見出し画像

「創作したい」側の人間の物語

先日『海が走るエンドロール』の最新刊を読んでいて、気がついたことがある。

ここ数年、「創作したい」側の人間の物語に強く惹かれる自分がいるということだ。
小説でも漫画でも映画でも、「何かを創作したい」という強い意欲を持ったひとの出てくる作品に魅力を感じ、共感する。

例えば、先ほど挙げた『海が走るエンドロール』は、還暦を過ぎて、夫に先立たれたうみ子が、映画監督志望の美大生・海に出会い、自分も映画監督になりたいのだと気がついて、美大に入学して、自分の映画を撮る物語だ。
初めて読んだときに、この漫画にとても惹かれたのは、漫画ならでは表現が素晴らしかったからだ。だが、改めて読み返すと、うみ子が創作メモを書いているシーンや、他の人の作品の分析をしているシーンにとても共感していることに気がついた。

他にも、近年惹かれた作品では、藝大生を描いた『ブルーピリオド』や、漫画家が主人公の『A子さんの恋人』、アマチュア詩人の日常を描いた映画「パターソン」など、創作する人を主人公としたものが多い。
そういえば、少しテーマはずれるが、わたしがバイブルと崇める『スプートニクの恋人』のすみれも、小説家を志していた。去年から愛読している『違国日記』の槙生も小説家だ。

わたしは物心ついたときから、自分で物語を創作するのが大好きだった。学生時代は小説や詩を書くのが何よりの趣味だった。なんせ紙とペンさえあればいつでもどこでもできるし、頭の中で小説の設定を練っているだけでも十分楽しかった。だから、日常的に創作のことばかり考えているのは、わたしにとって「普通」のことだった。

それなのに、生来の引っ込み思案と妙な自意識過剰が原因で、文芸部などの大規模な創作サークルに身を置いたことは一度もない。
それでも、中高時代は、紫乃含め周りの仲の良い友人たちは皆小説を書いたり、イラストを描いたりするのが好きな、創作するのが当たり前の人たちだった。中高時代ってみんな多かれ少なかれそんなものだと思う。

でも本当は、もっとずっと長く、常に創作のことばかり考えているひとに囲まれた環境に、身を置いてみたかったのだと思う。それがわかりやすく描かれているのが、美大を舞台にした物語だったから、より強く惹かれているのかもしれない。

そういえば『違国日記』でも、槙生ちゃんが小説家仲間とお茶をするシーンをとても羨ましく思ったものだった。それは、誰か自分と同じように創作のことばかり考えているひとと語らいたいという欲求があるからだろう。

いつからか、わたしの趣味は小説を書くことです、というのが恥ずかしくなっていた。でも胸を張って言おう。わたしは創作することが好きだ。これはもう、趣味の域を超えて生きがいだ。
同じ生きがいを持ったひとたちの物語を、わたしはこれからも愛するだろう。



「書くこと」への愛についてはこちらをどうぞ。


良いアウトプットは良いインプットから。
毎月のインプットをまとめています。


紫乃との隔週オンライン読書会開催中。ポッドキャストも始まりました。
読書会のログはこちらから。




作品リスト
・たらちねジョン『海が走るエンドロール』秋田書店

・山口つばさ『ブルーピリオド』講談社

・近藤聡乃『A子さんの恋人』KADOKAWA

・ジム・ジャームッシュ「パターソン」

・村上春樹『スプートニクの恋人』講談社

・ヤマシタトモコ『違国日記』祥伝社


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?