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27. 黒いモナリザ

 奴隷として連れてこられた黒人はアフリカの神話・宗教も持ち込みました。アフリカの宗教ではおよそ50の神々がいて、この世界を説明し守護しています。大晦日の夜、白い服を身につけて海の神に対する畏敬を示し、白い花々を海に流して幸いを願う情景は、実はアフリカから渡ってきた宗教的習慣であったのです。
 あるいは、延々と打ち鳴らされるドラムが作り出すリズムに合わせて、アフリカの宗教的陶酔に我を忘れるという情景がブラジルでも繰り広げられているのです。さらに、この陶酔がまた、カトリック教の宗教的儀式であるカーニバルに通じていくことになります。

 そして、黒人文化は音楽、絵画・彫刻に色濃く反映されています。複数の打楽器が叩きだす強烈なリズム、激しいサンバの踊りなど、もちろんバイアから広がったもの。また、ボサノバの生みの親はアントニオ カルロス ジョビンでしたが、そのジョビンは「ジョアン ジルベルトのリズム感覚がなければ、ボサノバは完成しなかったろう」と言っています。ジルベルトはもちろんバイア出身です。都会生まれの、洗練されたクールな音楽にすら、このような歴史の刻印があるということに、僕は驚き感嘆しています。

 僕たちは、サルバドールの中心地にある旧市街を歩いていました。(ここはユネスコの世界遺産に指定されています。)観光客が彷徨するこの地区には、教会や公舎のある広場に通じる路地に沿って土産品ショップ、レストランなどがひしめいているのですが、画廊が1軒、そういうビジネスのひとつとして扉を開いていました。
 何ということもない画廊の前を通り過ぎながら、窓越しに中を見ると、壁にたくさんの絵が掛かっている。と、それは当たり前でしょうが、その中に気になる絵が、こちらを向いていました。全体の基調が黒褐色で、黒人が一人写実的に描かれています。
 その静かな雰囲気が、何かを語りかけているようで僕は思わず歩を緩めました。画廊の奥の壁からじっとこちらを見て、語りかけているのです。立ち止まってしばらく眺めていましたが、とうとう画廊の中へ入りました。ずんずんと近づいて、さらによく観ていたら若い(自称)画家がやってきて、説明を始めてくれました。
 あいにくポルトガル語です。「あなたが描いた?」と手真似で尋ねたら、「違う」と言う。それで曖昧に笑っていたら、「こっちへ来い」と手招きして地下へ案内してくれました。
 そこには、同じ画家の絵が、何枚も展示されていました。その絵には Belen Brasil と署名してありますが、聞いたこともない名前です。(もしかするとそれはブラジルの街の名前かも知れません。)
 絵の前で感嘆の声を挙げていたら、さらに手招きして今度は画廊の2階へ連れて行ってくれました。が、そこは個人の書斎であり寝室でした。(こんなところまで入り込んでいいのかな?)と思っていたら、そこにも Belen Brasil の絵ばかりが飾ってあります。余程のコレクションです、ここのオーナーのお気に入りに違いありません。

 自称画家君、今度は奥でリラックスしていたオーナー氏を呼び出して、僕たちを紹介してくれました。
 初老で上半身は裸、ビール片手にフラフラと画廊の奥から出てきて、愛想よく話し掛けてくれたのがオーナー氏。幸いに英語です。実はこの人、スイス人でした。数年前にサルバドールへ永住を決め込んだと言います。
 「スイスはお金を稼ぐ所、ブラジルはお金を使う所。今まで稼いだお金で自分は余生をここで過ごすことに決めた。この画廊は道楽、これとは別にリゾートを経営しているので、生活は楽なもんだ。いや、しかしブラジル政府はヒドイ、これではブラジルの将来はないね」
 など、酔っ払いらしく話題は脈絡もなく、行ったり来たり。ただ、自分の好きな画家を気に入ったところを見込まれたものか、思わず長く話し込んでしまいました。
 Belen Brasil はサンパウロに住む画家だ、かつてヨーロッパで絵の勉強をした、などと言いますが、それ以上の情報は言いません。それが誰にしろ、素性は知れない画家ですが、ブラジルの黒人を描き、その背後にある、時の重さ、宿命の重さを訴えてくる力量は本物だと僕には思えました。
 やがて酔っ払いオーナー氏は、僕たちをもう一度地下に案内し、1枚の絵を示してくれました。その絵では黒人女性が不思議な笑顔をしてこちらを見ている。
 「いい絵だろう?これは俺の宝物だよ、いくらお金を積んでも、これは売らない。ほかの絵だったら、1枚 5,000 ドル。でも、これは売らない。俺はこれを『ブラック・モナリザ』と呼んでいるんだけどね」
 黒いモナリザ。そう名付けられるだけの雰囲気を湛えた作品ではありました。いつまでも忘れられません。

さて、とうとう明日はリオ経由でブラジルを離れることになります。ずいぶん長くお付き合いいただいた旅も、終わりが近づきました。

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