日記の書き方

子どもが小学生になったので毎日宿題がある。
最近では週末に日記の宿題が出るようになった。
日記は次の週の学級だよりに良い出来の人は数人載せられる。
他人の日記の載った学級だよりを目にした夫は「日記を人に読まれるの嫌やな」と言った。

私は中学生のときからネットに日記やブログを晒して生きてきた世代の人間で、今もこうやってnoteやTwitterに言葉を吐いて生きている。
自分の中に渦巻く文字の量の多い人間なのでそうしないと人間としての均衡が文字の中に偏ってしまうからだ。
でも世間の人間は皆そうではない。むしろ皆そうであったら私はここまで自分が「人間のふりをしながら生きているようだ」という疎外感の拗らせ方をしていない。

子どもは一言「おとといかみをきった」と書いて、出来たと言った。
私は子どもになんと言えばいいのかわからない。
伝えたいという気持ちのない人間に言葉をこねくり回す必要性について説くことが出来ない。


先にタイトルを回収しておくと、日記は事実→思ったこと→その理由→まとめの順番で書けば良い。学校の宿題で求められているのは思っていることを伝えられる文章力と筋道を立てられる構成力なのでそれさえ出来れば100点満点だ。

でも、日常に感慨も感傷も感想もなかったら?それを表す言葉を持たなければ?感慨や感傷や感想を抱く余地のない週末だったら?

そうやって考えると小学一年生の週末の宿題が日記であることは不適切だなと思った。
じゃあ逆に小学一年生に対して文章力と構成力を身につけるために出すべき宿題ってなんだろうか。
私は短い物語をプリントに載せてそれを3回音読させて、その感想を3行くらいで書かせるのが適当ではないかと思った。
「週末の出来事をノート見開き2ページの日記」という宿題は乱暴で、私生活に踏み込み過ぎで、各々の家庭に対して丸投げ過ぎる。
それをさらに学級だよりにピックアップして晒して優劣をつける。横暴だ。
これでは文章力をつけるどころか文章を書くことを嫌いになるだろうな……と思いながら宿題に苦しむ子どもを見つめながら、この日記を生成している。

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