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#sec3「パパをこのメンバーでアメリカに連れて行く」

※1月15日の大会が終わったら公開します※

このnoteを書き始めるにあたって、
メンバーのことも少しずつ書いて行こうと思います。
まずはパパのこと。

メンバーの「PaPa」(通称)は御年66歳。
私から見ても実父と同じ世代です。

自分の実父の年代なんて、
ダブルダッチなんて激しいスポーツやっていないですし、
ましてや大会にもほとんどでません。もちろん世界大会なんて目指しません。そんなパパとは知り合ってもう10年以上経ちます。

知り合ったきっかけは、
駒沢公園で開催していたダブルダッチ好きが集まるイベントのようなもの、
通称「縄日」だったかと思います。
そこでお話して、仲良くさせてもらうようになりました。

その頃から、パパはフィットネスジムで
エアロのスタジオに参加されてたり、かなりアクティブだったのを覚えています。
パパのご厚意で、フィットネスクラブで
ダブルダッチのパフォーマンスをさせてもらったこともありました。

社会人になると、取り立てて土日休みになると、
自分の時間が限られてくるので物事の優先順位だったり、
それに充てる時間や思いもだんだんと変わってくるということを、
当時よく聞いていました。

私が大学を卒業して会社勤めを始めたころ、
パパは、別の人とチームを組んでいました。
そのときのチームで思う部分があったのか、
「もう少し緩く楽しく、長くやれるチームでやりたい」と
言われていたのを今でもよく覚えています。
んで、それぞれ、紆余曲折を経て、パパと一緒に大会に出たのが2006年。

このときは、順位とかはあんまり考えていませんでした。
ちょっと笑いながらもやることはやる!みたいな
メリハリのきいたことやりたいなと思って最初に集まったメンバーです。
※本当はもう1人メンバーは5人がいましたが、1人が直後に結婚が決まり、
 結局5人で一緒にできなかったんですがね。

たしか「ソフトクリーム食べながら楽しくダブルダッチする」みたいな。
コンセプトがあったと思います。

この頃、私もダブルダッチから離れていた時期だったので、
ブランクとかもあったのですが、練習を通して、徐々に感覚だったり
ダブルダッチの楽しさだったりを取り戻していったような感じがします。

この大会出場をきっかけに一緒に大会にでる機会が増えました。
練習を通して、「そろそろいい順位の表彰状欲しいな」という思いから
でた大会がこちら。結果、一般の部で3位に入賞しました。

学生でダブルダッチをやっている人たちは、
ブレイクビーツと呼ばれるブレイクダンスで使う曲や、
ヒップホップのダンスミュージックを使用する傾向が顕著にでていましたが、

私たちのチームは誰もが知っている曲や、聞いたことのある曲、
聞いているだけで楽しくなる曲などを中心に選曲していました。

かなりの練習時間を費やして(たと思う)
このパフォーマンスはできあがりました。
楽しさを存分に出しながら、やることをきっちりやる、
流れるようにあっという間にパフォーマンスを終える、
という精度の高さも出せたかなと思います。
やってて達成感もありました。

そこから3年、「このチームで優勝したい!」という思いで、
半年以上の時間をかけて練習を重ねて大会にでました。

本番はミスが多くて、パフォーマンスが終わってから、
みんなで悔し涙を流したのを今でも忘れません。

そして、大会が終わって後日、結果詳細が発表された時は、愕然としました。
僅差で4位。優勝とは1点差、2~4位は同点。ミスの数の差で4位。
優勝を狙っていただけに、自分のパートでミスがなければ…とか、
あと1点なんとかできたよな…とか、余計に悔しさだけが残りました。

その後、メンバーの転勤、結婚、地元にUターン等々で、
このチームで定期的に会うことはあっても大会に出る機会は、
格段に減ってしまいました、解散はしてないから活動休止中です。

そこから6年。「またやりたいね」と言い続けて
再び、一緒に練習を始めることになりました。
今後はスペシャルなメンバーと一緒に。
つきあいが長いのもあって、想いはどんどん強くなります。

#世界 #ダブルダッチ #R66


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