見出し画像

災害派遣で熊本へ

熊本県球磨郡球磨村

熊本県の名前の由来とも、熊襲(クマソ)の名前の由来ともなった村。

wikipediaによると、「肥後国球磨郡(くまぐん。現熊本県人吉市周辺。球磨川上流域)から大隅国曽於郡(そおぐん。現鹿児島県霧島市周辺。現在の曽於市、曽於郡とは領域を異にする)に居住した部族とされる」とある。

「熊襲(くまそ)は、日本の記紀神話に登場する、現在の九州南部にあった襲国(ソノクニ)に本拠地を構え、ヤマト王権に抵抗したとされる人々、また地域名自体を表す総称である[1]。古事記には熊曾と表記され、日本書紀には熊襲、筑前国風土記では球磨囎唹と表記される」

7月4日未明から朝にかけて湯前町で386・5ミリ、水俣市で367・5ミリなど記録的雨量を観測し、同30日現在、床上浸水被害は人吉市3775棟、芦北町888棟、球磨村470棟など32市町村で計5594棟に上る。熊本県南部を中心に甚大な被害をもたらした豪雨は4日、発生から1カ月を迎える。球磨川の氾濫などで5千棟超が床上浸水し、今も1500人近い被災者が避難所で生活する。(西日本新聞)

コロナの影響で県外からボランティアを受け入れないことが発表されたが、1ヶ月たった今も復旧作業は進んでいなかった。もともと高齢者の多いこの地区で、炎天下で家のかたづけなどはできるはずもない。

そんな状況を見かねた、球磨村と熊本県からオファーがあり今回の災害派遣に至った。

ラフティングで有名な球磨川はエメラルドグリーンでとても美しく、氾濫したとは思えなかった。

炎天下での作業は想像以上に堪えた。しかし、コロナで県外ボランティアも来れず、高齢者の多い村の家の人々は、1ヶ月たった今も家の中に入ったどろや家財を運び出せていない状況だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?