自己肯定感、育てるものか個体値か
私はめちゃくちゃ物をよく失くす。
最近失くして一番堪えたものは開封もしていない折りたたみBluetoothキーボードである。
メール便で届いたのを夫が運んできてくれた後、キッチンカウンターの上にのせていて「開けなきゃなー、早く開けなきゃなー」と思い続けていたうちに消えた。
いざ使おうと探したら跡形もなくなっていた。
数日前娘の始業式だった。
家を出てから娘に「お母さん水筒がない」と言われた。
「えっ、用意したのに!どこにあるの?」と応えると娘は「キッチンの上だよ」と答えた。
家に帰ってキッチンへ行くと娘の言う通りキッチンの上に水筒があった。
お茶を入れたのに蓋の開いたままの水筒が。
数行前、「用意したのに!」と書いたけれど、用意していなかったのである。正確に言えば用意が「終わってなかった」。
覚えていないのでここからは推測でしかないが、水筒にお茶を入れお茶の容器を冷蔵庫に入れ戸を閉めた瞬間に、おそらく私は水筒の存在を忘れたのだ。
「水筒にお茶を入れた記憶」のある私は「用意したのに!」と思ったのである。完全には用意が終わってなかったのに。
こういうことが非常に多い!!
えっ、世間の人はお茶を入れたあと冷蔵庫にお茶を戻した瞬間お茶を入れたコップの存在を見失ったりしないんですか?覚えていられるの???すごいね!人間向いてるね!!!誇って良いよ!!!!
私と同じように存在を見失うタイプの人も人間向いてないのに生きててえらい!!!!胸を張りな!!!!
こういうことがあるたびに「あー、私やっぱり人間向いてない……」と思う。そして「向いてないのに生きててえらくね?ウケる」と心の中のギャルが言う。嘘です、ギャルじゃなくて普通に自分でそう思う。
忘れたりパニックになったり、わりと人間向いてないのに生きて来れたのは私がめちゃくちゃ自己肯定感が高いからだと思う。
それはもうK2やエベレスト並に高い。
生きているだけで自分に価値があると思ってる。存在しているだけで人の役に立つ、くらいのレベル。
すごーく疲れているときとかに「たったこれだけのことで疲れるなんて本当に人間向いてない。疲れた」と思っても疲れやすい自分のことを気に病まない。
1つ前の記事で「自分で自分を許せる」と書いたけれど、何をしても何も出来なくても「自分が自分である」というだけで自分のことを肯定できる。
それで思ったんですけど、「自己肯定感」って育てるもの?それとも生まれついてのもの?
過去の都合の悪いことはすぐに忘れて都合の良いことばかり覚えて生きているので、まーったく思い出せない。自分の自己肯定感が高止まりしている理由を。
今私は2人の子どもを養育しているので、自己肯定感が育てられるものならば育ててあげたい。
でも個体値ならばどうしようもないのでは?と思う。
自分の自己肯定感が高い理由を考えると「自分を許せるのは結局自分だけ」という開き直りに近いのかなと思う。
周りに何を思われようと影響がない、というか「今日の服かわいいね!」とたとえ言われても自分が微妙に思っていたら「そうか?」だけでそのとき着ているものが急にかわいく見えたりはしない。
「言ってくれた人はこういうものが好きなのね」と思って覚えておくくらいはする。そして次に会うときに似たテイストの服にする、とか。
でも次に会うときに似たテイストの服を着るのはその人に気に入られたいからではない。おもてなしというか、一時でも時間を共有する相手が少しでも良い気持ちでいて欲しいという人類愛のような気持ちだ。
そして私は人類愛のような広い心を持つ自分を益々肯定していく。
自分の中に確固たる基準があると、相手を肯定できない瞬間は意外と多い。でも、自分は自分、相手は相手であるからと「あなたはそうなのね」の気持ちでいられる。ので、相手に対して「それは変」などわざわざ言う必要がなくなる。そして私はそれを言わなかった自分を益々肯定できる。
そういうことを繰り返して、今の私の自己肯定感は高止まりしている。
繰り返して高くなっていくということはやはり自己肯定感は個体値ではなく育てるものなのだろう。
注意力不足や忘れっぽさは確かに私の欠点かも知れない。けれどそれは私が日々肯定できる自分自身を損なうほどのものではない。
そうであるように子どもが失敗しても、失敗だけに対処し、たとえ何か失敗してもあなたの持つ素晴らしさを損なうことではないと伝え続けることが必要なのだろう、と思った。
大人になったら自分で自分を許すべきだと思う。でもそれは私が「自分で自分を許せる」人間に育ったからだ。それは育った環境やその中で自分で集めてきたものが「そんなことで私の価値は損なわれない」と思えるだけのものであったからだ。とても恵まれていたのだと思う。
願わくば、すべての人が自分で自分を許せるだけの経験を得られますように。
私は自分の子どもの心に精一杯自己肯定の種を撒こう。
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