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島の向こうに、霧がたちこめていると感じた

 外へ出なくなりしばらくして、伯父が新型コロナウィルスにかかって亡くなったと知らされた。見舞いにいけず、看取ることもできず、葬れずにいて、死というものがどれだけ身体から「遠い」のかを知った。

 壁一枚へだてて暮らしている大学生は、その音を隣に漏らすこともなく、ただSNS上で生きている様子をうかがい、相互フォロワーのほうが隣人よりも「近い」ことを知った。

 行きたい場所、行きたくない場所。話題にあがる場所は、国単位でなく、街単位になっていて、いつのまにか国が街の一部に成り下がっていることを知った。


 遠くのものも、近くのものも。大きいものも、小さいものも。すべてが閉じこもったら「距離」も「大きさ」も消えて、すべてが分かれ離れた。

 もしかしたら、はじめからそんなものは無かったのかもしれない。

 ただそうして私は、この私たちが住む世界がそれぞれの価値観や世界観から成る、島の群れだということを実感した。

「群島のヴィジョンへと導かれるためには、なによりもまず、私たちの思考を海という流体を媒介にして空間的に拓いてゆく想像力が不可欠となる。近代の知の慣性的な認識作用のなかで、強く時間化されてしまった私たちの歴史意識を、あらたに珊瑚の海へと突き落とし、大洋と汀にはたらく水の攪拌と浸透の力によって空間化すること。意味の発生を、過去と現在を結ぶ通時的因果関係と合理的な説明体系に求めるのではなく、空間的な可塑性をもった具体的な広がりのなかでのものごとの偶発的な出逢いの詩学的な強度に求めること。このようにして私たちの目の前にあらわれる群島地図は、近代の時間性のなかで成型された歴史と記録への抑圧を、豊かな記憶と声がおりたたまれた場所への想像力へと解き放ってゆくだろう。」
今福龍太 (2008). 群島-世界論 岩波書店 pp.77-8.


 そのころ、外ではたしか毎日夕方4時半に定時定例アナウンスが鳴り響いていた。

 防災無線の白いスピーカーが周囲にむかって発するその音は、高層マンションやオフィスビルを反射しながら家のなかへ侵入してくる。

 まるで海底の岩場にかくれた潜水艦を探知するソナーのように、ひとびとの居場所をわりだしていた。

 音を介して気配はする、が見えはしない、霧の世界。

"To The Fog", 1 channel video and 4.1 channel audio work by Jukan Tateisi, 2020.

 わたしはそっと霧にむかって、誰にも言えない個人的な想いを、防災無線スピーカーにのせてつぶやいた [TO THE FOG, 2020]。

 季節はめぐり、私たちはふたたび閉じる。

 島の向こうに、また霧がたちこめていると感じた。

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