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レゾンデートル

写真にさらにしっかり向き合いたいと思っています。
先ずは自分の内側に向かって。そしてそこから外に向かっていきたいです。

私が写真に向き合うようになった原点は、2006年に数年振りにマリ共和国を訪れた時の出来事です。
友人や妻の家族に、1983年から23年間撮り溜めていた(と言っても大した量ではありませんが)写真を見せた時、かつての赤ん坊は我が子をあやしながら、かつての鼻垂れ小僧は一家の主人になり、かつての青年は孫と一緒に、かつての自分、家族、知人、そして今はこの世をさった人々を懐かしみながら語りあっていました。
「写真はいいな」
こころからそう思った瞬間でした。

この「思い出(記録)の写真を撮り、見せる喜び」が私の写真の原点です。
その「写真館的写真」に加えて、自分のバックグラウンドである人々とその暮らしへの「文化人類学的関心」のままに、今日まで10数年間写真を撮ってきました。そこでは成り行きとして1980年代から撮ってきた遊牧民トゥアレグの暮らしの撮影をライフワークと考えていました。全ての写真はある意味その修作のつもりでした。
しかし西アフリカ内陸地域の治安が急激に悪化し気軽に撮影に行けなくなりました。治安が良くなることを強く強く願っていますが、客観的にはそれは非常に難しいと判断せざるを得ません。そのためここ数年写真を撮るモチベーション、目的が曖昧になっていました。

何のために写真を撮るのか。
今、誰かにとってのよい写真ではなく、自分にとって欠かせない写真の意味を考えています。
サハラ砂漠の遊牧民の記録以外の自分の写真のレゾンデートル、その喜びを考えています。

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