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"理想"という呪いに縛られて、見失ったもの

30年弱しか生きていないけれども、
周囲と相対して自分が理想主義者であることに
最近やっと気づくことができた。

「曲がったことが大嫌い」
「こうあるべきでない、こうすべき」
「正しさを追求する」

とまあ呆れるほどバカが付く正義感を
まるで聖人かのように誇らしげに掲げている。

会社では、
上には面倒くさがられるが、下には信頼されやすい。

"これでいい"とずっと信じてきたが、
今年大きな壁にぶつかっている。

1.綺麗事を実現する美学

「綺麗事は本当に綺麗事か?」

この疑問を持ったのは高校生ぐらいだったか。

綺麗事って言うくらいだから、
これが最高峰のゴールじゃないの?笑
なんでみんな目指さない?やったろうか!

くらいの安直なスタートから、
今じゃ物語の主人公と比喩されるほどに、
この綺麗事の実現に固執している。

実際に追求して成し遂げたこともある。
その時の達成感たるや、歴史的偉業と自慰する。

同じ土俵でトップを目指すよりも、
唯一の土俵を創りパイオニアを目指したい。
誰にも超えられないから。

と、自分の美学に絶対の自信を持つ。

2.物語の主人公がぶち当たった壁

綺麗事が実現したかの指標は大きく2つ。
・関わった人がその実感を持っているか
・定量指標(ノルマ)をクリアしているか

要するに自己満足はできない性格なので、
圧倒的に他者評価で綺麗事の実現度を
客観的に見極めている。

"周りが満足しなくなった?"
というのが1番想起される壁だろう。

私がぶち当たった壁の正体は、
"自分が何者か分からなくなったこと"

綺麗事は自分の中にあるものではなく、
社会の中にある理想のカタチを指している。
つまりは、自分の意志から生まれたものでない

要するに、
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その場の最適解を客観的に見て定め、
その最適解の実現に必要な自分を演じる。

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この癖がついてしまい、我が分からなくなった。

気づけば私は、
大量の枷と鎖と十字架を背負っていた。

ただそれを分かったからといって、
この背負うものを急に放った後の自分も怖かった。


3.壁の乗り越え方

長いことこの壁の前で頭を抱えている最中、
気づきを与えてくれた人が2人いる。

共に私とは別の世界線で生きる、
自己実現型かつ直感型の人である。

「結局、自分の人生歩めてないじゃん。」
「自分を見つけるための行動しないの?」
とクリティカルなツッコミを入れてきたのだ。

理想はあくまで理想であり、
理想に向けて動いている間にも、
状況は変わるし、気づきもある。

それに目を瞑って動かないのは死んだも同然。
もはや綺麗事ですらないことだってあり得る。

「元々理想主義者なんだから、多少わがままに生きても省みることできるっしょ、大丈夫」
この言葉を聞いて安心して納得した。

私が今考えている乗り越え方は3つある。
①理想を度外視した直感型で動いてみる
②とにかく新しい方向へ歩き出してみる
③理想を捨て、刹那的に考えてみる

まだ乗り越えていない。試行錯誤の段階。
自分を取り戻す旅はきっと長い。


4.死ぬ瞬間に思うことを想像した

今の壁の中での生活で人生全うしたらどうなるか
布団の中で3時間想像してみた。

「あれ、よかったんだっけ?何が?」

とかなり抽象的な思いでこの世を去りそうだと、
心底震えた。

私が死んだ時に思いたいのは、
「あーもうやり残したことはない。」

であるならば?
今もうやり残したことはないのか?と自問すると、
「めーっちゃあるわ‥」と短期的なことだけだが、
たくさん出てきた。


明日死んでもいいやとある程度思えるくらい、
自分の直感で生きていくことが
自分を取り戻すことに繋がるのではないか。



理想主義者から現実主義者へ
とまではいかないが、
この間のバランスを探っていきたい。

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