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内藤智文noteをはじめます。

はじめに

はじめまして。

プロスキージャンプ選手の内藤智文です。ここでは主にFacebookの内容を書いていきたいと思っています。

プロフィール↓

自己紹介


私は東京都の調布市出身で中学まで調布に住んでいました。

高校からスキージャンプの強豪校「下川商業高校」に入学し

大学も強豪校の「東海大学」に入り、スキージャンプを続けてきました。

大学卒業後は「国体選手」として茨城県に行き

金属加工会社で仕事をしながら、茨城県を拠点に競技を続けていました。

人に会い「スキージャンプをやっています」と言うと必ず聞かれるのが

どうして始めたの?」です。

人生で100回以上は間違いなく聞かれています。

私がスキージャンプを始めたのは5歳。

始めた時の記憶が定かではありません。

「兄がやっていたから」という答えしかできませんが、兄はこんな感じで始めたみたいです。

小学校3年生の兄の作文力が凄い!というのは置いておいて

良いドキュメンタリーになってるなと、身内ながらに感じます。

この動画にジャンプを始めたきっかけと、のめりこんだ要因が詰まっていますね。

プロの仕事はすごいです。

兄は大学の卒業と共に競技から離れました。

大学を卒業して競技を続けるというのは、超一流の一握りしか叶いません。

趣味で続けるには金と時間がかかり、怪我の危険性もあるとなると中々ハードルが高い競技です。

そのため、私も大学卒業と共に競技から離れるつもりでした。

大学院に行き研究員を目指すか、もしくは普通の教員になるか。

そんなことを考えながら大学院の試験を受け合格しました。

そんな折に入った「茨城県の国体選手」という話。

もっと競技力を上げられると確信していた私は、その話に飛びつきました。

「社会人スキージャンプ選手」という世界を感じて見たかった。好奇心に負けました。

向こう5年の人生を考えれば愚かな決断でした。

「愚か」だとわかっていても、それに勝る「好奇心」とスキージャンプに対する熱意、未練を持っていました。

茨城県というスキーとは縁遠い土地、仕事をしながら競技力をあげるという困難。

普通の人間ならやらない「でもやりたい」

「愚か」だと分かってても行く。

だからこそ「覚悟」を持って茨城に行きスキージャンプ選手になる道を選びました。

「覚悟」が実を結び、学生時代は全く歯が立たなかった選手達と肩を並べ、気づけば国内のトップ選手にまで上り詰めました。

茨城国体の年には優勝も果たし、「国体選手」としてこれ以上ない最高の仕事を果たしました。

しかし、私に待ち受けていたのは「スキー選手」としての支援の中止と縮小。

そんな困難を、なんとか乗り越えたと思った矢先に「コロナ解雇」。

社会人6年目11月、「コロナ解雇」によりプロスキージャンプ選手になりました。

そんなスキー選手の取り組みや考えていることを発信していきます。

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