【小説】ダーツとフリースロー 5.『よくもそんなことを』

 
「どうした少年」

 スマホがそのように訊いていた。

 ずいぶんと長い間覗き見をしていたものだ。家を出てから不審に思われるほどの時間が経っていたらしい。三浦大地は大きくひとつ息を吐き、「お散歩がてらにちょっと遠くのコンビニまで行こうとしたら迷っちゃった。ご心配なく」と返信の文面を作る。

 姉の友人から送られてきた迷子の間抜けさを煽るようなスタンプを無視すると、三浦大地は急いでコンビニへと足を進めた。あまりに時間がかかってしまうようだと、心配の要るレベルの迷子だと思われ、再び心配のお便りを寄越されてしまいかねないからだ。

「さすがに捜索されたりはしないだろうけど」

 手早く指定された商品を集めて籠でレジへと持っていく。9月となり販売が開始された肉まんをひとつ追加購入し、それをかじりながらに帰路に就く。

 金網に囲まれたバスケットボールコートを眺めると、どうしても先ほど目撃した長身の男が連想された。

 川口大地。彼はクラスメイトの日下詩織と仲睦まじそうに連れ添っていた。

 ミニゲームを見学した後、三浦大地は月島美夜と共に体育館を後にした。モテる男であれば自然な流れでその後のお茶にでも誘っていたのかもしれないが、三浦大地はそのオプションに思い至ったにも関わらず、まったく誘いの言葉を口にすることができなかったのだった。

 どうやって女の子を誘うんだ!?

 彼にはノウハウが存在しない。

 学生の身分でアルバイトをしているのだ。その稼ぎはすべて自分の懐に入る。つまり、三浦大地は高校生にしては自由にできる金を比較的たくさん持っていた。お茶と言わず、何ならちょっとした店での夕食をご馳走するのも、相手がかわいい女の子なのであればむしろ喜びとなるだろう。

 しかし彼には一体どのように声帯を震わせれば「ちゃんとバスケを観たのってはじめてだったけど、面白かったよ。誘ってくれてありがとう。よかったらお茶でも飲んで帰らない?」と発言できるのかが皆目見当つかないのであった。

 結局彼らは同じクラスの下駄箱まで共に歩き、通学に使用する門が違うという理由であっさりと別れることになった。かわいいあの娘の言う「じゃあまた明日」という文言とひらひらと振られる右手に異論を唱える手段を彼はもっていなかった。

 頭の中で同じような内容の反省会を何度も開催し、三浦大地はひとり家までとぼとぼと帰ったのだった。

 それを、あのバスケ部の男は軽々とやってのけているのだろう。

 彼らはいずれも私服だった。つまり、部活後一旦帰宅し、その後落ちあっているというわけだ。

「なんていやらしい!」

 体中をじくじくと巡る後悔の念と嫉妬の心が入り乱れ、間欠泉のように噴き出してくる。不定期に入れ替わるそれらを頭にぐるぐると巡らせれば足取りが自然と強くなる。じきに家が見えてきた。

 姉とその友人が待つ離れにまっすぐ向かう。努めて平静にドアを開け、コンビニの袋を彼女たちに届けると、三浦大地はどっかりとソファに腰かけ大きくひとつ息を吐く。じっと見られているのに気がついた。

「何、どうかした?」
「こっちのセリフよ。何かあったの?」
「いや別にーー」

 否定の言葉を並べながら、三浦大地は手の平で顎をやんわりと撫でた。一見で見て取れるほど普段と様子が違うのだろうか。苦笑いが浮かぶ口元をごまかすように親指を甘く噛んでいると、三浦真由は覗き込むようにして大地を見つめているのだった。

「まいったな。本当に話して面白い話じゃないと思うんだけど」
「それはこちらが決めることよ。何なに、何があったの?」
「自分から話しづらいんだったら私たちが訊いてあげるから、質問に答えていくといいよ」
「まあでもあたしは大体予想がついてるけどね」

 自信ありげな表情で微笑む三浦真由が、その弟と友人の視線を集める。「すぐ話さないってことはちょっぴり恥ずかしい内容なんでしょ。男子高校生の、ちょっぴり恥ずかしい相談なんて、女の子関連に決まっているよ」

 どうだ、と言わんばかりの視線が今度は大地に突き刺さる。この男子高校生には肩をすくめて大きくひとつ息を吐き、洗いざらいすべてを話す以外にできることは何もなかった。

〇〇〇

「なるほどねえ」

 高校2年生の初々しい話を肴に、三浦真由と佐藤華子はそれぞれエタノール換算で20グラムほどの飲酒を進めた。彼女たちはどちらも大学生にふさわしい飲酒能力を持ち合わせているのだが、ダーツを投げておしゃべりしながらだらだらと続いた飲酒でだいぶ酔いが回ってきている。

 すっかり赤らんだ顔で「男の子は大変ねえ」と佐藤華子は少年の頭をポンポンと叩いた。三浦真由も同意するように大きく頷く。

「確かに一部は女の子関連だったけど、どちらかというとそのバスケットマンに対する劣等感の方が影響は大きそうな気がするなあ」
「そうかな?」
「そうだよ。あたしも高校までは帰宅部で、その他女子高生らしいきらびやかな生活にはあまり縁がなかったからちょっとわかるわ。ハナちゃんとは違うのよ」
「華子さんって何かやってたんですか?」
「この娘もバスケットマンよ。バスケットマン・レディと言った方がいいかしらん」
「デビルマンか私は」
「いや、だから、レディの方よ」
「どっちでも違うわよ。――でも、そんな部活やってたかどうかとかで劣等感持ったりするの?」
「持つ者に持たざる者の気持ちはわかんないのよ。たとえば部活帰りに汗かいて、自販機でアクエリアスとか飲んでるじゃん。いいなー、かっこいいなーって思ってたよあたしは、そちらにそんなつもりがなくてもね」
「姉さんでもそんなこと思うの?」
「思うわよ、あたしゃコンプレックスの塊よ」

 しかしその言葉とは対照的に、真由は尊大な態度でソファにくつろぎ、ツマミと酒を口に運んでいるのであった。大地にはこの女にそんな感情が本当にあるとは到底信じることができない。

「こんなにふてぶてしい態度の女に、そんなかわいらしい感情が宿っているとは思えないけど」

 頬杖をついてそう言う華子は腕を伸ばしてお菓子を食べた。

 大地はその手をじっと見つめる。すらりと長く白い腕から、女性にしては大きな手が生えている。川口大地も長い腕と大きな手をしていたものだ。バスケットボール選手に適した身体的特徴なのかもしれない。

「華子さんは大学ではバスケをしないんですか?」
「私? う~ん、しないなあ。正直もう部活にはうんざりなのよね。勉強も大変だしさ」
「この娘は推薦入学だからね」
「そうそう。一般入試じゃ薬学部なんて私には絶対無理だったから有難い制度だと思うんだけど、入った後で学力が低くて困るから、有難迷惑だと思うことすらあるわ」
「ザ・言わない方がいい本音ね」
「もちろん公の場では言わないけどさ。というか、私は私で、真由みたいにちゃんと勉強してきて入ってきた人に対していいなーって思うよ。真面目に勉強できるっていうかさ」
「ガリ勉を褒められるってのは、こちらとしては馬鹿にされてるような気になるんだけどね」
「いや、あんたガリ勉ではないでしょ」
「バレたか」
「ついでに言うと、本当にコンプレックスに感じてる人は、そんなに簡単に口にできないと思うのよね」
「やばいやばい、色々バレちゃう」

 面白そうにそう言いグラスをぐいっと飲み干すと、三浦真由は話を変えた。「ま、今はそれよりこの思春期男子の話をしないと。迷える子羊を導かないとさ」

「それはそうだね。大地くんは結局何で困ってるんだっけ?」
「あたしが思うに、この少年の問題点は大きくふたつあるね。すなわち、気になるあの娘をどうすればいいのか問題と、気になるあいつをどうすればいいのか問題だ」
「すなわち、ときたか。しかし同じ文言なのに考える方向性が真逆っぽいのはちょっと面白い表現だね」

 華子のそうした評価に満足そうに頷き、三浦真由は大地に訊いた。「大地はどうするつもりなの?」

「俺? 俺はそうだな、今のところどうしようもない気がしてる。というか、考えながら帰ってきたら、こうして尋問を受けたわけだけど」
「その考えた内容をひとつ話してごらんよ」
「だから、俺にはどうしようもないってことだよ。月島さんをどうやって何かに誘えばいいかわからないし、姉さんが言うところのきらびやかな生活をしている長身のイケメンに劣等感を抱いたところで、実際どうしようもないだろう?」

 ふたりのお姉さま方は顔を見合わせ、まるで素面のように頷き合った。「確かにそうだわ」

「でもさ、誘うのは誘えばいいだけじゃん。せっかくバスケ好きって情報があるんだから、そこで向こうの興味を引く一言でも用意して、誘ってだめなら諦めるだけだよ」
「その誘うだけってのができないんだよ。というか、できなかったんだ。これはもうしょうがないことだと思う。高所恐怖症のやつにバンジー飛べって言ってるようなもんでさ、飛ぶだけだって言われたところで飛べないものは飛べないよ」
「そんなまた反論しようのないことを、たとえ話を交えてまで」
「最近はこういうのロジハラって言うらしいよ」
「らしいよ。何事も慣れだって!」
「そうやって、できないことをできない人に強要する方がハラスメントだと思うけど」

 三浦大地はそう言い、深くソファに身を沈めて大きくひとつ息を吐く。「大体、バスケ好きに興味深い一言って何だよ」

「それはほら、このバスケットマン・レディに訊けばいいじゃない」
「私が答えてしんぜよう」
「本当ですかあ? それなら是非とも教えてください」

 ソファに沈んだままの格好でそう訊く大地に、華子は「うむ」とゆっくり頷く。

 そしてそのまましばらく時間が経過した。

「どうしたハナちゃん」
「自分でも驚いたんだけど、まったく思いつかないわ。たぶんバスケ好きにも色々種類があって、どストライクな分野のこと言わないとだめなんだよね。それがとても難しい」
「バスケットマンあるある、みたいなのないの?」
「う~ん、そうだな、自分のマークマンが汗っかきだとそれがくっついてきて気持ち悪い、とか?」
「そこ!? あはは、結構面白いじゃん。他にないの?」
「自分から23番のジャージ着る子とは仲良くなれる気がしない」
「偏見! それはハナちゃん側の問題じゃないの」
「変な子が多い気がするんだよね。まあそれだけ偉大な数字ってことだろうけど」
「サッカーで10番付ける感じ?」
「バスケの23番はもっと主張が激しい気がするなあ」

 こうして完全に脱線したバスケあるあるで盛り上がる女子大生ふたりを、三浦大地は穏やかな気持ちで眺めた。

 元々アドバイスを欲しているわけではないのだ。そんなものがあったところで使いこなせる気がまるでしない。大地が望んでいるのは自分が槍玉に上がった状況からの脱却であり、この嵐が通りすぎることだった。彼女たちが勝手に盛り上がって自分の高校生活のことを忘れてくれるというならこれ以上ないというものだ。

 その会話の音をBGMに、三浦大地はひとりぼんやりと考えた。

 バスケ好きには種類があるらしい。彼女が何を主軸としたバスケ好きなのかを知らないと、適切な話題を用意するのは中々難しいものらしい。そしてバスケットマン・レディは対戦相手の汗を嫌がる。女性の対戦相手をマーク“マン”と呼ぶのは正しい表現なのだろうか?

 そして彼は思い出してしまった。さらに愚かなことに、その記憶のアウトプットを躊躇するより先に、気になるあの娘の情報を口に出し、お姉さま方に渡してしまったのだった。

「月島さんはNBA好きだ」

 その発言に、ふたりの会話が中断される。

「なんですって!」

 まず三浦真由の目が鋭く光り、続いて佐藤華子が小さく頷く。

「NBA好きかーーカテゴリー分けとしては、十分な情報ね」
「すると、先生、うちの子は一体どうすればいいんですか?」

 芝居がかった口調でそう訊く真由に、華子は静かに頷いて見せた。

「残念ながら、私はNBAの知識をほとんど知らない。というか、自分がバスケをやってただけで、そういや私バスケ自体に詳しくないわ。あはは」
「よくもそんなことを……!」

 そう言い咎める真由も笑ってしまっていたのであった。

 大地も合わせて笑い、何となくこの議題は終了という空気にその場がなりかけたところで、今度は華子が思い出したように口を開く。

「そういやあるわ、バスケ好きに良い話題」
「それ本当? ハナちゃんへの信頼は今、地に落ちてるんですからね」
「私の信頼は安いなあ。でも私たちや大地くんなら間違いなく使えるものだと思うよきっと」
「ずいぶんな自信ね。それなら聞いてみようじゃないの」
「言いましょう。これはそもそも私がダーツにハマった理由のひとつなんだけど、ダーツとフリースローって似ているのよね。これをバスケ好きに話せばとりあえず興味を引けると思うから、そこからダーツの魅力を語って、ダーツに誘ってカッコイイとこ見せちゃいなさいよ」
「おお~名案じゃないこれ?」
「もっと褒めて!」
「孔明の罠みたい!」
「そこは素直に諸葛孔明と言っとこうよ。どう大地くん、意外なことに有用そうな案が出ちゃった気がするけども」
「そうですねーー」

 大地はふたりの眼差しに呼応するように静かに深く頷くと、大きくひとつ息を吐いた。自分の気持ちを落ち着かせ、事実をそのまま口にする。

「俺、姉さんや華子さんと一緒に自分がダーツをやってるだけで、全然ダーツ自体に詳しくはないです。気になるあの娘に語ることが何もない!」
「よ、よくもそんなことを……!」

  そう言い咎める真由も、やはり笑ってしまっていたのであった。  
 

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