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杜の都・仙台がヒートアップ!! 「世界最強」殺人魚雷コンビの猛攻にスタン・ハンセンが大ピンチ!! その時、不沈艦を救ったのはあの愛される「いいヤツ」だった…。



"人間魚雷"テリー・ゴディと"殺人医師"スティーブ・ウィリアムスによる殺人魚雷コンビは全日本プロレスが産んだ1990年代を代表する世界最強のタッグチームである。彼らはSDD(スーパー・デンジャラス・デュオ)、ミラクル・バイオレンス・コレクションとも呼ばれている。

殺人魚雷コンビは1+1=10にも20にもなる相乗効果を生み、日々進化を続けたタッグチームだった。
13歳の若さでデビューしたと言われ、荒々しい巨漢レスラーでありながら隠れた技巧派レスラーだったゴディと、アマレス全米学生王者となった実力と驚異のタフネスと体力を誇る怪物ウィリアムスのコンビネーションは絶妙だった。
史上初の世界最強タッグ決定リーグ戦二連覇(1990年&1991年)、世界タッグ王座は実に五度も戴冠している。

そんな彼らの恐ろしさが物語る試合がある。

「スーパー・パワー・シリーズ最終戦」
1993年6月3日・全日本プロレス・宮城県スポーツセンター大会のセミファイナルで行われたスタン・ハンセン&ジョー・ディートンとのタッグマッチである。

この時のハンセンはジョニー・エースとタッグを組んでいたが、ディートンとのコンビはエースと組む以前から実現していて、1992年1月の三軍対抗戦でディートンはハンセン軍の一員として参加していた。また、ハンセンにとってディートンは弟分のような存在だった。当時のテレビ中継ではその人のよさそうな見た目から「いいヤツ」と形容されていた。

実はこの試合の2日前の1993年6月1日の日本武道館大会でハンセンとゴディの外国人頂上対決があった。試合はゴディが優勢に進めながらも、一瞬のすきをついて逆転のウエスタン・ラリアットを食らいハンセンに敗れた。
試合後、余りにも悔しかったのか、ゴディはセコンドに付いていた甥のリチャード・スリンガーにビンタを見舞うほどご乱心するほどだった。

殺人魚雷コンビは仙台大会で何が何でもハンセンの首を取ることに執念を燃やしていた。

リングインしてきたハンセンをいきなりゴディは人間魚雷ラリアットで奇襲。
ハンセンのパートナーである「いいヤツ」ディートンを分断しておいて、ハンセンに二人がかりで襲いかかる。

場内はブーイングと「ハンセン」コールが沸き起こる。
だが、殺人魚雷コンビの集中砲火を一人で浴びるのはさすがにキツイ。
ゴディのパワーボム、ウィリアムスのアバランシュ・ホールド、バックドロップ&ノド輪落とし、合体パワーボム、ウィリアムスのドクターボム。

殺人魚雷コンビの爆走は不沈艦を飲み込む。その時に必死になってカットに入ったのはパートナーのディートン。殺人魚雷コンビに分断されても、食らいついて抵抗するディートンの姿があった。そこには「いいヤツ」だけじゃないプロレスラーとしてのプライドがあった。

そんなディートンに触発されてハンセンも反撃に転じる。場内は大歓声。

だが、殺人魚雷コンビの前には何の効果もない。二人がかりの攻撃に後退し、場外でグロッキー状態。

試合終盤にハンセンが反撃するも、ゴディの延髄ラリアットでハンセンはダウン。
最後はゴディのパワーボムが決まりカウント3。
殺人魚雷コンビは二人掛かりで打倒ハンセンを果たした。杜の都・仙台がヒートアップした一戦だった。

場内はブーイングと敗れたハンセンへの声援に包まれた。
殺人魚雷コンビに屈したハンセンは試合後、錯乱状態となり新人レスラーに八つ当たりする始末。

そんなハンセンをなだめたのがパートナーのディートン。
ディートンはハンセンのトレードマークであるブルロープをハンセンの首にかけて、気を静めて見せた。
大「ハンセン」コールが起こる中でハンセンは退場していった。

このタッグマッチで証明されたのは、実は殺人魚雷コンビの強さよりも、日本におけるハンセンの人気と、ディートンはやっぱり「いいヤツ」だったということである。

殺人魚雷コンビの伝説はその嫌われるほどの強すぎる実力と共に語り継がれている。

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