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忘れられない瞬間ー鉄小僧だった頃のことー

 私がカメラを持った大きな理由に鉄道写真がある。今でこそ「被写体の多様化」を進めて、レンジファインダーからコンパクトデジカメ、フルサイズ一眼レフを使い分けるが、鉄小僧だった時代には当然それなりに良いことも悪いことも経験してきた。

その中で、数枚の写真を紹介しようと思う。今の高校生、中学生にも似たような経験ができることを祈っている。

1枚目:濃霧の中から現れた一本の貨物

1枚目は説明不要のヒガハス(東大宮〜蓮田)での出来事。早朝から撮影に駆け出し、残りが少なかった国鉄色のPF(EF65の1000、2000番台)を撮影していた。(説明不要かもしれないが、国鉄色の機関車が絶滅後、塗装コストの削減等により全般検査時に復刻される釜が大量に出てくるのだが・・・)その頃使っていた機体は使い始めて日が浅く、手探りで使っていたことも印象を強くさせる一要因であったのかもしれない。

2枚目:土曜の朝のお楽しみー583系ー

 土曜日の朝、この電車のためには早起きができた。私にとっての「朝活」で、華金の残り香と行楽客の入り混じるコロナ前の関東を感じる瞬間でもあった。
 しかも、撮影者がほぼ常連だけだったというのも良かった。皆が皆、事を荒立てる方向に持っていくことなく、穏やかに調整ができる。今の大宮駅での出来事を見ていると、こんな瞬間は訪れないのだと少し悲しくなってくる。

3枚目:夜、地下撮影の集大成

 今でこそホームドアが増えて地下鉄の撮影が難しくなったが、私が撮り始めた2010年台はまだ全然普及途上といった感じであった。お下がりを使っていた頃はF5.6のレンズでどのように撮るかを必死に考え、地下ながらズーミング流しをしてシャッタースピードを稼ごうとしたこともあった。
 この1枚は今でも使用している大三元レンズ70-200F2.8を買った直後に撮ったもの。どこにピントを合わせるべきか、どの構図を使えばカッコよくなるか。PDCAを回し続けた結果の1枚であった。

まとめ:時の流れは早い。

 私が撮ってきたもので、今は撮れなくなってしまったものがあまりにも多く、時代の変化の激しさを痛感する。地下鉄ではホームドアがほとんどの駅につき、駅では注意されないように撮影することが物理的に困難になってしまった。
 週に3回は大宮駅の11番線でPFを撮り、仲間と情報交換や穏便に撮るコツを試行錯誤してきた。今では、大宮10番にとまる貨物も絶滅危惧種で、細かいことでも放送が流れるほど、穏便に済ませることが困難になっている。今の中高生はどこで研究しているのだろうか・・・まあ、これ以上昔語りすると老害になるからやめておこう。

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