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青森県知事選挙をめぐる県連の対応等について

以下は、本日(625日)行われた青森県議会議員と国会議員との会議の中で、県知事選挙における自民党青森県連の対応等についての振り返りとして、私からの発言内容をまとめたものです。

1.今回の選挙全体について

今回の選挙は、20年振りに知事が交代する中で、自民党系の大変若くて優秀、かつ市長としての実績も豊富な二人が立候補するという大変稀有な状況での選挙戦であり、何が正解だったのか、その局面毎にどう行動すべきだったのかを一般化して振り返ることはなかなか難しいのではないか、ということをまずは申し上げたい。

その中でも言えることは、選考過程においてできる限り候補者を一本化すべきであったということ。
候補者を一本化できなかったことから色々な混乱が生じることになったのではないか。

そして、
・選考委員会などの選考過程が不透明であり、説明不足であった
・その中で示された「誓約書」の内容や位置付けなどについては、見直すべき
という点については、先週の県議会議員との会議の後の会見で、津島会長が表明しており、私も全く同感である。

2.「自主投票」について

自民党県連として「自主投票」としたことについては、間違いではなかったと考える。
「自主投票」を決めた3月の総務会の時点で(あるいはその後の局面においても)、どちらかの候補者のみを推薦するとした場合には、県連・会派の分裂など、今以上の混乱が生じていた可能性が高かったと考えられる。

逆に、「自主投票」としたことにより、7割近い県民の民意を得た新知事と、自民党県連として連携していくという「受け身」が取れる形となった。
このことは、県連にとって結果的に大変有効な対応であったと考えているし、3月の時点で「自主投票」とした津島会長の英断だったと評価したい。

一方で、そのようにして決まった「自主投票」の趣旨に沿った選挙戦ができたかどうかについては課題があると考える。
例えば、国会議員や県連幹部が特定の候補の支持を表明したり、片方の候補を支持する「議員団」が結成されたりしたことで、県連として実質的に特定の候補を支援しているのではないかという印象を県民に持たれたのだとすれば、そうした動きが適切であったのかは疑問が残る。
また、志を同じくする候補であり、県連として甲乙つけ難いとして「自主投票」とした候補に対して、中傷したり個人攻撃をしたりするような街頭演説があったことは大変残念である。

3.「総括」の必要性

もっとも、(繰り返しになるが)今回は大変稀有な状況での選挙戦であったことを踏まえると、何が正解だったのか、評価することはなかなか難しい。
今後、こうした「保守分裂選挙」がある場合でも、個別の候補者やその時の執行部の考え方などによって、同じような状況になることはなかなかないのではないか。
そうした意味で、今回のことを詳細に分析して一般化して総括し、今後に活かすということはなかなか難しいし、必要性も非常に高いというわけではないのではないか。

もし「総括」的なことが必要なのだとすれば、それは、今後津島会長から示される「改革プラン」と「組織体制・人事」によって示されるのではないかと考えている。
このうち「組織体制・人事」については、昨年末に江渡前会長から津島会長に交代した際に、一連の選挙(統一地方選、知事選)が終わるまでは体制変更しないとしていた経緯があり、今回は知事選挙が終わったということで「既定路線」として「津島新体制の組成」を行うものと理解している。
その際に、過度に今回の選挙結果などを踏まえた「報復人事」的なことがあるとしこりが残ってしまうため、人事について一任されている津島会長には、県連として一つになって進んでいける体制を構築していただくことを期待したい。

さらに、選挙期間中の個別の言動についても色々な批判や意見があると思うが、我々は政治家であり、最終的には、それぞれの言動の評価は今後の選挙の結果として現れるものと考えている。

(補足1)宮下新知事の当選セレモニーでの私の言動について

個人的なことになるが、投開票日の夜8時に、宮下新知事に当確が出た際の私の言動について一部からご批判をいただいているため、これについて説明したい。

かねてから表明している通り、私は選挙期間中、最後まで「中立」を貫いたことについては、改めて申し上げたい。
その上で、当選セレモニーは投票箱が閉まった後という意味で「選挙後」のことであり、「8時当確」という明確な県民の民意が示された後のこととなる。
県議会議員の皆さんであればご理解いただけると思うが、当確が出た後に当選した陣営の事務所にお祝いに駆けつけてバンザイし、その後、落選した陣営の事務所にも駆けつけてねぎらいの言葉をかけることは、通常の選挙でも一般的に行われていることである。
さらに当日は、津島県連会長から、「当確が出たら直ちに県連会長の名代として祝賀会場に入るように」と指示があり、私はその指示に従って、宮下新知事の当選セレモニーに参加し、その後、小野寺さんの選挙事務所にも駆けつけたのである。

結果的に、当選セレモニーで私が津島会長の名代としてお祝いの言葉を述べさせていただき、支持者の皆さんと一緒にバンザイしたことで、「自民党は宮下新知事と連携しながら県政運営をしていく」ということを、党員・県民の皆さんに対して明確に示すことができたと考えており、県連にとって大変重要なことだったと考えている。
例えば仮に、野党の国会議員が会場に駆けつけて挨拶・バンザイを行い、自民党からは誰も行かなかったような場合には、今後の県政運営は、自民党県連にとって大変厳しいものになっていたのではないか。
そのことを考えても、津島会長の指示と、それに従った私の行動は適切であったと考えている。

なお、バンザイの際に「青いパーカー」を着る必要まではなかったのではないか、というご批判も頂いている。
これによって、小野寺さんを支援した方々の心理を逆撫でしたというご批判であり、それについては甘んじで受けたい。
ただし、今振り返ってみても、当選セレモニーの会場の雰囲気の中で、心からの祝福の意を表すためには、パーカーを着るという選択肢以外はなかったのではないかとも考えている。

(補足2)木村防衛大臣政務官が八戸市で街頭演説をした際の私の言動について

5月28日(日)、八戸市での小野寺さんの街頭演説会場において、演説終了後の木村政務官に対して「選挙区を分断するような演説をしないでほしい」と訴えたことが、翌日の新聞によって「県連が一枚岩ではない」と報道され、これについても一部から批判を受けている。
本日の会議の冒頭でも、報道陣入りの挨拶の際に木村政務官から、「八戸での件は自分の信念に沿って行動しただけ。悪かったとは全く思っていない」といった趣旨の発言があった。

この件については、投開票日の2日後、66日(火)の国会議員5人の会合の席上で、「結果として県連が一枚岩でないという報道につながった点について、私の言動に不適切な点があり、申し訳ありませんでした」と申し上げて、木村政務官を含む県選出の党国会議員に対して謝罪しました。
これに対して、その場で津島会長から「今は県連が一つになって進むべきときであり、本件をこれ以上引きずるべきではない。神田代議士から謝罪があったということをもって、この件については終わりにしましょう」との提案があり、私はその提案を受け入れました。

なお、木村政務官からは「私ではなく小野寺さんに謝罪すべき」との言葉がありましたが、小野寺さんに対しては、当日その場で「木村政務官と私の問題で、街頭演説を乱すようなことになり申し訳ありませんでした」と謝罪していたことを申し添えます。

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