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その愛し方合ってますか?

娘が今日学校から帰ってきて、
「お友達のXXちゃんが校庭で遊んでたら怪我をして泣いちゃったから、大丈夫だよと励まして、保健室につれて行ってあげた」という話を聞き、なんて優しい子なんだと嬉しく思い、褒めました。
ついこの間も別のお友達のお母さんに声をかけられて、「OOちゃんにはうちの子がいつも学校で助けられてるみたいでありがとうございます。」と言われビックリしました。どうやら、娘は学校で頼りにされているようで、そんな娘を誇りに思い娘に喝采を送りました。

「困っている人がいたら助けてあげてね」

そう、私たちは子供のころから、人を助けることは良いことであると教えられてきました。

大好きな人ができれば尚更です。
「この人のためにしてあげたい!」と拍車がかかるし、
長年のパートナーになったら、2人で1つー私たちは運命共同体という気持ちと責任感に自分を律し、相手が困っていれば、助ける。相手の問題は私の問題なわけだからだから、率先して問題を解決することに努めます。それが「助ける」という道徳的な教えが下支えし、苦しくても頑張るわけです。

しかし貴方のそのような善意だったり、責任のある行動はもしかしたら相手に与えられた成長のチャンスを潰してしまっているかもしれません。

人には1人1人に自己成長の機会が与えられ、それは、時に試練だったりするのです。

お小遣いをあげた夫がそれをお小遣い日までの間に使い切ってしまった場合、途中で追加であげてしまったら、夫はやりくりするということを学ばなくなるかもしれません。

酔っ払った旦那が、人様に迷惑をかけたことを、妻であるあなたがお詫びにいってしまったら、旦那さんは自分の行動に責任を持つということを学ばなくなるかもしれません。その行為の動機が、後々自分自身の後々の面倒を減らす為と考えている場合でも、同じです。

例えば、部屋が汚くなると結局自分が掃除をしないといけないからと、旦那さんの散らかしたものを片っぱしから片付けています。貴方は「どうせ私が掃除しないといけないから」と動機はあなたの行動を楽にすることかも知れませんが、こういうことに関しても、貴方が掃除をするから、旦那さんは片付けない習慣ができてしまっているかもしれないと考えてみることもできるかもしれません。

どんなに小さなことでも、貴方の習慣的な行動が、結果的に相手の尻拭いになっていたり、相手が行動が変わらない、もしくは悪化するようなことになっていた場合、それは、相手の成長の邪魔をしているのではないかと考えてみましょう。

「イネーブリング」という言葉があり、これは相手の悪い行動を後押ししてしまう行為、相手を現状に留まらせるような行為であるということ。
そしてそれをしている人を意図的にやっているかどうかに関わらず、イネーブラーといいいます。

私も夫に対してイネーブラーでした。やめるのも葛藤があり大変でしたので、分かっているけど、やめられないという人の気持ちをとても分かります。相手が苦しむところは最小限にしたいですし、それを見る私たちも辛いですし、自分のストレスも増えそうで不安ですし。

しかしイネーブリング行為をやめることは、あなたのストレスを減らすことではなく、相手の成長するチャンスを潰してしまっていることなんです。これはある相手に対して失礼な行為です。それを大切な人に貴方がしてしまっているとしたらそれは究極にお節介だし、愛する行為に真っ向から反していることかもしれません。

愛する方法、人を助ける方法って、単純じゃないんですね。
1人1人に与えられた成長の機会に感謝し、時に手を動かすのではなく、それは相手の問題であると、貴方と相手の間に境界線を引き、相手の可能性を信じて辛抱強く見守ったり、励ましてあげることも愛の形、その人を助ける方法という話でした。


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