その苦しみが愛の証であるとしたら
悲しい感情を認めて、苦しい感情があるのに気分を穏やかに過ごすことが私たちにはできます。
「でも、この苦しい気持ちが存在していることが、どうしても嫌なの。目障りでどうにか、この悲しい気持ちを感じない方法はないのか。」
それは最愛の旦那さんを不慮の事故で、ある日突然亡くした友人の女性でした。1年以上経った今でも、その悲しみは癒えることはありません。
どうして、彼女が悲しみを感じるでしょうか。
もし、同じような経験のある方は、想像してみてください。
その亡くなった人が他の人だったら、今と同じ気持ちは持つか?
同じ衝撃で、同じ深さでその気持ちを感じるか?
関係が近いからといっても、皆が皆、同じ感情を同じ深さで抱くわけではありません。例えば、夫婦でも、保険金かけて殺人するケースもあります。だから、どうやら「家族だから」とか「関係が近いから」「毎日顔を合わせる上司」だから、という理由ではなさそうです。
ではなんでしょうか?何がその悲しみを生んでいるのでしょうか?
答えは愛です。どれほど深く愛していたか,どれだけ大切に思っていたか、ということが比例して悲しみの深さを産んでたとしたら
その悲しみはは愛していた証だとしたら。
感じてみてください。その悲しみが「愛」から生まれていること。
その人との思い出を巡らせてみてください。
この人に出会えてよかった。
私の人生の道を一緒に歩めてよかった。
私って、この人のことすごく愛していたんだね。
ありがとう。
ここで先程の友人に聞いた。
「もし仮にその深い悲しみを取り去るの代わりに、愛した記憶や感情も取り去ることができるとしたら、あなたそれを選択しますか」と。
もちろん、答えはNOでした。
「悲しみ」なぜならこの「悲しみ」はネガティブな感情ではないことが明らかになったからです。だから否定したり、余計なものと思うのではなく、居場所を作って存在を許してあげるべきです。
そうすると徐々にですが、その「愛」=「貴方の大切な人」を心の一部として、人生を進んで行くことができるのです。
私たちがネガティブと呼んでいる感情は、私たちの心を苦しめて、人生を後退させるような感覚になるから、そう呼んでるのかもしれません。
でも、苦しいけど、後退させない、むしろ前向きになれる感情もあり、それを気がつくためには感情は外からのきっかけはあったとしても、自分から生まれていることことを理解する必要があるのかもしれません。
普段は苦しい感情があるのに気分を穏やかに過ごすことができても、
これからの人生の中でも、不意に深い悲しみや喪失感が襲ってくるかもしれません。
当然です。それは私たちがその感情と共にずっとあるからです。
下の記事の中で書いた、ビーチボールの話がありますが、ビーチボールを泳がせていると遠くに行って視界からいなくなくなることもあれば、気がついたら、急に目の前にきていることもあるでしょう。
だから当たり前のことなんです。
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