴェラです。ジープの荷台に客が6人、ガイド1人、それに運転手、それだけの人数です。
 ファヴェラの多くは、山の斜面にへばりつくように広がっています。ここの住人となる人たちは、まず赤いレンガを勝手に積み上げて簡素な住居の外郭を作り、そこを生活の場とするわけですが、ファヴェラではそのような赤レンガの住居が雑居し、計画性もなく、複雑に入り組んで繁殖していくのです。
 ドライバー氏はファヴェラの谷間に向けてジープを駆ける、そうして走る一方でガイド氏はファヴェラの歴史、現状とその問題、その中に入るについての注意点などを詳しく話してくれました。このガイド氏は、かつてこのファヴェラに住んでいたそうです。「そうでなければ、このツアーも受け入れてはもらえない」と言っていました。

 ジープは街を抜け、急な坂路に入りました。エンジンをふかし、さらにどんどん登ると峠の登り口に到り、そこで停車します。
「ここからファヴェラです、皆さんには一列になってここを歩いていただきます」
というガイド氏の説明があり、僕たちは車を降りました。
「それから、この子たちが私たちの付き添いです」
という案内で紹介されたのが、10歳くらいの男の子2人。笑顔が可愛い。そこでジープを待っていてくれたわけです。この子ら二人が僕たちの前後に付いて歩いてくれます。そうやって緊張した僕たちの一列が歩き始めたら、ジープは走り去ってしまいました。

 僕たち一行は、ここでは余計者でしょうか。
 ガイド氏の話では、このファヴェラの人たちは、自分たちのことをよく知ってもらいたいと思っている、と言います。恐れることはない、気軽に挨拶をして、陽気にしているように、と言います。赤いレンガを積み上げた住居が並ぶ路地をしばらく辿り、(そこには雑貨屋、野菜屋などもありました)住民の奇異の視線を感じながらも、すれ違う通行人には片言のポルトガル語や笑顔で挨拶をしながら歩きました。

 僕らのグループの前と後ろには男の子。
 とある乾物屋では、その建物の内部を見せてもらいました。(明らかに、これは観光業者からお金を取って閲覧させていたものでしょう。)赤レンガの建物が1階、2階、3階と続きます。階段は細くて急で、薄暗い。その2階から上は住居で、ソファがあるし大型テレビも置いてある。ただ、ここは裕福な例、例外だと考えていいそうです。
 そうやって僕たちは階段を辿って屋上まで行きましたが、驚いたことに、そこでは上半身裸の老人が、屋上のスペースに更に赤レンガを積み上げている最中でした。こうして不法住居は上に延びていき、住人を吸収しているわけです。ほとんどの住居は高くても2階まで、しかも狭くて薄暗い、排水設備も完備されていないもののようで、路地には清潔とは言いがたいところもありました。一帯は生活の臭いにも満ちています。

 痩せぎすの女性たちが細い坂路地を足早に行き来し、一方で子どもたちは、カメラを向けると笑顔で応えてくれます。赤レンガの家が密集する地域の隙間を、僕たちは30分ほど歩き、峠の反対側に出ましたが、そこで僕たちのジープが待ってくれていました。
 これが、何となく言葉数が少なく、緊張感に満ちた短時間の冒険でした。

さて、こういう居住地区は違法である、と言われています。が、実際は、政府はこれを合法として認め始めているようです。役所もありました。郵便局もある。
 ただ、人口密集があまりにも激しく(と言っても、住民登録などはありませんから、正確な実数は不明)、生活圏として環境が完備しているとは言い難いのです。また、完備できるほどの税金の徴収ができないという問題もあります。水と電気、電話回線も一応供給されているのですが、十分に行き渡っていない。 

 高圧電線が走っており、大型トランスが電信柱の上に乗っかっている。そこから各家庭に電力が配給されるわけですが、それは電気代を支払う一部の住居へだけ。それ以外の人々は、勝手に電線を自宅からトランスへ引っ張ってきて結び付けています。それで、トランスがある電信柱には黒い電線の束がスパゲティのように絡み付いている。電力会社の技術者が時々やってきては、この電線を外すらしいのですが、それは空しい努力で、その翌日にはまたスパゲティが絡み付くという、果てしない徒労の戦いが繰り広げられているのです。

 さて、そういう住居の様子を見学したあと、最後はジープで駆け下りましたが、ファヴェラの出口は、貧しいなりの繁華街になっており、商店や出店が並んでいました。買物をする人通りも多い。

 そこにマイクロバスが1台ゆっくりと入ってきました。窓を締め切って、中にはビデオカメラを構えた観光客が、雑踏に向けて奇異の目を光らせていました。一見して欧米からの観光客だとわかる。自分も好奇心で人の生活の場を見て回ったわけですが、こうして車の中から覗き見るだけで、住民との接触を拒絶するような形でファヴェラ・ツアーが行われている、さすがに僕は憂鬱になりました。

さて、ツアーを終えると、2人の子どもたちとはお別れです。何の意志の疎通もできなかったけれど、どうもありがとう。
「オブリガード(ありがとう)」
と言いながら、それぞれにチップを渡しました。
男の子たちは、お金を手にして嬉しそうにしていましたが、(ほんとは、大切なのはこんなお金じゃぁないんだよ、「オブリガード」ということばで表す僕たちの気持ちを受け取ってほしいんだよ)と、僕は心の中で考えていました。

貧困の問題を解決するのは容易ではないでしょう。まずは何から手をつけたらいいのか。長い努力と苦労の路であるに違いないけれども、人口問題と教育問題は2つの鍵ではないか、そういう思いを深くしたファヴェラ・ツアーでした。

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