見出し画像

#7 特別養護老人ホームの入居申込について〜叔母の場合

今春他界した生涯独身の叔母は、アルツハイマー型認知症により独居が難しくなり、晩年はグループホームに入居し、ホームで5年過ごした後、病院に入院して半年で息を引き取りました。

グループホームの入居まで

独居が難しくなった具体例は、食事を摂らない(摂れない)、季節感が分からずエアコンが活用出来ない・真夏に布団をかけてしまう、鍵紛失の繰り返し、火元の管理についてご近所から心配の声が上がる、そして、徘徊です。

叔母がホームに入居したのは、70代前半でしたが非常に健脚でした。もう少し高齢であったり、歩行面に難しさを抱えていれば出歩くこと自体が出来ないため、徘徊は若いが故の難題です。

60km以上離れた実家(と言っても私にとっての祖母に当たる母親は既に他界しており当人の兄夫婦が住む家)に叔母1人で訪問。そこで歓迎されなかった事が原因か、夜にも関わらず飛び出して行った、と兄嫁より連絡が入った後、朝になっても帰宅せず、焦る母に交番への届出を勧めました。交番の指示で、自宅に電話をかけると明るい声で「ずっと家にいた、寝ていた」と。交番への届出前に帰宅していないこと不在であることを確認しているので、一体どのようにして一晩を過ごしたのかは分からずじまいです。

ケアマネージャーには独居を維持するために、次々と介護サービスを紹介して貰い、様々に試しましたが、この徘徊の後、グループホームへの入居を勧めて頂き、幸い丁度良い施設に空きがあって入居しました。

グループホームに入居してから

入居時は物忘れが激しいとはいえ、まだまだ動けたので、調理を手伝ったり趣味の手芸をしたりと、楽しくそして安心して暮らせていました。母も毎月面会に行き、ショッピングセンターへ外出し、施設内の美容室に行ったり、外食をしたりしていました。

一年位した頃でしょうか、とても仕事の出来るスタッフの方が引き抜きで別の施設へ移り、有能な施設長も別の施設に移ってしまい、また、運営会社も変わり、入居先のホームが微妙な感じになってきました。そして、外出時に母と逸れる事が増え、足腰も弱り、更にはコロナ禍で面会も中止になり、叔母も段々に進行・衰弱している様でした。

施設に寄りますが、叔母の入居先は通院付き添いは家族でした。「ベットから落ちて頭を打った”かもしれない”」けれど恐らく頭を打っていない、「膝の具合が悪く”歩けない”」と言いつつ整形外科医の前で歩行できた、という様に不要の可能性が考えれれる通院に、母が付き添うことで負担が増してきました。

グループホーム退去と入院

誤嚥性肺炎で入院した事がきっかけで、施設を映るようホーム側から話がありました。当時、窓口は母になっており特養の申込書の記入は私が対応しました。しかしながら、入居順が回ってくる事はなく、ホームで預かって頂くには叔母の病状が進行したため、何度となく施設側から母へ移り先を探すよう連絡が入っていた様です。私も病気休職後の復職後であり、自身の体力も回復途上だった事で、この問題に殆ど介入していませんでした。

再び誤嚥性肺炎を発症した頃、入居先の施設長から窓口を母から私に交代するよう依頼が入り、私も漸くほぼ元の状態まで体力回復出来ていたので、そこから私が対応に当たりました。

訪問医に会って欲しい、と急な依頼を受け万象繰り合わせてホームに伺いました。
担当医からは、病状が思わしくないことと「新しい施設が見つかり次第移って頂いて」という事で説明を受け、私も承知し話が纏まったかに思いきや、施設長から「新たな施設は探しているが、とても見つかるまで預かれない、病院に入院してほしい!」と発言がありました。

施設長の大胆発言に、担当医はお若く丁重な方でしたが「は?」となってしまい、話を覆してしまうことをお詫びくださった上で、「万一の際の蘇生を希望しないこと、入院には医療行為が必要になるが栄養を補う程度を希望する」ことを入院先に明確に伝える様ご指示頂きました。

入院から退院まで

入院先は所謂「看取り病院」で、「医療と介護により、残存昨日の維持と苦痛の少ない状態を目指す」ための入院で、設備無く蘇生処置は出来ないと説明を受けました。また、口からに加えて、鼻からの栄養摂取が難しくなった場合に、中心静脈カテーテル挿入に関しての同意を求められ、それには同意をしました。

入院前はかなり悪い状態で今にも危ない、という状態でしたが、そこから4ヶ月頑張る事ができたのは、病院スタッフの方の献身的な看護のお蔭です。

対面の面会は、いよいよの時1回、との定めで、入院から3ヶ月経った頃連絡がありました。私の勤務の都合上、夜11時近くに訪問しましたが、快く面会させて頂きました。そこから更に一ヶ月程頑張ってくれたのですが、面会と息を引き取った際に病院に入れて頂いて、古いながらも掃除が行き届、ベテランと言われる年齢層のスタッフは皆とても穏やかで、叔母がホームを出て、最後にここで過ごせた事はとても良かったと感じました。

愚痴

話は戻りますが、グループホームの施設長から次の入居先探しを切望された母は困り果て、元は叔母の、その後父の担当をして頂いているケアマネージャーに相談した際に、現在担当している=入居先のケアマネージャーが次の施設を探すことになっていると教えて貰いました。

「新たな入居者を探すより長く居て貰った方が楽だから、ギリギリまで叔母を預かり、いざとなった時に看取りは出来ない、と言われた気がする」と母が話していましたが、そういう考えを持ってしまうことも仕方がないと思っています。

#0002でホームの退去に伴う廃品回収について書きましたが、自室に大量の未開封のリハビリパンツと紙オムツが残っていました。それについてご説明頂きましたが、理由があったとはいえ残量が多過ぎたのです。

入院=退去ですが、入院時にそのことに触れることなく、こちらから退去を申し出ると、申し出から一ヶ月分の入居費がルールだが自分が日割りで取り計らうこともできるが希望するかどうか?とのお話を頂きました。

その施設長とは数年に渡り関わりがありましたが、母に無理難題を押し付けを受けて、私が連絡すると、話を変えることがあったので、あくまでもサイコパス的な方に当たってしまっただけ、かと捉えています。

特別養護老人ホームの申込むには、どうすべきだったのか

元叔母の、元父の担当ケアマネージャーに、父の特養入居を希望し相談したものの、ここでは「自分で見つけて申し込みするように」との回答でした。叔母の時に「ケアマネージャーが探すとお聞きしたので、ご説明をお願いします」と食い下がリマした。その時に、デイ・ショートでお世話になっている法人が運営している特養以外のお勧めをご教示いただきたいとしてお伺いし、アクセスで選ぶ人が多いと教えていただきました。利用中の法人で二箇所、比較的違い所二箇所に申し込みをし、その時に「申し込みしても順番が回ってこない時には、様子を見て「広域」に申し込みをかける」と教えて頂きました。

基本的に居住自治体にある施設に優先的に入居が認められる様になっています。都道府県によって違いがあるのかは存じ上げないのですが、我が家のある自治体は、居住市町村に加えて「広域」といって、中心地から離れた地域で人口に対して施設数が多い地域にある特養に「ケアマネージャー」を通じて申込が出来ます。

個別の特養申込は、本人=家族が施設毎に申込書を作成し、ケアマネジャーから意見書を添えて提出します。「広域」は本人=家族ではなく、ケアマネージャーからの申込になることを、この時に知ったのですが、つまり、叔母も「広域」の申込が出来た事は、亡くなった後に知りました。

叔母の介護度を含めた状況から、「広域」に申込をすれば、比較的早く順番が回ってきたと考えられます。入院先の対応に満足しているので、その点で後悔はないのですが、グループホームの施設長から母に対する退去と移転先を探すことの非常に強い要求により、母に過剰な負担がかかったことに納得が出来ないでいます。

こうしたことを体験されている方は数多くいらっしゃると考えられ、困っている方の目に止まればと思った事が、私がnoteを始める動機の一つです。

どうか、この拙い文章が、必要とされている方に届くことを願っています。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?